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志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

沖縄系アメリカ人ディアスポラの講演の後、二次会に参加したかったけれど「うない奮闘記スペシャル」へ

2012-01-14 11:12:26 | グローカルな文化現象
                 (中国の色)

吉田妙子さんから暮れから「NHKでのライブのトーク番組」に出ることをお聞きしていたので、彼女や山本彩香さん、玉城節子さんに関心があったので、約束を違わず、始めてNHKの中継放送の現場に参加した。

テンブスホール、それほど客数は多くはない。200人は入るだろうか?130人ほどのオーディアンスである。
例の信ちゃんが司会をしている。津波信一、彼の芸をHPで褒めた文がまだUPされたままであり、ある面、ことば(批評)で津波さんを応援している事になっているのかもしれない。彼はモテモテである。普段着の感性が受けているという事で、NHK沖縄の看板になっている。昨今のステージをしっかり見ていないので、何とも言えないが、普段着が背広になった途端ダメになるのかもしれない。

ともかく、6人の女性たちの生の声は得るところがあった。最も高齢の妙子さんがピンクの着物姿にウチナーイナグの結髪である。節子先生はお上品で、彩香さんは普段着感覚である。節子先生の聡明さはいつも感じさせられる。彼女の口からお姉さまが対馬丸に乗って亡くなられたことを始めて知った。それゆえに警察官をしていたお父様が彼女を沖縄から他所に手放さなかった理由がわかった。痛みをもってそれぞれの場所で輝いている女性たちの声にウウチナーグチがたくさんマンチャーしていたのは良かった。沖縄の根を歴史を、文化を再発見する時勢なのかもしれない。長崎佐世さんの琉球クリエイティブのバレーが琉球舞踊とのコラボレーションンの創作バレーを生み出している事など、興味を引いた。コツコツ目標に向かって頑張ること、と、ご本人がもう舞台に立つことより指導が中心だと奇麗な女性は語った。彼女が芸大でバレーを指導した時、佐辺良和さんなどとてもお上手で琉球舞踊の身体の所作や動きとバレーとは似ていると強調したことばにインパクトがあった。どのように?もっと知りたくなった。

沖縄市のプラザハウスでビジネスをしている平良由乃さんは世界を見なくちゃと語った。海外との取引でビジネスをしているゆえ外をよく見ている人の発言である。沖縄の根への旅と共に海外に目を向けること、それはトランスナショナルな交流の重要さでもある。料理研究家の山本彩香さんもヨーロッパでウチナー料理を紹介してきたばかりである。彼女は御自分の味を残すことを考えている。節子先生は海外での舞台公演の場数を多く踏んでいる。そのドイツの公演ではカーテンコールが7回も続いたという。
熱狂が見えるようだ!
≪冬の母の庭≫

つまりグローバルである。世界へ飛び出せ!蜷川幸雄はシェイクスピア作品をロンドンに持っていって文化勲章である。日本的型芝居の西洋物語で演劇のメッカで目を見張らせた!日本語のシェイクスピアである。すでに既知の物語を日本の伝統演劇の形態でやってのけたその評価は批評家からは低いが、鈴木忠志の思想的な斬新な演劇作品とはまた異なる。異化効果の度合いも異なる。異国情緒のイメージやエモーションにのせた舞台と西洋の東洋へのオリエンタリズムやその眼差しや融合、さらに次の劇的想像力の空間を導き出す手は見えなかった。でも世界(ロンドン)で評価されることは演劇のメッカでの勝利という構図になる。あるいはニューヨークのブロードウェイの評価が世界の評価という具合である。

沖縄の演劇・芸能が次のステップを踏むには世界のステージを目指さなければならない。シンガポールのオン・ケンセンはアジアのシェイクスピアでやはり世界デビューをした。

組踊や琉球舞踊の可能性は他のアジアの芸能・演劇とのコラボレーションを含めた越境する総合芸術の美の可能性が試されている。日本を飛び越えてハワイやロンドン、ソール、台北、インド、などなど、世界を巡る芸の水準である。どこまでいけるか?
単に伝統芸、お能や歌舞伎、文楽、狂言そのものは輝いている。それだけで貴重な財産である。組踊もその伝統芸で十分価値をもっている。ただ時代にそった新しい感性が絶えず創作され続けなければならないのだろう。それをどう?そこで現在の共時的なグローバル環境への視座が問われてくる。

世界で賞をとってくるんだよ。そうしてはじめて世間は価値を認めるよ、はあながち間違ってはいないだろう。幸喜さんの発言はそれはそれで激励である。演劇祭への参加!がひとつの決め手なのだろうか?

何らかの受賞とは、応援歌である!続けて前に進んでいいのだよ、という後押しである。かと言って賞をターゲットしない表現も表出もある。それはそれでいいと思う。表現したい、願望を満たす媒体は今時は多様である。誰もがクリエイティブな手段を得られる時代の到来で、その中で真に時代の感性を打つことばやイメージが模索されているのも確かなのだろう!

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