半ば枯れかかっていたり、まだ青々と葉が茂り黄色い花がついたりしている。実は思いがけない所から急に目に入ってきたりする。 シークワーサーの木はすっかりゴーヤーに覆われている。◯ゴーヤーに覆われクガニ陽をあおぐ◯宝探しのようゴーヤーは見つけにくい◯一本三百円のインフレー . . . 本文を読む
ノラ君はもう老猫に違いない。大きなからだをもてあましているようにも見える。 ときおり激しく身体をふるわせる。君はねこの生涯をまっとうしてほしい。 最近はシーバが牽制して追い払おうとする。よく観察すると、シーバはクロスケに対しても、排斥行為をしている。 みーちゃん母さん親子の既得権のような感覚をシーバは持っているのらしい。 お前はだれだ、よそ者だろう!ノラ君は立ち位置を踏まえて控えたりする。 ノラ君 . . . 本文を読む
旬の蜜柑がスーパーに並んでいる。地元産のカーブチーも並んでいる。シークワーサー、クガニはまだ見えない。しかし、そろそろだろうか。 3年ほど前から幾分実をつけてきた、小さな菜園の真ん中で大きくなった我が家のシークワーサーの木は、なかなか花が咲き実をつける様子が見られず、根元から伐採しようか、と思いつつ数年がたった頃、ポツリと白い花が咲き始めた。 そして実が幾分多くなったかと思うや、カミキリムシにすで . . . 本文を読む
月日はあっという間に5年が経ったのです。龍潭池からまだ火の粉が上がっているお城を見上げました。驚嘆と失望、悲嘆から復興に向けたこの間の時間の流れは緩やかに、議論を伴いながら流れているようです。 悲劇作品には常に覚醒と光が差し込んでくることが頭を過ります。 破壊から復興、再生へ、ダイナミックに動く社会の唯物的進化は、唯心論と対をなして、人間の集合的無意識「うむい」に根差しつづけるのでしょうか。 さ . . . 本文を読む
(琉球新報10月31日) 詩集の題名に登場したゴーヤである。ゴーヤーは苦いと決め切っているような表象が気になった。 味の苦さにも確かにグレードがあるかもしれない。品種改良もなされている。しかし、ゴーヤーを特別苦いと感じないゆえに、と言うのも毎日でもゴーヤーチャンプルーは飽きない料理ゆえに、苦味の深淵さと人と人の違い、差異に比喩した詩篇に興味を持った。 読んでみたい詩集だが、ゴーヤに心が躓いてしま . . . 本文を読む