たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

夏真っ盛り・南禅寺から永観堂へ

2016-07-28 19:31:21 | 現実
建仁寺の記事を書いていて気づいた。

ここの所立て続けにあちこちのお寺をまわっていて、場所を混同。記憶力やばいのでは?この「やばい」はいまどきの「いけてる」ではなく、本当にやばい。
金地院は南禅寺の塔頭だった…

まあ、コピペして書き直そう。

夏に行くのにいい場所、水辺。今度こそ、南禅寺の水路閣の上への道を思い出して探そう!数年前、確かに行った場所なのに、たどり着けなかったのだ。

ネットで色々な方のブログを見てみる。

やっぱり、行けるのだ。

この蹴上駅近くの「ねじりまんぽ」を抜けて。
ちなみに「まんぽ」というのはこういう、鉄道線路の下をくぐるトンネルの事を関西圏でそういうらしい。「まんぼう」というのもきく。



ああ、前回間違えたのは左ばかり見ていたからだ。
南禅寺が左側にあるから…
右の石段を上がってぐるっと回るんだ。

それにしても初めて行ったときはどうしてそれがわかったんだろう。何を参考にしたのか、全然覚えていない。何せ20年くらい前の事だ。

有名な蹴上インクライン。



昔船を運んだという、レールもそのまま残されている。






水路の水は緑がかっている。よく言われることだが、琵琶湖が水源、と思うと逆に流れている気がする。

暑い日だ。木陰の水路は涼しいだろう… あれ?

「工事中この先通れません」

…やられた。

結局、暑い思いして無駄歩き…南禅寺方面にぐるりと移動…アイスクリームでも食べよう…抹茶ソフト、八つ橋スティックつき。


南禅寺と言えば、やはりこれだろう、水路閣。こう見るとヨーロッパの遺跡かと思えそうな。水は上を通っているので見えないが、夏が似合う場所。秋の紅葉のころもいいが、青紅葉が涼しげに映えるから。








塔頭のひとつ、金地院では、長谷川等伯の「猿猴の襖絵」をじっくり見せて頂いた。

見せて頂いただけでなく説明もして頂いた。しかしビジターは私だけなのである…なんだか申し訳ないようだ。

少し前に、「等伯」という小説を読んで、大層面白かったのでこれは嬉しかった。無論、この「猿猴の襖絵」の話も出て来たから、尚更だ。日本画には色々な仕掛けがしてあったりして面白いものだ。特に襖絵には部屋に意味合いを込めていたりするので…


写真は撮れないからチケット。




方丈には八窓席、という重要文化財の茶室があり、こちらは小堀遠州作。この人も作庭家、茶人など色々な顔を持った人だったようで、京都めぐりをしていると必ず出会う名前。
京都三名席のひとつだそうで、茶室としては窓が沢山あるので開放的。

窓からの木漏れ日でピンクや緑に窓が色づいて、チェックの模様に見えるのを説明してくださった。


「今日は晴れているのでいい色になっています。曇りなら緑しか見えないんですよ」

雨の日なら、どんな風なのかな。



さて、南禅寺から少し北側へ歩くと、もみじの永観堂。




大玄関の傍には鮮やかな色のさるすべりが。



秋ならば東福寺と同じく人であふれかえっているお寺だけれど、参拝者は20人もいないだろう。

ご朱印をお願いし、中庭を眺めながらのんびり汗が引くのを待つ。けこけこ、小さな声のカエルがいるようだ。




こちらは臥龍廊。登って降りて、さらに廊下を渡って、みかえり阿弥陀様のおられる阿弥陀堂へ。 誰もいない。

永観律師の念仏行中に、いつのまにか前を阿弥陀様が歩いていて、「永観、遅し」と振り返られた、という面白い話。本当に、振り返った姿の阿弥陀様だ、意外に小さい。

今まで阿弥陀堂に上がったことはなかったはず。

覚えている限りでは、母と叔母たちのうちの誰かが、石段を上がっていって、お詣りしていたように思う。

私はその頃はそれ程関心がなかったので、下で待っていて…後で、やっぱりお詣りすればよかったかな、と思ったのを覚えている。

ここは4度目か。

母や叔母たちと来た、2000年頃が最初、翌年同居人と。どちらも夜の紅葉のライトアップを見た。一昨年は昼間に行って夕方ごろの紅葉を楽しめた。


春夏の青紅葉もいいだろう、と思っていたが予想以上だった。



なんか変な格好のアオサギ。羽を乾かしているのか?






ところどころにイロハモミジがあるので、紅葉と青紅葉がセットで見られるお得感。そして、人がいない!この炎天下、お寺巡りする人はそう多くはない。

夏の京都はいい。




となりの幼稚園の子供がアオサギに挨拶をしていた。



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京都最古の禅寺・半夏生の花

2016-07-25 19:24:03 | 現実
梅雨の晴れ間、めずらしく陽のあかるいある日、建仁寺を訪れた。

京阪祇園四条駅から祇園を抜け、その奥に、よくこんな街中にこれだけ広い敷地を…と思う位の規模のお寺である。
京都最古の禅寺、臨済宗建仁寺派の大本山だ。



建仁寺と言えば、やはりこれ。



俵屋宗達の「風神雷神図屏風」。但しここにあるのは、キヤノン作高精細デジタル複製、だけれど。本坊入ってすぐにほとんど真っ暗な部屋がありそこに浮かび上がるように展示されていて、複製といえど、なかなかだ。


方丈の大雄苑の枯山水。
みな、のんびり座ってくつろぎつつ庭を眺めている。有名な龍安寺の石庭より、緑が多いのでなんとなく、ゆったりした風情だ。




あ、お庭に「安国寺恵瓊の首塚」がある!
今は出てないけど、「真田丸」関ヶ原の戦になったら出てくるのかしらん?
はねられた首はここにあるんだ。臨済宗のお坊さんだったのね。




今日の目的はここではなく、塔頭のひとつの両足院。
sodakyotoで「半夏生が見頃」となっていたからだ。このサイトの良い所は、月ごとに花の名前で見頃になっているお寺を調べられること。
正直、半夏生、なんて、見たことはあったにしても意識はしていなかった花だ。



書院前庭の池のまわりは半夏生でいっぱい、涼やかで、名前どおり。半夏生、は「半化粧」とも言われるそう、少しずつ白くなるけれど、上の方の葉っぱの3枚だけが白くなるんだとか。湿気の多い季節に爽やかさを呼び込む色合い。

特別公開なので、お茶を頂いて、庭に降りられるチケットを買い求めて茶席の「臨池亭」へ向かう。



池に映る姿も爽やか。

あ…茶室、本格的…私、お茶なんて出来ないんだけど…ちょっと前の「真田丸」の真田信繁が縮こまって座ってたのと同じことになるか???

しかも、私は4月の怪我いらい、足首が固まってしまって正座が出来ないのである。


どしよ…


しかたなく、半分身体傾いた正座で許してもらうことにし、周りの方でお茶やってそうな方の真似をすることにする。なんとなく、お茶運んできてくれた方の目が冷たかったかも。


お菓子は、お饅頭。後でお坊さんが説明をしてくれたが、この両足院は、「饅頭始祖の寺」なのだそうで。中国のお坊さんが来日時お饅頭文化を伝えたと言われているとか。

建仁寺は栄西禅師開山だけれど、栄西禅師は「茶祖」、中国からお茶の種を持ってきて栽培を進めたというお坊さん。

「お茶と饅頭の始まりの御寺なんですよ、ちょうど良いでしょう?」との説明があった。うん、こういうのはあんまり皆知らないよね…。


お茶とお饅頭でちょっと小腹も満たされたので、くねくね祇園あたりの路地を歩いて帰る。






金魚泳いでるけど、この水盤何なんでしょ? 金魚飼うためのものにしては立派過ぎるけど、噴水? いいねえ、こういうの家の前にあるって。


桔梗も今が盛り。浴衣の色にぴったりの花の色。









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東福寺・青紅葉。

2016-07-19 23:32:33 | 現実
夏の禅寺は良い。

何が良いか?すっきり、涼しげなのである。

東福寺は紅葉の美しさで人気の寺。京都五山の一つ、創建は鎌倉時代ということ。紅葉の名所であれば、つまりは青紅葉も美しい。
2010年あたりに紅葉を見に行ったことがあり、その年は紅葉の当たり年、燃えるような、という表現がここまで似合う場所があるだろうか、という見事な紅葉を堪能した。

夏の通天橋。



人、いない…。すっきりの極致。





紅葉の時は、この橋の上は行列でなかなか前に進まなかったものだ。

通天橋はかなり高い所にあり、数々の木々の谷を見下ろすように作られていて、ここからの眺めは素晴らしい。




2010年秋に同じ場所で撮った紅葉は、こんな感じ。その頃はExlim携帯で写真撮っており、そこまで色は良くないが…



この橋の上、良く時代劇に使われている。「女信長」でもここで密談してたし、確か「軍師官兵衛」あたりでも見たような気がする。いい感じだもんねえ…この長々と続く木の橋にうっそうと茂る木々。




こちらの方丈庭園は、重森美玲作、八相の庭。この方の庭園、京都のあちこちで見てきた。松尾大社など。こ石を上手に調和させた庭園。この方は縦長の石がお好きなようだ。




こちらは北斗七星の庭である。私はこれが好き。



大好きな「夏にお寺の板張りの廊下を裸足で歩く」も堪能した。


曲がり角の向こうはもっと、暑いかもしれない。











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早朝、祇園祭

2016-07-18 16:21:47 | 現実
朝、起きられたら行こう。

目が覚めなかったら行かない。

よってアラームはセットしない。

くたくたに疲れて帰った土曜の夜、そう決めた。初めは、土曜の夜仕事が終わってから速攻で京都へ行き、駒形提灯に灯が入ったところや、夜の山や鉾の写真を撮ろうかとも思っていたが、ここの所土曜日は死ぬほど疲れて終わる。夏バテか?もともと超ハードな日ではあるけれど。

はい、仕事終わり、先週の土曜日と同じく、もう、何も考えられない…と言うほど疲れてしまったので、カメラ持って行っていても無理だったろう。

そこへ同居人からLINEが。毎年この時期にある会議で尾道に行っていたが、飲み会で帰れなくなったので泊りになると言う。

ならば同居人は明日午前中に帰ってくるのが通例。

その前、早朝に写真撮るのも面白いかも? 10時頃からの山鉾巡行はもともと、三連休の中日の日曜なら凄い人で写真など撮っていられないだろう、ちょうどその時間は暑くて大変だし…と思って予定には入れていなかった。以前、行ったときはシャワー浴びた如くに汗だくになったのだ。

しかし5時には起きないとダメよね…この疲れで、起きられるかな…と考えつつ寝室へ。ここの所、クタクタすぎてかえって眠りに入りづらい状態でもあったのだが、案外良く眠れ、ふっと目が覚めた。

ちょっと明るい。 時計を見ると、4時45分。よし!これは祇園祭に呼ばれていると言っていいだろう。

電車は5時54分。こんな時間に電車には乗ることはないが、結構駅には人がいるのだ。日曜だというのに…お出かけ風でもない。たくさんいるのは「部活動」の高校生だ。


阪急を経由して京都、烏丸駅に到着、7時。早朝にもかかわらず、かなり人が来ている。大きなカメラ持っている人が多い! そうでなくても皆、スマホかざして写真撮っている。
昨今の事情からか、警備の人も相当多い。



それにしても高い!長刀鉾。







この懸装品、以前の写真探してみると、同じもののようだ。









日付は1996年7月17日。きっかり20年前だ。乗っていた方々の面々も変わっているのだろうな。この長刀鉾に乗る稚児も、いまでは30歳くらいになっているだろう。








月鉾の西側から東山方面を臨む。函谷鉾、長刀鉾が見える。いつもは車でぎっしりの四条通りを通行止めにしちゃうんだから、すごいなあ、歴史のあるお祭りって。

少し歩き回ってあちこちの山や鉾の懸装品を見てくる。残念ながら雨模様なので、巡行まではビニールの袋をかぶっているものが多いが、西洋画風のものあり、七福神あり、フクロウが飛んでいてタロットカード風のものあり、神社がのっかっているものもあり、山伏山には山伏の人形が。スタッフは山伏の絵がバックに描いてあるかっこいいTシャツ着ている。
このあたりは現代的になっているのか。






乗せているものを調整したり、巨大な車輪を掃除したり、辻回し用の竹を挟みこんだり、関係者の方は忙しそう。

そろいの衣装…半被風のもの、浴衣、立派な裃等に身を包んで、記念写真を撮ったり、雑談したり打ち合わせしたり。

長刀鉾のあたりでは、「今日はよろしくお願いします!ゆ~っくりね。ゆ~っくり動くようにしてください」と曳き手さんたちが言われている。




おっ、きれいな舞妓さん、ほとんどすっぴんで浴衣姿。となりの女性の帯は駒形提灯、この時期しか使えない帯を持っているのが凄い。置屋の女将さんだろうか。


20年前はこんな様子も見られた。




それにしてもすごい湿気、その上雨が本降りになり始めた。 桟敷席に人々が案内されているが、ベンチはびしょ濡れである。どうするのかな? ビニールでも敷くのかな?カッパでも着せるのか。

段々四条通の人が増え、湿気も増してきたような。 

退散。いつもちまきを買う、八坂神社御旅所ではまだ用意ができていない、というので八坂神社まで足を伸ばすことに。
こちらでは神輿の飾りつけ、スサノオノミコトをお乗せして行くそうだ。

去年のをお返しして、今年も授けて頂きました。




デジブック 『早朝、祇園祭』
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紫陽花寺・三室戸寺・流れ橋。

2016-07-11 22:56:10 | 現実
三室戸寺は3回目。

最初はちょっと、カラカラ紫陽花。2度目は見頃。今回はどうか?

今回は同居人の車で朝早く出かけたが、すでに駐車場はほとんど満杯。一歩遅ければ場所がなかった。さすがに紫陽花寺で有名なだけある。しかも日曜なのだし。

ここは紫陽花が一万株あるのだそうで、紫陽花の道を抜けて歩いていく感じ、先日の岩船寺とは敷地の大きさも違うので開放的でもある。





何種類の紫陽花があるのか。



ここは石段を上がると本堂で、本堂前には蓮が沢山、鉢に植えられておりこちらも見頃だった。7月初めには、蓮の茎でお酒を飲む会があるはず、私はどちらにしろ下戸だから試しに来る気はないが、酔っ払いそうだなあ…

良いお寺なのに残念なのが、売店の方や、ご朱印書いて下さる方がなんだかものすごく愛想悪かったこと。

売店の方は、買ったものを袋に入れて黙っている。「おいくらですか?」と聞くと、「千円です」ぶっきらぼう。
ご朱印書いて下さった方は、私がお金おく箱に気付かず手渡そうとすると、黙って箱を指さす。…なんか、ちょっとがっかりな対応である。

さて、このあたりでようやくお昼ごろ。ランチはどうしようか、と言う事になり、同居人は何故か、車を木津川べりへ。

「向こうに橋が見えるだろ、その下の方に木の橋が見える?」

私、超望遠レンズ持ってるので見てみる。

「あるね。人が渡ってる」





「近くに地産地消の店があるはずなんだけど」

スマホで探してみる。

「あ、これだな」

四季彩館、八幡家、とある。

行ってみると、野菜の直売所のそばに食べ放題のレストランが併設されているようだ。けっこう、こじゃれたお店で、野菜中心のおかずも美味しい。どれも控えめな味付け。



満席で、予約客が来るまで、と言う事で席を作ってもらった。ところが予定外にその人たちが早く来たので別の席に移ってほしい…との事、特に問題ないので移ってあげたら、サービスにソフトクリームをデザートにくれた。ラッキー!




「腹ごなしに流れ橋見てこようか」




欄干がない橋が広い木津川にかかっている。水害時には、上部のみが流されて、橋脚は残るように作られているのだとか。
ネットで見てみると、この橋、ここ数年しょっちゅう流されている。
税金の無駄遣い、という声もあり、しかしながらこの橋をfeatureしたお蔭で四季彩館は来客がどっと増えたとの意見もあり、だそう。
今回はワイヤーでいくつか橋板をつなげて、全部流されるのを避けるようにしてあるのだとか。



木津川、結構増水中。こども、ここで遊んだら危ないのでは?うっかりふざけて落ちたらあっという間に流されるだろう。
川べりでは親子連れが網持ってなにか捕って遊んでいるが。




こういう橋ならそうもあろう、和風コスプレイヤーが来ている!
刀を持った子が、欄干ないのでびびっているようなのが面白い。







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2016-06-21 00:14:33 | 現実
十数年ぶりに蛍狩りに 奈良まで夜のドライブである。


「針インターまでとりあえず行って、土砂降りならあきらめて帰ろう」と同居人。

「しとしと位なら少しは飛ぶっていうけど本降りなら無理だろうね…」

「しかし、針インターまで行って道の駅でご飯食べて帰る、ってのは避けたいな!」


日曜の天気予報は雨。だったが、午後は雨が上がった。スマホで天気予報見ると、大阪も目的地の奈良の方も、雨10%。しかし、空はどんよりしており、時折フロントガラスに雨粒が。梅雨真っ最中だからなあ。

7時半針インター到着、雨は上がっており、まだツバメが飛び回っている。そろそろお家に帰るころだろう。日が一番長い頃だからまだ明るさが残っているが。

「ここまで来たら行ってみよう!」


10何年前に行ったと同じ、奈良、室生寺の傍を流れる川の辺りを目指す。 その頃はネットで情報を集める、と言う事はしておらず、我が家でもPC買ったか買わなかったか位の時期、情報は同居人の仕事のお得意さんからのものだった。今ではスマホでいくらでも出てくるからかえって選択が難しかったりするところだが。

その頃は道路を整備中で、ショベルカーが止まっている、その脇を川が流れ、ふわふわと光る蛍が飛んでいた。そんなにたくさんの蛍を見たことがなかったので今でもその光景は印象に残っている。

さて、今回は。

「車、結構止まってるね!」

橋のたもとにたたずむカップルもいる。 蛍の飛ぶ最初の時間、8時はギャラリーが多いだろう、やはり。昔は次の時間帯、11時頃に行ったのであまり人はいなかったのだ。

真っ暗な道、もう今は整備されているから通りにくくはないが、あちこちに車が。真っ暗ではあるが、山に霧がかかっているのはわかる。

われわれは河原の広い場所、木々が多く、川向うは山になっている所に陣取る。スゴイ湿気だが、雨上りの湿気の多い日によく飛ぶ、と聞いた。

ふわふわ、ふわふわ、前に見た時に思ったように、じっと見ると見えなくなってしまって、違う所が光る。幻想的、という言葉はありふれているがまさにそれ。現実味がない。
周期的にたくさん光ったり、急に見えなくなったり。
なんだかよく左に流れていくような?


もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る



和泉式部の歌の中でも私の好きな歌、つい思い浮かべる。これは貴船川の蛍だけれど。


何を思ったか川を渡ってこちらに飛んでくる蛍も。 意外に、高い所も飛ぶようだ。光ったり、消えたり、光ったりしながら木の枝に止まる。

これを千年もの昔から(もっと前かも)ずっと楽しんできた日本人で良かった。そんな心持にさせられる。
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雨の紫陽花寺。

2016-06-17 01:35:43 | 現実
いやいや、ここをバスが通るの?小さいコミュニティバスとは言え。

「次、尻枝に止まります」

ここ、止まっても何もない…回り、木しかないけど?なぜここにバス停が?

と言うような道を通って京都木津川市、紫陽花寺、岩船寺へ。 アクセス悪そう、とはマップ見て思ったけど、ここまで山奥とは。コミュニティバス、って初めて乗った。
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」みたい。しかも、乗ってるのは私だけ。



一時間に一本だもんね。

着いたのは門前すぐ下、回りには意外に家々が。

石段を登って門をくぐるといきなり紫陽花だらけ。






凄いねえ。周りの木々があまりtrimされておらず自然のままなのがかえって良い。三重塔がその木々の中から覗いているのが。 

雨に紫陽花、やっぱり、これ。お天気の良い日の紫陽花はぱさついた色合いに見えて。

紫陽花は鉢植えで買っても、物凄く水を吸う植物だけれど、梅雨時のこういうお天気が好きなんだよね。活き活きしている。


参拝客も5,6人しか人もいない。
無論みな立派なカメラを構えている。紫陽花写真目当てのアマチュアカメラマンばかり。この雨では。

ご朱印頂きに本堂へ行くと、びっくりするくらい大きな、見事な阿弥陀様が鎮座している。本堂自体は小さいのだけれど。

「今日は静かでいいです。昨日は(日曜)3時くらいまで晴れていたから、すごい人でしたよ」

書いてくれたお坊さんが言う。確かに、それ程広い境内ではないし、木々の間を抜けて歩く感じなので人が多ければそれは大混雑になるだろう。




さて、ここはテキパキ動かないと、バスは1時間に一本、逃すとまずい。次の目的地、浄瑠璃寺へ。
細長い本堂、横一列に阿弥陀様が9体並んでいる、九体阿弥陀如来像が有名な寺。もう、ここにしかこの形式の本堂はないそうで、むろん国宝である。一体一体の前に扉というか障子があり、本来外からそれぞれ阿弥陀様を拝むようになっているらしい。

しかしながら猫が本堂の外で寝ているのが面白い。国宝で猫が寝ているゆるさはいいな。人馴れしているようでさわっても写真を撮っても「知らんわ」とばかりに眠りこんでいる。




彼岸(本堂側)と此岸(三重塔側)を隔てる大池にはヘビが泳いでるし。なんだかとがったもの泳いでくる、と思ったらヘビだった。泳ぐヘビって初めて。

此岸から悟りを得て渡ってきたのか?














デジブック 『雨の紫陽花寺。』
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雨上り。

2016-06-06 19:41:24 | 現実
先週は日曜出勤、帰りはちょっと雨に降られた。

月曜は曇り空。天気予報では午後から晴れるとの事、では、と出かけることに。

その前の週まで真夏並みの暑さ、なんでも7月下旬位の気温の日もあったそうだ。

雨のお蔭で涼しくて歩くのにちょうど良さそう。


37年ぶりの広隆寺。雨上りの為、つつじや青もみじにも水滴がいっぱいで涼しげ。







国宝第一号、優雅な弥勒菩薩半跏思惟像、がある有名なお寺だが、月曜日のせいか人は少ない。修学旅行生は近くの太秦映画村方面へ歩いていく。

静かな庭を通って新霊宝殿に。ライト暗めの中に国宝、重要文化財の仏像がずらりと。さすがに弥勒菩薩様は真中に、しかもかなり奥まって鎮座。

修学旅行で来た時はもっと近くで見たような?

この建物自体かなり新しそうなので37年前は違う建物に置かれていたのだろう。後で見ると、霊宝殿と書かれた建物がほかにあった。


弥勒菩薩像の写真って、たいてい、右横か左横から、斜め45度くらいで撮られたものがほとんどだが、何故かよくわかった。正面から見ると、胴が細すぎで、あまりバランスがよく見えないのである。優雅だけれどなんとなく、頼りなげに見えるので正面写真がまずないのだろう。

…それにしてもちいさな仏像なので、遠いのが残念。暗いし…もっとそばでじっくり見たいものだ。

もひとつ残念だったのが…ご朱印がスタンプ。日付だけ書いてくれる。清明神社パターン。



さて、気を取り直して、ここからは徒歩で10分位、「三柱鳥居」のある、蚕ノ社へ。木島坐天照御魂神社、が正式な名前だけれど、嵐電の駅の名にもなっている蚕ノ社で通っているようだ。




「三柱鳥居」は、京極夏彦の小説「絡新婦の理」でも取り上げられているし、阿部晴明のマンガ「陰陽師」でも描かれているのでいちど見ておきたかったのだ。

確かに面白い形。縁の秦氏に関係する方向に向いていると言う説があるそう。しかしながらこれも柵で囲われて近くで見られない!

そういう日だったのかな…



家に帰って、実家から持ってきた、修学旅行の栞とパンフ(よくこんなものとっておいたものだ!)を出してみた。



広隆寺の弥勒菩薩を自由行動で見に行ったグループは結構いたようだが、私のグループもそうだった。嵐電が家の間をすり抜けるように走るのが珍しかったのをはっきり覚えているが、旅行記を読んでいると、広隆寺を出て違う方向へいってしまい、次の駅まで歩いた、と書いてある。

…太秦の駅は広隆寺の目の前なんだけれど…謎。

上が現在の、下が37年前の広隆寺の栞とチケットだ。書いてある内容は同じ。何を思ってとっておいたのか、見直すことも40年近くしなかったわけだが、こうして並べてみると感慨があるものだ。高校生の頃は、将来関西に住んで、趣味で古都めぐりをするようになるとは考えてもみなかったのだから。



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京都小野の里・勧修寺

2016-05-09 23:48:05 | 現実
歩き回れる位に足が回復し、気をつければ出歩いてもあまり痛んだりする事はなさそう。

趣味の古都めぐり、3月21日以来、怪我のせいで行っていなかった。お天気もいいし、と言う事で日曜日、同居人は仕事だし、ちょこっとだけ行ってみよう。久々の京阪電車、なんだか、懐かしい!

と言う訳で京都山科、小野の里、勧修寺へ。
水辺の花菖蒲や睡蓮が見頃と言う事が、お気に入りのサイト「sodakyoto」に載っていたから。一時間半かかる上乗り換えも多いから、気を付けて歩かねば。

それにお寺の庭園なんて危険この上ないのだ。石段あり段差あり、飛び石あり、池なら滑り落ちる可能性も。カメラ構えながらだとさらに。

捻挫に捻挫を重ねる訳にはいかないので、構えながらの移動はなし、足場しっかり確認して撮影、無事帰宅!


それにしても素晴らしい庭園、想像より池も広々して気分の良い開けたお庭だ。それ程知られている所ではないので、来ているのも観光客というより近場の人たちが多い感じだ。それも、「多く」はない。20人いるかいないか、という所。そこも良かった。

花菖蒲の青、ってどうしてこんなに目に鮮やかなんだろう。

睡蓮のピンク、ってどうしてこんなに上品なんだろう。

水鳥が沢山来ていたので、超望遠レンズを持って行かなかったことを後悔。また、挑戦しよう。




デジブック 『京都小野の里・勧修寺』
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母の5月の手紙+入院記録

2016-04-30 23:41:27 | 母の記憶
明日から5月だ。

一昨日からGW休みに入り、ほっと一息。

特に、職場の繁忙期ラストの4月に足を怪我してしまい疲れることこの上ないひと月だった。
・・・しかし、良かったことも。

・・・骨折ではなかった!

最初に行ったところの先生がどうも、いいかげんな事が多かった。ギプスに治療用の穴をあけるのに反対側開けるとか、膝の怪我の方を忘れてるとか…

しまいには、「ギプス2日にとる予定だったけど、外せる看護師さん休みだからね、GW明けに来て」

この先生ギプス外せないの?自分で?しかも2日って自分で指定しといて?

「じゃ、30日、来れますから」
「30日はまだ早い」

・・・たった2日でしょ???

そうなると5週間、ギプス、しかもGW中も?明けの会議もギプス状態? ・・・う~~んそれは。

しかし、他の病院なら医者の意見は違うかもしれない。

で、近所の別の外科へ。

「立方骨骨折・・・って僕長年やってるけど3例しか会った事、ないですよ。しかも、レントゲンだけじゃすぐわかるような場所じゃないです。見るの難しいから」

で、MRI撮る事に決定、所見は「骨折なし、靭帯損傷なし」

つまりは、ひどい「捻挫」。

ヤブ医者め!!!

骨折なんて経験ないから、だまされた…

ギプス外して見てもらうと、いまだ腫れがあって痛みもあり内出血も相当なので、どっちにせよギプス松葉杖は免れられない状態で、しっかり安静にしていたという事でそれはそれで良かったですよ、と慰め顔の先生。

捻挫でギプス、するんだ…それも知らんかった。

「それにしても4週間以上は、歩けなくなるからしない方がいいです」

思い切って転院したおかげで、3週間でギプスを外せることになった!!

痛みと腫れがいまだに取れないので、外出時は取り外しできるギプスつけるか、思いっきり気を付けて歩くかすればよいとの事。
そこかしこにある点字ブロックなんかが怖いのだ。でっぱりに足がのっかると凄く痛い思いをする。ぐらつくからだろう。

言われたとおり、外した直後はびっくりするほど歩けなかった。力入らず、足が地に着かない(大喜びしてるわけではない)。3週間でこれなら5週間ギプスしてたらもっと大変だったろう。


しかしながら、この足ではムリは出来ないので、昨日は向かいの美容室にカットに行き、今日は近くのコンビニにアイスクリーム買いに行き…のみ。

明るい日差しがかえって恨めしい、ということろだ。
こういう風に時間がある時に、郵便物やなんやかんやの書類を整理するのもよいだろう。


そんなことをやっている時に、母の手紙が入った箱を見つけて開けてみた。久しぶりだ。

私のシドニー在住の頃から、以前住んでいた、大東市の住所あてのもの。今住んでいるマンションあてには来ていない。その頃はもう、かなり具合が悪くなっており、亡くなったのは引っ越しのちょうど1年後だったのだ。



「さて風かほる五月なのに病院のベッドの上なんてがっかりです」

これは、大腸癌を患って手術、その次の年の5月だろうと思う。体調が悪くなって入院したことがあった。
私の「明るい日差しがうらめしい」よりもっともっとシリアスなのだ。

「あの薬師寺のお守りですから、御利益もたくさんあるでしょう」とあるが、確かに、病気なのだからと薬師寺でお守りを頂いて、実家に送った記憶がある。

最後に、送ったアスパラで北海道の味を楽しんで、というような言葉で終わっている。そうそう、アスパラを送ってもらい、あまり見事なのでびっくりしたのだ。





このメモは父が取っておいたものだが、この入院時のもの、6月初めにアスパラの事が書いてあり手紙と一致する。推理小説みたいだけど。

シャワーを浴び髪を洗う、とあるが、母の入院記録にはよく書いてある言葉だ。今の私にはこれを書きたい気持ちは良くわかる。

ギプス外してとうとうお風呂に3週間ぶりに浸かれ、膝や足をカバーで覆うことなく、濡れるのも気にせず洗えるのは爽快そのものだったから。

健康は健康でなくなってみないと価値がわからないというのはここよね、と実感。

ひと月経っても痛む足が治るのはいつかわからないけれど、だましだまし、骨折でなかったのを有難いと思って過ごそう。
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桜は綺麗で…

2016-04-11 20:49:06 | 現実
やれやれ。

桜にしてやられてしまったかな。ここで足骨折とは。

土曜の朝、意外に支度が早く整って、さ、いつもの通り出勤前のセブンカフェ、とコンビニに寄ろうとした私の目に映ったのは満開の桜。

駅の前の小さな、ロータリーっぽくなったタクシー乗り場辺りに、桜の見事な木があるのだ。周りはパチンコ屋、居酒屋、すし屋、銀行、とあまりぱっとしない景色、駅も取り立てて面白いデザインなわけではないのがもったいない、という大木。

それでもだいたい毎年、満開になったら写真を撮っていた。

時間あるし、撮って行こう…とスマホ持ち出して構えたのか?バッグから出そうとしたとこだったか?いまいち覚えていないが、その瞬間、乗り場の段差を踏み外して転んだ。

痛くてしばらく立てず、座ったままでいたくらいだったから、結構な転び方だったのだ。

その時は擦りむいた左膝の方が気になって、「もお~血だらけだし~」と薬局に寄って学校で消毒液と絆創膏で処置、捻挫した右足腫れるかも、と貼り薬、「まあこんなもんか」とレッスンを始めた。が、段々右足が腫れて痛み、歩きにくくなってきた。

しかし土曜日と言うとレッスン目白押し、どうにもならず立ちっぱなしで一日を終え、ほうほうのていで帰宅。亀の歩みで、いったいいつになったら家にたどり着くかなあ?というスピードだった。
運悪く同居人は出張中。迎えに来てももらえない。後で考えたら、なんでタクシー乗らなかったんだろ? なぜか頭に浮かばなかった。

足は出来そこないの山芋風に腫れ上がっててびっくり。

月曜まで待って整形外科、レントゲンの結果は「立法骨骨折」ということだった。「捻挫じゃこんなに腫れないですよ」と先生。

足の甲の、四角い骨で、それがつぶれた形だそう。ティッシュの箱をつぶしてしまったような、という説明を受ける。

自分の足の骨なんてめったに見ないのでついつい、「外反母趾ですよねえ」と聞くと、「ん?いや、ここにちょっとしこりが出来てるだけ、外反母趾傾向、くらいだね・・・いや今は骨折のほうね」

…そうでした。



ギプス松葉杖4週間ということ。

「脚上に上げておとなしゅうしとって」
「仕事で天王寺まで行くんですけど」
「そりゃ無理でしょ」
「でも行かないと」

という押し問答の末、ギプス、中のクッション材超厚めにして防備してくれた。





今のギプスって、石膏で固めるんじゃなくて包帯みたいなの水に濡らして巻いて作るのだ。骨折なんてしたことなかったから知らなかった。グラスファイバーで出来ているのだそう。
しかもヒール付き!
先生は、あくまでも家用、と言うが、これがあるとギプス自体も汚れず外も歩きやすくてよい。便利になっているものだ。

学校で外人の先生方が、「K先生、ギプスにヒール付けたのか!?」とびっくり仰天、「いや、私じゃない、お医者さん。そういうギプスなんだよ~」というと驚いていた。

松葉杖の指導を受けるが、これまた大変。なるべく右かかとつけずに歩くには腕のパワーが凄くいる。4週間経ったら腕筋肉ムキムキ、脚は逆に筋肉なし、と言う状態かなあ…

左ひざは打ち身と、でっかい擦り傷で色とりどりになっているし…こっちの方が痛い位。

気になるのはお風呂。漬かるのは無理でもシャワーは浴びたいしごみ袋でカバーかなあ?服はどうしよう、ギプスがごつ過ぎてパンツの脚部分が通過しないのだ…スカートとハイソックスしかないか?タイツの脚を片方切るか?等とあれこれ、ネットで調べてみる。

ギプス経験談は相当載っている。




これは「ごみ袋で水漏れの心配しつつシャワーする位ならこれを買うべき、たとえ数週間でも価値あり」と書かれていたギプスカバー。アマゾンの翌日便でゲット、3000円弱。丸い部分が強力なゴムで、レビューに書かれていた通り、全然水漏れしない!スグレモノである。

という訳で1週間が過ぎ…ギプス生活にも大分、慣れてきた。松葉杖はかなりつらいけれど、左ひざがましになって支えやすくなってきた。骨折の右足を打ち身と傷の左脚で支えて歩くのは結構きつかったのだ。

「桜にやられたなあ」と車で迎えに来てくれた同居人が、駅前に近づいた頃、つくづく、と言う調子で言う。パチンコ店のネオンの色でこれまた綺麗に染まったあの桜。

「そおだねえ…桜にぶっ倒されちゃった」

でも、たぶん、そうではないのだ。

ここのところ、ずっと私は焦っていた。

できるだけ色々な所、大好きなお寺巡りもして、行ったことない所も見て回らなきゃ、桜は雨降っちゃったけど、次の週末あたりでもまだ見られるところあるはず…どこにしよう、とあれこれ考えていて、予定を詰め込むつもりでいた。

朝早く行けば、有名な仁和寺の御室桜、そこまで混んでいないかも?同居人の車で行こうか。 翌日の月曜は山の方はどうだろう、まだ見られるかも?月曜は全部、花の撮影に使おう…

これまでも、月曜の休みにはまず家にいることなく、京都や奈良、古都巡りに必死だった。朝早く出、帰ったら大慌てで家事の片付け、晩御飯の支度、と大忙しだった。


「焦らなくてもいいんだよ、少しゆったりしなさい。体を休めなさい。また桜も見られるし、古都めぐりの時間だってまだまだあるんだよ」とあの桜が言ってくれたような、そんなふうに、先週の日曜は考えていた。天気も悪いし、同居人も長い出張で疲れており、どちらにしても、恒例のお花見弁当は無理だったのだが、もし足が痛くなかったらもっと残念感(?)が強かっただろう。

次の日、月曜に病院で骨折がわかったのだが、午後には休みを取った同居人と、車で整骨院に行った。痛みをとるならここ、と知られている所、ここには二人とも体のあちこち痛むときには通って2年ほどになる。

「骨折はしんどいですけど、これで大病免れたかもしれません。そういう事、あるんですよ。まあ、ポジティブに考えようというのもありますけどね」と先生は笑う。

私が考えていたのと同じような事を。

それから1週間、しんどい松葉杖通勤と仕事、終えた週末は動きようもなくゆっくり。久々に古い写真の整理をし、WEB上に保存もし、同居人と「食べ物写真」「温泉写真」を懐かしがり…のんびり、過ごした。 これが、必要だったのかな。

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満願の日 第二十三番・東寺

2016-03-28 18:58:53 | 洛陽三十三所観音巡礼
同居人に車を出してもらい、3月末と言うのに寒い中、東寺へ向かった。

同居人は昔、月一で京都での会議があり、会議のあるホテルが京都駅近くだったためしょっちゅう東寺の傍を車で通っていた。しかし、入ったことはなかったそう。

「五重塔を外から見るだけだったな」

東寺の五重塔はさすが日本最大だけあって、色々な所から見えるのだが。




講堂の立体曼荼羅は迫力だ。大日如来を囲む数々の菩薩、明王たち仏像。国宝ぞろいである。

「正面斜め上位から見れたらもっと面白いかもね」

後ろの仏像は見えにくいのだ。


さて、洛陽三十三所巡礼のトリは東寺となった。

トリ候補は三十三間堂、清水寺、また三十三番清和院、などがあったことはあったのだ。

実は4年前に東寺には一人で来ていたのだが、その日から3週間ばかり、気分の悪い日が3週間も続いて大変な思いをしたため、東寺→その後具合悪くなった、というイメージがついてしまっていた。

別に東寺には責任はないのだが。

それを払拭するため、ラストに持ってくることにしたというのも、実はあり。〆には同居人を連れて行きたかった、というのもあり。さらに言えば、新しいお寺用のご朱印帳、東寺のが良さそうだったから買おうと思っていたのもあり。





東寺の境内のはし、食堂に十一面観音様がおられる。カラフルな観音様だ。

隅の一角で写経している方たちもいる、さすが弘法大師さまのお寺、お遍路さんの巡礼用の笈摺、白衣も売っている。ご朱印所も長い列が。結構、賑やかである。

同居人と一緒にお詣りして、ラストのご朱印と、満願証を頂く。かっこいい!






始めたのは一番札所、六角堂、去年の4月だったから、ちょうど1年で満願。三十三回、同じお願い事をするというのもなかなかない事。

この巡礼がなければ一生訪ねなかっただろうお寺もあり、面白い経験でもあった。

観音様たち、ありがとうございました。

蓮をかたどった可愛らしいろうそくを水に浮かべて、食堂をあとにした。











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第三十番・椿寺地蔵院

2016-03-14 23:00:07 | 洛陽三十三所観音巡礼
さあ、咲き具合、散り具合はどうかな?

覗いてみると…





満開!

よし!


洛陽三十三所第三十番札所、椿寺地蔵院。 この季節を待っていた。 

巡礼を始めたのは去年4月初め、その頃行っても良かったはずだが、なんとなく、三十番を初めに持ってくるのも?と思い。


つい最近ここのお寺がFacebookのページ持っているのを知り、開花状況を見ることが出来るようになっていた。

「散り椿開花してしまいました。二月の開花は例がないそうです」というようなコメントを見てちょっと焦っていた。三月後半が満開なのだが今年はいったい満開はいつになるかわからない、という事も書いてあり。

ちょうど良い時期と休みの日が合えばいいが…まあ、桜ほど急に散らないだろうし。

良かった、ホントにちょうど良い咲き具合散り具合。













この椿は、太閤秀吉が「北野の大茶会」の時、この場所を使った事から献木したものだとか。北野天満宮はすぐ北側にあるのだ。

残念ながら私が見た木は秀吉の献木したものの二世だそう。それにしても見事な大木、これで樹齢120年だとか。一世は樹齢400年、昭和58年に枯れたという事、大学生の頃に来ていたら一世が見られたのか。








行基創建のこのお寺の十一面観音菩薩さまで、私の洛陽三十三所巡礼、32番目。 結局ラスト、33番目は東寺の観音さまに決定!










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まだ寒い。

2016-02-22 22:38:46 | 現実
うん、寒い。

寒い中、たくさん歩いた。

今日は日差しも弱く、2月末としては寒いのでは。と思い去年を振り返ってみると、同じ時期に奈良の般若寺へ水仙を撮りに行っている。

あの時も寒かったな…そういえば。天気も同じような曇り空で。


今日も奈良、東大寺。それこそ去年の般若寺の近くだ。というか、有名度で言うと般若寺が東大寺の近く、と言う風になるのだろうが。

東大寺に行ったのはたぶんずいぶん前だろう。「大仏様は写真撮っていいんだなあ」と思った記憶があるから、写真撮ったのだろうがなぜか、ファイルにない。


大仏殿はさすがに大仏様が入っているだけあって、でかい!







平家の焼き討ちで焼け落ちたというのが信じられない位の迫力の廬舎那仏。

以前来た時と違うのは、やはり外国人観光客。ここは有名どころだけあって、9割がた外国人のように思える。大仏殿前の通りで、鹿と記念写真撮っているのも外国人ばかり。やはり、野生動物がお寺の傍を我物顔に歩き回っているのは珍しいのだろう。しかもさわれるのだから。

それにしても鹿の数も増えてないか?ここまで鹿をよけつつ歩いた記憶はないのだが。




二月堂の傍にも眠たそうな鹿が。

二月堂まで足を運んだのは初めて、こちらの方が大仏殿より良い。 「お水取り」で有名な建物だけれど、こうして昼間に上がってみても、景色もよくて良い。ここにはそれ程外国人も来ないようだ。この建物から松明が見えるのは迫力だろうな。




観音様が祀られている辺りも質素で落ち着いた感じで、静かだ。




しかし、寒い…

手が冷たい…手袋してたら写真撮れないし、な。 

二月堂下のお休み処できつね蕎麦を注文する。あったまろう。

「はい、たぬきひとつ!」

とおじさんはキッチンに向かって叫ぶ。

あれ? それって大阪だけでなく奈良でも逆だった? 載っていたのは天かすでなく、私の注文した油揚げでの方であった。やっぱり逆なんだな。


外国人男性を4人ばかり連れた中年女性がいる。 うどんとそばの違いを英語で説明している。発音は「ジャパニーズ」だが、内容はちゃんと説明が出来ている。ボランティアガイドの勉強をした人だろうか。そういえば大仏殿近くでも60歳位の男性が外国人二人に英語で説明しながら歩いていた。
最近は英語で観光案内、のニーズあるだろうな。

鹿も寒いのかな。せんべいが欲しいだけかな。



さて、ここから春日大社へ。その前に手向山八幡宮がある。

「このたびは 幣もとりあえず手向山 紅葉のにしき 神のまにまに」

菅原道真の、百人一首の句に詠まれている神社。ここにあったとは知らず。



なんだかかわいらしい鳩さんのマーク。 


春日大社は…大きい神社はたいていそうだけれど、あまり印象は強くない。 建物に由緒がある、というものではない事が多いからだ。 ぴっかぴかに塗られているし。
ここは第六十次式年遷宮である。

天皇家そろい踏み、これは印象に残るなあ。さすがである。






そろそろ馬酔木が盛りの季節だ。スズランみたいな花はかわいらしい。




春日大社を出ると、森の中を歩く路が。

「上の禰宜道」を行く。あの春日大社や東大寺のにぎわいが信じられないほど静かな道、誰も歩いていない。今日は混雑覚悟で来ていたから、こんな静かなお散歩は想定外、気分がよいウォーキングだ。





わ、ここも人がいない!

新薬師寺は薬師如来様の回りをかっこいい十二神将立像が囲んでいる、という配置の本堂、入ってみると、とても暗い。蝋燭の灯りしかないのだ。 おのおのの神将の前に蝋燭台が置かれ、その蝋燭の灯りに照らされるお目目ぱっちりで美しい仏様、強面の神将たち、うん、これは素晴らしい。
この雰囲気はよい。静かで人もいないし…
十二神将立像が人気、と聞いていたが月曜だからか。

私の寅年の守り神は真達羅(シンダラ)大将。中では穏やか目。人気があるのは伐折羅(バザラ)大将らしい。戌年の守り神だ。


さあ、どうしよう?百毫寺? 花の寺、だからいってみたいんだけど。
一キロくらいあるけど…レビューで、「階段がきつかった」って書いてた人がいたけど… ここまで来るのはめったにないから、行ってみようか。








うん、長谷寺とか、神護寺に比べたら全然。段々がばらばらな感じなのと、ひっかかりやすい石が多いから気をつければいいだけ。

ここも人がいない。

いや、この石段、いいよね、むしろ。







椿が盛りを迎えつつある境内からは奈良市内が一望。

そろそろ、あの向こうへ帰ろうか。また、歩くなあ。











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第十番~十四番清水寺・第九番青龍寺

2016-02-15 20:58:31 | 洛陽三十三所観音巡礼
「なんか暑いような気がするんだけど」「暑いですよね?」と職場で不思議がった土曜日。

後で聞いたら5月位の気温だったとか。それで冬の服装なんだから暑いに決まっている。

天気予報では「来週は冬の寒さに戻りますので、体調管理に気をつけましょう」とのこと。


はい、確かに今日、月曜日は寒かった。けれど違うのは日差し。空気は冷たいけれど、日差しは確実に春を思わせる強さに変わっている。もう冬の寒さ、とは言い難い。


清水寺は、正直な所それ程、普通に行ってもあまり感動はしない。もう何度も行ったからだ。去年の夏の様に、内陣に入って千日詣りする、というのならちょっと違うけれど。

洛陽三十三所では、ここの5つのお堂を回る事になっており、行った人のブログを読んだところ、三十三所のご朱印は、本堂のご朱印所でいっぺんにもらうのだという事だった。

そもそも、5つのお堂って???そんなにあったの?「寺」ってなってるとこもあるけど…舞台の所が本堂だけれど、その他は今一つわからない。


清水寺には祇園四条駅から行くルートと五条駅から行くルートがある。どっちにせよ20分以上歩く。私は五条坂の混雑を避けて、南側の大谷廟の無数のお墓の横を通る道が好き。
まずここを通って清水寺に行く人はいないので、静かなのだ。
お山にびっしり、それこそ「生えている」ようなお墓群はまったく、怖い感じはしないし。

あれ?

「土砂崩れで通行止めになっています。ここから清水寺には行けません」

???土砂崩れするようなとこ、あった??左はお墓群、右は小さいお寺やなんかがあるだけだと思ったけど…

しかたない、茶碗坂を登る。




観光客がまず最初の記念写真をよく撮っている仁王門のすぐわきに、清水寺善光寺堂がある。いやいや、こんなに小さなお堂、今まで全然気づかなかったわ…みんな仁王門の方しか見てないもんね。

覗いてみると、明るくて如意輪観音様がよく見える。かわいらしい!!如意輪観音って、座っていてポーズがリラックスしていていい感じなのだけれど、この観音様は顔がカワイイ!

ちょっと、阿部サダヲさんに似ている。





次は朝倉堂だが、残念ながら工事中で参拝できない。名前の通り、越前の朝倉家が寄進したものだそう。


さて、本堂。入る手前に梅が。






左右の腕を頭上に高く挙げて化仏(けぶつ)を戴くお姿は清水寺独自のもので、 「清水型観音」と呼ばれています。

だが、秘仏なのでお厨子に入っていて、ちらと見えるのは「御前立仏像」なのだそうだ。33年に一回しか御開帳しないそう。

ろうそくをつけてお詣り。それほど沢山のろうそくは上がっていない。
みな、舞台の方に行ってしまうので案外、本堂に上がる人は少ないのだ。おかげで大混雑の清水寺とは思えぬほど落ち着いてお詣りさせてもらった。

奥の院も残念ながら工事中。運慶快慶作の千手観音像がご本尊だそう、工事が終わったらじっくり見に来よう。


西山の方は雪かな?





もう一か所、子安の塔の傍にある泰産寺に行く前に、ご朱印所がある。

先ほどのブログにも、「本来なら全部お詣りしてからご朱印所だろうけれど、場所的にちょっと非現実的」と書いてあったとおりで、泰産寺に行ったら出口の方が近くて、戻るのは結構大変。清水寺は広いのだ。

よってご朱印は頂いておく。

「参拝できない所があっても頂けるんですよね?」
「はい、参拝はできないんですが…いいですか?」と逆に言われる。

そりゃ、普通、参拝記念にもらうものだからなあ。
しかも三十三所「巡礼」なんだから巡礼しないでもらうのは本末転倒というものだろうが、工事中とあってはしかたない。傍まで来てるからいいだろう。気持ちは入っているのだ!

同居人がいつも言うとおり、これだけの有名なお寺、さすがの書体で書いて下さる。5か所分書いて頂くのでずいぶん時間がかかる。全部「大悲閣」なのが残念と言えば残念?ちょっと違うのあってもよさそうだけど。

並み居る中国人観光客の間をすり抜け子安の塔へ。




ああ~こんなところにお堂があったんだ。泰産寺…寺?寺なんてあったか?と思っていたのだが。やっぱり、子安の塔の方に気がいってしまうので全く気付かない小さなお堂。
塔の中には、小観音を胎内にやどす千手観音様が祀ってあるのだそう。もともとは聖武天皇と光明皇后が祈願され、安産されたので建てられたという縁起があるそう。
聖武天皇って…またずいぶんと古い歴史があるものだ。

ちょっと小腹がすいたので、大好きなぜんざいでも頂こうとお休み処へ。

入ったら「One?」とお店の女の子が人差し指出して聞いてくる。「一人ですか?」と言いたいのだろう。笑って「日本人ですよ」と言うと「すみませんお好きな席へどうぞ」

そうよね…今日は8割がた中国人観光客だもんね…春節恐るべし。


清水から坂を下って高台寺方面へ。

青龍寺は第九番札所。以前から何度か表を通っているが、清水寺と一緒に、と思って行っていなかった。また、門も閉まっている小さなお寺、ちょっと行ってみる、にはハードル高そうだったので…インターホンで開けて頂く形式だし。



実際普通のお家くらいの広さだが、可愛らしい梅の木が庭の真ん中に。

春告花だね。








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