10年前の3月11日、
私は大阪のビルの6階でぼーっと机に座っていました
ドンという衝撃の後ゆらりゆらりと大きく長く揺れ続け
船酔いのような感じでした
あわてて、スマホのテレビを起動したら東北で大地震との情報
東北の地震が大阪でここまで揺れるとは
相当の大地震だと思いました
その後テレビを注視し続けてると
黒い水が津波となって押し寄せてくる映像や
仙台空港の駐車場の車が押し流される映像にただ事ではないと思いました
その時にはこんな大惨事になるとは思いませんでした
翌日の天声人語では
物理学者の寺田虎彦先生が「国土全体がつり橋の上に乗っかってるようなもの」と
その鋼索が切れたということかと書かれてました
そして続々と伝わる衝撃的な状況
原発の爆発そして黒い津波の恐ろしさよ
今日の天声人語
津波にのまれ亡くなった方と生き残った方
生き残った側の佐藤歌人が詠んだ歌
「死ぬ側に選らばれざれし身は立ちてボトルの水を喉に流し込む」
無事でよかったといわれるが生き残ったのはたまたまだと
いまこの地震列島で命をつないでいるのはたまたまの幸運なのかもしれませんね
明日、いや今日南海トラフの鋼索が切れるかもしれない
災害を他人事とせず我が事として備えなければなりません
亡くなられた方のご冥福を祈ります