
琉球舞踊も古典音楽も組踊も沖縄芝居もすべて「日本語字幕」の沖縄の現在になりました。いいのか、悪いのか、母国語=日本語の沖縄県です。日本語と琉球語・沖縄語とのバイリンガル体制への移行でしょうか?多言語体制へと移動していく世界の趨勢かもしれません。それぞれの分野の先端では英語が世界共通語になっています。すると英語だけではなくスペイン語やドイツ語なども含め、多言語性が世界の動向になっていくのかもしれませんね。琉球諸語の継承はそれぞれの地域で模索されていますね。伊江島の言語は伊江島で八重山の言語や八重山で、多良間の言語は多良間でそれぞれの取り組みがなされているのはいいですね。多良間の組踊の台本は首里語ですね。王府時代にそれぞれの間切で間切のことばがはなされたわけで、160もの方言があるのだとパトリックさん(言語学者)が書いています。琉球諸島に160の言語=方言です。
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国家として成り立っていた琉球王国の中心が首里であり、那覇であったわけだが、ここが中央で地方の言語はまた特別な口語が発達していったのである。日本と琉球諸語は姉妹言語だとする考えがありその6諸語におさまらない100以上の方言がある事実にどう向き合えばいいのだろうか?国の中軸だった言語体系を正書法として確立する方向性があり、一方で6諸語を対等に扱おうとする方向性もあるようだ。少数言語が生き延びるための方策が大胆にかつ繊細になされなければならないのだろう。それでしまくとぅばである。固有の名称のつかないしまくとうばに違和感が起こったままである。琉球諸語、沖縄語、那覇語、首里語、宮古語、金武語、である。方言と言語の位相の違いはない、と危機言語学会の会長は話していたが、どうなのだろう?言語=政治性が強いと言える。
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ところで大学でもスーパーグローバル体制に向けた競争が加速している。世界に通用する知識・知恵・発見・発展・人類共栄にむけた取り組である。それぞれの世界の地域の歴史・伝統・文化に基づき、かつ世界全体に寄与できる知識・知性・科学技術の競争と共存が問われているようだ。そうした中で、琉球諸島独自の言語、歴史・伝統・文化の継承、保存、発展・世界への展開はどうなされていくのだろうか?培ってきた文化伝統なりのアイデンティティーは生きる基盤になるのだろう。コスモポリタンも根があるのだということかもしれない。根がないとコスモポリタンとして生きていけないということはないが、アメリカなり西欧の多人種社会の町に一歩足を踏み入れてみると、好き嫌いに関係なく出自は晒されていく。嫌がおうにも自分が何者か問われるのである。
うちなーぐちのメリットはなんだろう。沖縄芸能の伝統を保存するにはううちなーぐちがどうしても必要だ。それだけだろうか?うちなーぐちでないと伝わらないものとは何だろう?古典音楽、民謡、琉球舞踊、沖縄芝居、組踊、民俗芸能、エイサー、祭祀芸能は継承されるべきである。
わたしはわたしのルーツを無視できない。米兵と、うちなーの女との間にできた子供たちは、アイデンティティーギャップに悩んだり、複数のアイデンティティーを逆にプラスに展開することもできる。多数のアイデンティティーに生きている人々がどんどん増えていくのだろう。国のバリアが少しずつ崩れていくのだろうか。世界のウチナーンチュの経験は、貴重だね。彼らはコスモポリタンの多重(多層)アイデンティティーを生きてきたのである。