最近美とは何か?古くて新しいテーマが気になっていて、久しぶりに友人に会って食事をしながら話がはずんだ。ずっとそのテーマで話してきたのよ、と語る明瞭なことばの冴えに聞き入っていた。
持ち出したのは以前感銘を受けた映画「アマデウス」である。サリエリが語るモーツアルトの物語、そのテーマは何?凡人と天才?行き着いた答えは神に愛されたモーツアルトと愛されなかったサリエリだった。授業で学生たちを前に何度も語ってきた彼女の流暢な説明にうなずいていた。
ちなみに、「アマデウス(「神に愛される」「神を愛する」の意味)とは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのミドルネームから来ている」という。それが映画の題名になった。貧困の中で作曲を余儀なくされた神に愛された人間と愛されなかった現世的宮廷作曲家サリエリ~。
クラシック音楽、モーツアルトやバッハなどの古典音楽の美の根っこはその音楽の構成【コード】にあると強調した。そしてベートベンを含め、彼らが大いなる神のために作曲したというキリスト教の信仰や理念との関わりの深さだった。より崇高で偉大なるもののために創造したという精神の、観念の、美意識の高まりの凄さがある。「無神論者のわたしは、〈人間の限りない創造力〉だと思う」と締めくくったが~。人間の特性とは何かと問われたかの著名なチョムスキーが「創造力」だと語ったこととつながった。チョムスキーは無神論者である。天才が生み出した音楽の美!
話の発端はカトリックの修道僧の日常の中で輪になって祈り、賛美歌を歌うという行為について話したことだった。歌うという行為の持つスピリチュアル性でもあった。声に出して唱えたり歌い儀礼に参加する行為そのものが精神の陶酔感をもたらす、帰依する対象と一体化する無我の境地をもたらすこと、トランスは凡庸な個人が神と一体化する必然的なパフォーマンスなのだろうか。
音楽ライブにおける大勢の観衆の陶酔した顔、顔、身体は、音楽のリズムやメロディー、ことばの意味性を含めた無意識の集合的魅力と言えそうだ。
美、美意識は普遍的なものとローカル、民族的なものがある。ごくローカルな美、美意識が普遍的なものとして包摂されていくのも必然なのかもしれない。
ニーチェの『悲劇の誕生』は悲劇論を書くために以前持ち歩いていたのだが、すぐれた音楽論でもある。また読みたくなった。