たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

2016-06-21 00:14:33 | 現実
十数年ぶりに蛍狩りに 奈良まで夜のドライブである。


「針インターまでとりあえず行って、土砂降りならあきらめて帰ろう」と同居人。

「しとしと位なら少しは飛ぶっていうけど本降りなら無理だろうね…」

「しかし、針インターまで行って道の駅でご飯食べて帰る、ってのは避けたいな!」


日曜の天気予報は雨。だったが、午後は雨が上がった。スマホで天気予報見ると、大阪も目的地の奈良の方も、雨10%。しかし、空はどんよりしており、時折フロントガラスに雨粒が。梅雨真っ最中だからなあ。

7時半針インター到着、雨は上がっており、まだツバメが飛び回っている。そろそろお家に帰るころだろう。日が一番長い頃だからまだ明るさが残っているが。

「ここまで来たら行ってみよう!」


10何年前に行ったと同じ、奈良、室生寺の傍を流れる川の辺りを目指す。 その頃はネットで情報を集める、と言う事はしておらず、我が家でもPC買ったか買わなかったか位の時期、情報は同居人の仕事のお得意さんからのものだった。今ではスマホでいくらでも出てくるからかえって選択が難しかったりするところだが。

その頃は道路を整備中で、ショベルカーが止まっている、その脇を川が流れ、ふわふわと光る蛍が飛んでいた。そんなにたくさんの蛍を見たことがなかったので今でもその光景は印象に残っている。

さて、今回は。

「車、結構止まってるね!」

橋のたもとにたたずむカップルもいる。 蛍の飛ぶ最初の時間、8時はギャラリーが多いだろう、やはり。昔は次の時間帯、11時頃に行ったのであまり人はいなかったのだ。

真っ暗な道、もう今は整備されているから通りにくくはないが、あちこちに車が。真っ暗ではあるが、山に霧がかかっているのはわかる。

われわれは河原の広い場所、木々が多く、川向うは山になっている所に陣取る。スゴイ湿気だが、雨上りの湿気の多い日によく飛ぶ、と聞いた。

ふわふわ、ふわふわ、前に見た時に思ったように、じっと見ると見えなくなってしまって、違う所が光る。幻想的、という言葉はありふれているがまさにそれ。現実味がない。
周期的にたくさん光ったり、急に見えなくなったり。
なんだかよく左に流れていくような?


もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る



和泉式部の歌の中でも私の好きな歌、つい思い浮かべる。これは貴船川の蛍だけれど。


何を思ったか川を渡ってこちらに飛んでくる蛍も。 意外に、高い所も飛ぶようだ。光ったり、消えたり、光ったりしながら木の枝に止まる。

これを千年もの昔から(もっと前かも)ずっと楽しんできた日本人で良かった。そんな心持にさせられる。
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雨の紫陽花寺。

2016-06-17 01:35:43 | 現実
いやいや、ここをバスが通るの?小さいコミュニティバスとは言え。

「次、尻枝に止まります」

ここ、止まっても何もない…回り、木しかないけど?なぜここにバス停が?

と言うような道を通って京都木津川市、紫陽花寺、岩船寺へ。 アクセス悪そう、とはマップ見て思ったけど、ここまで山奥とは。コミュニティバス、って初めて乗った。
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」みたい。しかも、乗ってるのは私だけ。



一時間に一本だもんね。

着いたのは門前すぐ下、回りには意外に家々が。

石段を登って門をくぐるといきなり紫陽花だらけ。






凄いねえ。周りの木々があまりtrimされておらず自然のままなのがかえって良い。三重塔がその木々の中から覗いているのが。 

雨に紫陽花、やっぱり、これ。お天気の良い日の紫陽花はぱさついた色合いに見えて。

紫陽花は鉢植えで買っても、物凄く水を吸う植物だけれど、梅雨時のこういうお天気が好きなんだよね。活き活きしている。


参拝客も5,6人しか人もいない。
無論みな立派なカメラを構えている。紫陽花写真目当てのアマチュアカメラマンばかり。この雨では。

ご朱印頂きに本堂へ行くと、びっくりするくらい大きな、見事な阿弥陀様が鎮座している。本堂自体は小さいのだけれど。

「今日は静かでいいです。昨日は(日曜)3時くらいまで晴れていたから、すごい人でしたよ」

書いてくれたお坊さんが言う。確かに、それ程広い境内ではないし、木々の間を抜けて歩く感じなので人が多ければそれは大混雑になるだろう。




さて、ここはテキパキ動かないと、バスは1時間に一本、逃すとまずい。次の目的地、浄瑠璃寺へ。
細長い本堂、横一列に阿弥陀様が9体並んでいる、九体阿弥陀如来像が有名な寺。もう、ここにしかこの形式の本堂はないそうで、むろん国宝である。一体一体の前に扉というか障子があり、本来外からそれぞれ阿弥陀様を拝むようになっているらしい。

しかしながら猫が本堂の外で寝ているのが面白い。国宝で猫が寝ているゆるさはいいな。人馴れしているようでさわっても写真を撮っても「知らんわ」とばかりに眠りこんでいる。




彼岸(本堂側)と此岸(三重塔側)を隔てる大池にはヘビが泳いでるし。なんだかとがったもの泳いでくる、と思ったらヘビだった。泳ぐヘビって初めて。

此岸から悟りを得て渡ってきたのか?














デジブック 『雨の紫陽花寺。』
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雨上り。

2016-06-06 19:41:24 | 現実
先週は日曜出勤、帰りはちょっと雨に降られた。

月曜は曇り空。天気予報では午後から晴れるとの事、では、と出かけることに。

その前の週まで真夏並みの暑さ、なんでも7月下旬位の気温の日もあったそうだ。

雨のお蔭で涼しくて歩くのにちょうど良さそう。


37年ぶりの広隆寺。雨上りの為、つつじや青もみじにも水滴がいっぱいで涼しげ。







国宝第一号、優雅な弥勒菩薩半跏思惟像、がある有名なお寺だが、月曜日のせいか人は少ない。修学旅行生は近くの太秦映画村方面へ歩いていく。

静かな庭を通って新霊宝殿に。ライト暗めの中に国宝、重要文化財の仏像がずらりと。さすがに弥勒菩薩様は真中に、しかもかなり奥まって鎮座。

修学旅行で来た時はもっと近くで見たような?

この建物自体かなり新しそうなので37年前は違う建物に置かれていたのだろう。後で見ると、霊宝殿と書かれた建物がほかにあった。


弥勒菩薩像の写真って、たいてい、右横か左横から、斜め45度くらいで撮られたものがほとんどだが、何故かよくわかった。正面から見ると、胴が細すぎで、あまりバランスがよく見えないのである。優雅だけれどなんとなく、頼りなげに見えるので正面写真がまずないのだろう。

…それにしてもちいさな仏像なので、遠いのが残念。暗いし…もっとそばでじっくり見たいものだ。

もひとつ残念だったのが…ご朱印がスタンプ。日付だけ書いてくれる。清明神社パターン。



さて、気を取り直して、ここからは徒歩で10分位、「三柱鳥居」のある、蚕ノ社へ。木島坐天照御魂神社、が正式な名前だけれど、嵐電の駅の名にもなっている蚕ノ社で通っているようだ。




「三柱鳥居」は、京極夏彦の小説「絡新婦の理」でも取り上げられているし、阿部晴明のマンガ「陰陽師」でも描かれているのでいちど見ておきたかったのだ。

確かに面白い形。縁の秦氏に関係する方向に向いていると言う説があるそう。しかしながらこれも柵で囲われて近くで見られない!

そういう日だったのかな…



家に帰って、実家から持ってきた、修学旅行の栞とパンフ(よくこんなものとっておいたものだ!)を出してみた。



広隆寺の弥勒菩薩を自由行動で見に行ったグループは結構いたようだが、私のグループもそうだった。嵐電が家の間をすり抜けるように走るのが珍しかったのをはっきり覚えているが、旅行記を読んでいると、広隆寺を出て違う方向へいってしまい、次の駅まで歩いた、と書いてある。

…太秦の駅は広隆寺の目の前なんだけれど…謎。

上が現在の、下が37年前の広隆寺の栞とチケットだ。書いてある内容は同じ。何を思ってとっておいたのか、見直すことも40年近くしなかったわけだが、こうして並べてみると感慨があるものだ。高校生の頃は、将来関西に住んで、趣味で古都めぐりをするようになるとは考えてもみなかったのだから。



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京都小野の里・勧修寺

2016-05-09 23:48:05 | 現実
歩き回れる位に足が回復し、気をつければ出歩いてもあまり痛んだりする事はなさそう。

趣味の古都めぐり、3月21日以来、怪我のせいで行っていなかった。お天気もいいし、と言う事で日曜日、同居人は仕事だし、ちょこっとだけ行ってみよう。久々の京阪電車、なんだか、懐かしい!

と言う訳で京都山科、小野の里、勧修寺へ。
水辺の花菖蒲や睡蓮が見頃と言う事が、お気に入りのサイト「sodakyoto」に載っていたから。一時間半かかる上乗り換えも多いから、気を付けて歩かねば。

それにお寺の庭園なんて危険この上ないのだ。石段あり段差あり、飛び石あり、池なら滑り落ちる可能性も。カメラ構えながらだとさらに。

捻挫に捻挫を重ねる訳にはいかないので、構えながらの移動はなし、足場しっかり確認して撮影、無事帰宅!


それにしても素晴らしい庭園、想像より池も広々して気分の良い開けたお庭だ。それ程知られている所ではないので、来ているのも観光客というより近場の人たちが多い感じだ。それも、「多く」はない。20人いるかいないか、という所。そこも良かった。

花菖蒲の青、ってどうしてこんなに目に鮮やかなんだろう。

睡蓮のピンク、ってどうしてこんなに上品なんだろう。

水鳥が沢山来ていたので、超望遠レンズを持って行かなかったことを後悔。また、挑戦しよう。




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母の5月の手紙+入院記録

2016-04-30 23:41:27 | 母の記憶
明日から5月だ。

一昨日からGW休みに入り、ほっと一息。

特に、職場の繁忙期ラストの4月に足を怪我してしまい疲れることこの上ないひと月だった。
・・・しかし、良かったことも。

・・・骨折ではなかった!

最初に行ったところの先生がどうも、いいかげんな事が多かった。ギプスに治療用の穴をあけるのに反対側開けるとか、膝の怪我の方を忘れてるとか…

しまいには、「ギプス2日にとる予定だったけど、外せる看護師さん休みだからね、GW明けに来て」

この先生ギプス外せないの?自分で?しかも2日って自分で指定しといて?

「じゃ、30日、来れますから」
「30日はまだ早い」

・・・たった2日でしょ???

そうなると5週間、ギプス、しかもGW中も?明けの会議もギプス状態? ・・・う~~んそれは。

しかし、他の病院なら医者の意見は違うかもしれない。

で、近所の別の外科へ。

「立方骨骨折・・・って僕長年やってるけど3例しか会った事、ないですよ。しかも、レントゲンだけじゃすぐわかるような場所じゃないです。見るの難しいから」

で、MRI撮る事に決定、所見は「骨折なし、靭帯損傷なし」

つまりは、ひどい「捻挫」。

ヤブ医者め!!!

骨折なんて経験ないから、だまされた…

ギプス外して見てもらうと、いまだ腫れがあって痛みもあり内出血も相当なので、どっちにせよギプス松葉杖は免れられない状態で、しっかり安静にしていたという事でそれはそれで良かったですよ、と慰め顔の先生。

捻挫でギプス、するんだ…それも知らんかった。

「それにしても4週間以上は、歩けなくなるからしない方がいいです」

思い切って転院したおかげで、3週間でギプスを外せることになった!!

痛みと腫れがいまだに取れないので、外出時は取り外しできるギプスつけるか、思いっきり気を付けて歩くかすればよいとの事。
そこかしこにある点字ブロックなんかが怖いのだ。でっぱりに足がのっかると凄く痛い思いをする。ぐらつくからだろう。

言われたとおり、外した直後はびっくりするほど歩けなかった。力入らず、足が地に着かない(大喜びしてるわけではない)。3週間でこれなら5週間ギプスしてたらもっと大変だったろう。


しかしながら、この足ではムリは出来ないので、昨日は向かいの美容室にカットに行き、今日は近くのコンビニにアイスクリーム買いに行き…のみ。

明るい日差しがかえって恨めしい、ということろだ。
こういう風に時間がある時に、郵便物やなんやかんやの書類を整理するのもよいだろう。


そんなことをやっている時に、母の手紙が入った箱を見つけて開けてみた。久しぶりだ。

私のシドニー在住の頃から、以前住んでいた、大東市の住所あてのもの。今住んでいるマンションあてには来ていない。その頃はもう、かなり具合が悪くなっており、亡くなったのは引っ越しのちょうど1年後だったのだ。



「さて風かほる五月なのに病院のベッドの上なんてがっかりです」

これは、大腸癌を患って手術、その次の年の5月だろうと思う。体調が悪くなって入院したことがあった。
私の「明るい日差しがうらめしい」よりもっともっとシリアスなのだ。

「あの薬師寺のお守りですから、御利益もたくさんあるでしょう」とあるが、確かに、病気なのだからと薬師寺でお守りを頂いて、実家に送った記憶がある。

最後に、送ったアスパラで北海道の味を楽しんで、というような言葉で終わっている。そうそう、アスパラを送ってもらい、あまり見事なのでびっくりしたのだ。





このメモは父が取っておいたものだが、この入院時のもの、6月初めにアスパラの事が書いてあり手紙と一致する。推理小説みたいだけど。

シャワーを浴び髪を洗う、とあるが、母の入院記録にはよく書いてある言葉だ。今の私にはこれを書きたい気持ちは良くわかる。

ギプス外してとうとうお風呂に3週間ぶりに浸かれ、膝や足をカバーで覆うことなく、濡れるのも気にせず洗えるのは爽快そのものだったから。

健康は健康でなくなってみないと価値がわからないというのはここよね、と実感。

ひと月経っても痛む足が治るのはいつかわからないけれど、だましだまし、骨折でなかったのを有難いと思って過ごそう。
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桜は綺麗で…

2016-04-11 20:49:06 | 現実
やれやれ。

桜にしてやられてしまったかな。ここで足骨折とは。

土曜の朝、意外に支度が早く整って、さ、いつもの通り出勤前のセブンカフェ、とコンビニに寄ろうとした私の目に映ったのは満開の桜。

駅の前の小さな、ロータリーっぽくなったタクシー乗り場辺りに、桜の見事な木があるのだ。周りはパチンコ屋、居酒屋、すし屋、銀行、とあまりぱっとしない景色、駅も取り立てて面白いデザインなわけではないのがもったいない、という大木。

それでもだいたい毎年、満開になったら写真を撮っていた。

時間あるし、撮って行こう…とスマホ持ち出して構えたのか?バッグから出そうとしたとこだったか?いまいち覚えていないが、その瞬間、乗り場の段差を踏み外して転んだ。

痛くてしばらく立てず、座ったままでいたくらいだったから、結構な転び方だったのだ。

その時は擦りむいた左膝の方が気になって、「もお~血だらけだし~」と薬局に寄って学校で消毒液と絆創膏で処置、捻挫した右足腫れるかも、と貼り薬、「まあこんなもんか」とレッスンを始めた。が、段々右足が腫れて痛み、歩きにくくなってきた。

しかし土曜日と言うとレッスン目白押し、どうにもならず立ちっぱなしで一日を終え、ほうほうのていで帰宅。亀の歩みで、いったいいつになったら家にたどり着くかなあ?というスピードだった。
運悪く同居人は出張中。迎えに来てももらえない。後で考えたら、なんでタクシー乗らなかったんだろ? なぜか頭に浮かばなかった。

足は出来そこないの山芋風に腫れ上がっててびっくり。

月曜まで待って整形外科、レントゲンの結果は「立法骨骨折」ということだった。「捻挫じゃこんなに腫れないですよ」と先生。

足の甲の、四角い骨で、それがつぶれた形だそう。ティッシュの箱をつぶしてしまったような、という説明を受ける。

自分の足の骨なんてめったに見ないのでついつい、「外反母趾ですよねえ」と聞くと、「ん?いや、ここにちょっとしこりが出来てるだけ、外反母趾傾向、くらいだね・・・いや今は骨折のほうね」

…そうでした。



ギプス松葉杖4週間ということ。

「脚上に上げておとなしゅうしとって」
「仕事で天王寺まで行くんですけど」
「そりゃ無理でしょ」
「でも行かないと」

という押し問答の末、ギプス、中のクッション材超厚めにして防備してくれた。





今のギプスって、石膏で固めるんじゃなくて包帯みたいなの水に濡らして巻いて作るのだ。骨折なんてしたことなかったから知らなかった。グラスファイバーで出来ているのだそう。
しかもヒール付き!
先生は、あくまでも家用、と言うが、これがあるとギプス自体も汚れず外も歩きやすくてよい。便利になっているものだ。

学校で外人の先生方が、「K先生、ギプスにヒール付けたのか!?」とびっくり仰天、「いや、私じゃない、お医者さん。そういうギプスなんだよ~」というと驚いていた。

松葉杖の指導を受けるが、これまた大変。なるべく右かかとつけずに歩くには腕のパワーが凄くいる。4週間経ったら腕筋肉ムキムキ、脚は逆に筋肉なし、と言う状態かなあ…

左ひざは打ち身と、でっかい擦り傷で色とりどりになっているし…こっちの方が痛い位。

気になるのはお風呂。漬かるのは無理でもシャワーは浴びたいしごみ袋でカバーかなあ?服はどうしよう、ギプスがごつ過ぎてパンツの脚部分が通過しないのだ…スカートとハイソックスしかないか?タイツの脚を片方切るか?等とあれこれ、ネットで調べてみる。

ギプス経験談は相当載っている。




これは「ごみ袋で水漏れの心配しつつシャワーする位ならこれを買うべき、たとえ数週間でも価値あり」と書かれていたギプスカバー。アマゾンの翌日便でゲット、3000円弱。丸い部分が強力なゴムで、レビューに書かれていた通り、全然水漏れしない!スグレモノである。

という訳で1週間が過ぎ…ギプス生活にも大分、慣れてきた。松葉杖はかなりつらいけれど、左ひざがましになって支えやすくなってきた。骨折の右足を打ち身と傷の左脚で支えて歩くのは結構きつかったのだ。

「桜にやられたなあ」と車で迎えに来てくれた同居人が、駅前に近づいた頃、つくづく、と言う調子で言う。パチンコ店のネオンの色でこれまた綺麗に染まったあの桜。

「そおだねえ…桜にぶっ倒されちゃった」

でも、たぶん、そうではないのだ。

ここのところ、ずっと私は焦っていた。

できるだけ色々な所、大好きなお寺巡りもして、行ったことない所も見て回らなきゃ、桜は雨降っちゃったけど、次の週末あたりでもまだ見られるところあるはず…どこにしよう、とあれこれ考えていて、予定を詰め込むつもりでいた。

朝早く行けば、有名な仁和寺の御室桜、そこまで混んでいないかも?同居人の車で行こうか。 翌日の月曜は山の方はどうだろう、まだ見られるかも?月曜は全部、花の撮影に使おう…

これまでも、月曜の休みにはまず家にいることなく、京都や奈良、古都巡りに必死だった。朝早く出、帰ったら大慌てで家事の片付け、晩御飯の支度、と大忙しだった。


「焦らなくてもいいんだよ、少しゆったりしなさい。体を休めなさい。また桜も見られるし、古都めぐりの時間だってまだまだあるんだよ」とあの桜が言ってくれたような、そんなふうに、先週の日曜は考えていた。天気も悪いし、同居人も長い出張で疲れており、どちらにしても、恒例のお花見弁当は無理だったのだが、もし足が痛くなかったらもっと残念感(?)が強かっただろう。

次の日、月曜に病院で骨折がわかったのだが、午後には休みを取った同居人と、車で整骨院に行った。痛みをとるならここ、と知られている所、ここには二人とも体のあちこち痛むときには通って2年ほどになる。

「骨折はしんどいですけど、これで大病免れたかもしれません。そういう事、あるんですよ。まあ、ポジティブに考えようというのもありますけどね」と先生は笑う。

私が考えていたのと同じような事を。

それから1週間、しんどい松葉杖通勤と仕事、終えた週末は動きようもなくゆっくり。久々に古い写真の整理をし、WEB上に保存もし、同居人と「食べ物写真」「温泉写真」を懐かしがり…のんびり、過ごした。 これが、必要だったのかな。

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満願の日 第二十三番・東寺

2016-03-28 18:58:53 | 洛陽三十三所観音巡礼
同居人に車を出してもらい、3月末と言うのに寒い中、東寺へ向かった。

同居人は昔、月一で京都での会議があり、会議のあるホテルが京都駅近くだったためしょっちゅう東寺の傍を車で通っていた。しかし、入ったことはなかったそう。

「五重塔を外から見るだけだったな」

東寺の五重塔はさすが日本最大だけあって、色々な所から見えるのだが。




講堂の立体曼荼羅は迫力だ。大日如来を囲む数々の菩薩、明王たち仏像。国宝ぞろいである。

「正面斜め上位から見れたらもっと面白いかもね」

後ろの仏像は見えにくいのだ。


さて、洛陽三十三所巡礼のトリは東寺となった。

トリ候補は三十三間堂、清水寺、また三十三番清和院、などがあったことはあったのだ。

実は4年前に東寺には一人で来ていたのだが、その日から3週間ばかり、気分の悪い日が3週間も続いて大変な思いをしたため、東寺→その後具合悪くなった、というイメージがついてしまっていた。

別に東寺には責任はないのだが。

それを払拭するため、ラストに持ってくることにしたというのも、実はあり。〆には同居人を連れて行きたかった、というのもあり。さらに言えば、新しいお寺用のご朱印帳、東寺のが良さそうだったから買おうと思っていたのもあり。





東寺の境内のはし、食堂に十一面観音様がおられる。カラフルな観音様だ。

隅の一角で写経している方たちもいる、さすが弘法大師さまのお寺、お遍路さんの巡礼用の笈摺、白衣も売っている。ご朱印所も長い列が。結構、賑やかである。

同居人と一緒にお詣りして、ラストのご朱印と、満願証を頂く。かっこいい!






始めたのは一番札所、六角堂、去年の4月だったから、ちょうど1年で満願。三十三回、同じお願い事をするというのもなかなかない事。

この巡礼がなければ一生訪ねなかっただろうお寺もあり、面白い経験でもあった。

観音様たち、ありがとうございました。

蓮をかたどった可愛らしいろうそくを水に浮かべて、食堂をあとにした。











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第三十番・椿寺地蔵院

2016-03-14 23:00:07 | 洛陽三十三所観音巡礼
さあ、咲き具合、散り具合はどうかな?

覗いてみると…





満開!

よし!


洛陽三十三所第三十番札所、椿寺地蔵院。 この季節を待っていた。 

巡礼を始めたのは去年4月初め、その頃行っても良かったはずだが、なんとなく、三十番を初めに持ってくるのも?と思い。


つい最近ここのお寺がFacebookのページ持っているのを知り、開花状況を見ることが出来るようになっていた。

「散り椿開花してしまいました。二月の開花は例がないそうです」というようなコメントを見てちょっと焦っていた。三月後半が満開なのだが今年はいったい満開はいつになるかわからない、という事も書いてあり。

ちょうど良い時期と休みの日が合えばいいが…まあ、桜ほど急に散らないだろうし。

良かった、ホントにちょうど良い咲き具合散り具合。













この椿は、太閤秀吉が「北野の大茶会」の時、この場所を使った事から献木したものだとか。北野天満宮はすぐ北側にあるのだ。

残念ながら私が見た木は秀吉の献木したものの二世だそう。それにしても見事な大木、これで樹齢120年だとか。一世は樹齢400年、昭和58年に枯れたという事、大学生の頃に来ていたら一世が見られたのか。








行基創建のこのお寺の十一面観音菩薩さまで、私の洛陽三十三所巡礼、32番目。 結局ラスト、33番目は東寺の観音さまに決定!










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まだ寒い。

2016-02-22 22:38:46 | 現実
うん、寒い。

寒い中、たくさん歩いた。

今日は日差しも弱く、2月末としては寒いのでは。と思い去年を振り返ってみると、同じ時期に奈良の般若寺へ水仙を撮りに行っている。

あの時も寒かったな…そういえば。天気も同じような曇り空で。


今日も奈良、東大寺。それこそ去年の般若寺の近くだ。というか、有名度で言うと般若寺が東大寺の近く、と言う風になるのだろうが。

東大寺に行ったのはたぶんずいぶん前だろう。「大仏様は写真撮っていいんだなあ」と思った記憶があるから、写真撮ったのだろうがなぜか、ファイルにない。


大仏殿はさすがに大仏様が入っているだけあって、でかい!







平家の焼き討ちで焼け落ちたというのが信じられない位の迫力の廬舎那仏。

以前来た時と違うのは、やはり外国人観光客。ここは有名どころだけあって、9割がた外国人のように思える。大仏殿前の通りで、鹿と記念写真撮っているのも外国人ばかり。やはり、野生動物がお寺の傍を我物顔に歩き回っているのは珍しいのだろう。しかもさわれるのだから。

それにしても鹿の数も増えてないか?ここまで鹿をよけつつ歩いた記憶はないのだが。




二月堂の傍にも眠たそうな鹿が。

二月堂まで足を運んだのは初めて、こちらの方が大仏殿より良い。 「お水取り」で有名な建物だけれど、こうして昼間に上がってみても、景色もよくて良い。ここにはそれ程外国人も来ないようだ。この建物から松明が見えるのは迫力だろうな。




観音様が祀られている辺りも質素で落ち着いた感じで、静かだ。




しかし、寒い…

手が冷たい…手袋してたら写真撮れないし、な。 

二月堂下のお休み処できつね蕎麦を注文する。あったまろう。

「はい、たぬきひとつ!」

とおじさんはキッチンに向かって叫ぶ。

あれ? それって大阪だけでなく奈良でも逆だった? 載っていたのは天かすでなく、私の注文した油揚げでの方であった。やっぱり逆なんだな。


外国人男性を4人ばかり連れた中年女性がいる。 うどんとそばの違いを英語で説明している。発音は「ジャパニーズ」だが、内容はちゃんと説明が出来ている。ボランティアガイドの勉強をした人だろうか。そういえば大仏殿近くでも60歳位の男性が外国人二人に英語で説明しながら歩いていた。
最近は英語で観光案内、のニーズあるだろうな。

鹿も寒いのかな。せんべいが欲しいだけかな。



さて、ここから春日大社へ。その前に手向山八幡宮がある。

「このたびは 幣もとりあえず手向山 紅葉のにしき 神のまにまに」

菅原道真の、百人一首の句に詠まれている神社。ここにあったとは知らず。



なんだかかわいらしい鳩さんのマーク。 


春日大社は…大きい神社はたいていそうだけれど、あまり印象は強くない。 建物に由緒がある、というものではない事が多いからだ。 ぴっかぴかに塗られているし。
ここは第六十次式年遷宮である。

天皇家そろい踏み、これは印象に残るなあ。さすがである。






そろそろ馬酔木が盛りの季節だ。スズランみたいな花はかわいらしい。




春日大社を出ると、森の中を歩く路が。

「上の禰宜道」を行く。あの春日大社や東大寺のにぎわいが信じられないほど静かな道、誰も歩いていない。今日は混雑覚悟で来ていたから、こんな静かなお散歩は想定外、気分がよいウォーキングだ。





わ、ここも人がいない!

新薬師寺は薬師如来様の回りをかっこいい十二神将立像が囲んでいる、という配置の本堂、入ってみると、とても暗い。蝋燭の灯りしかないのだ。 おのおのの神将の前に蝋燭台が置かれ、その蝋燭の灯りに照らされるお目目ぱっちりで美しい仏様、強面の神将たち、うん、これは素晴らしい。
この雰囲気はよい。静かで人もいないし…
十二神将立像が人気、と聞いていたが月曜だからか。

私の寅年の守り神は真達羅(シンダラ)大将。中では穏やか目。人気があるのは伐折羅(バザラ)大将らしい。戌年の守り神だ。


さあ、どうしよう?百毫寺? 花の寺、だからいってみたいんだけど。
一キロくらいあるけど…レビューで、「階段がきつかった」って書いてた人がいたけど… ここまで来るのはめったにないから、行ってみようか。








うん、長谷寺とか、神護寺に比べたら全然。段々がばらばらな感じなのと、ひっかかりやすい石が多いから気をつければいいだけ。

ここも人がいない。

いや、この石段、いいよね、むしろ。







椿が盛りを迎えつつある境内からは奈良市内が一望。

そろそろ、あの向こうへ帰ろうか。また、歩くなあ。











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第十番~十四番清水寺・第九番青龍寺

2016-02-15 20:58:31 | 洛陽三十三所観音巡礼
「なんか暑いような気がするんだけど」「暑いですよね?」と職場で不思議がった土曜日。

後で聞いたら5月位の気温だったとか。それで冬の服装なんだから暑いに決まっている。

天気予報では「来週は冬の寒さに戻りますので、体調管理に気をつけましょう」とのこと。


はい、確かに今日、月曜日は寒かった。けれど違うのは日差し。空気は冷たいけれど、日差しは確実に春を思わせる強さに変わっている。もう冬の寒さ、とは言い難い。


清水寺は、正直な所それ程、普通に行ってもあまり感動はしない。もう何度も行ったからだ。去年の夏の様に、内陣に入って千日詣りする、というのならちょっと違うけれど。

洛陽三十三所では、ここの5つのお堂を回る事になっており、行った人のブログを読んだところ、三十三所のご朱印は、本堂のご朱印所でいっぺんにもらうのだという事だった。

そもそも、5つのお堂って???そんなにあったの?「寺」ってなってるとこもあるけど…舞台の所が本堂だけれど、その他は今一つわからない。


清水寺には祇園四条駅から行くルートと五条駅から行くルートがある。どっちにせよ20分以上歩く。私は五条坂の混雑を避けて、南側の大谷廟の無数のお墓の横を通る道が好き。
まずここを通って清水寺に行く人はいないので、静かなのだ。
お山にびっしり、それこそ「生えている」ようなお墓群はまったく、怖い感じはしないし。

あれ?

「土砂崩れで通行止めになっています。ここから清水寺には行けません」

???土砂崩れするようなとこ、あった??左はお墓群、右は小さいお寺やなんかがあるだけだと思ったけど…

しかたない、茶碗坂を登る。




観光客がまず最初の記念写真をよく撮っている仁王門のすぐわきに、清水寺善光寺堂がある。いやいや、こんなに小さなお堂、今まで全然気づかなかったわ…みんな仁王門の方しか見てないもんね。

覗いてみると、明るくて如意輪観音様がよく見える。かわいらしい!!如意輪観音って、座っていてポーズがリラックスしていていい感じなのだけれど、この観音様は顔がカワイイ!

ちょっと、阿部サダヲさんに似ている。





次は朝倉堂だが、残念ながら工事中で参拝できない。名前の通り、越前の朝倉家が寄進したものだそう。


さて、本堂。入る手前に梅が。






左右の腕を頭上に高く挙げて化仏(けぶつ)を戴くお姿は清水寺独自のもので、 「清水型観音」と呼ばれています。

だが、秘仏なのでお厨子に入っていて、ちらと見えるのは「御前立仏像」なのだそうだ。33年に一回しか御開帳しないそう。

ろうそくをつけてお詣り。それほど沢山のろうそくは上がっていない。
みな、舞台の方に行ってしまうので案外、本堂に上がる人は少ないのだ。おかげで大混雑の清水寺とは思えぬほど落ち着いてお詣りさせてもらった。

奥の院も残念ながら工事中。運慶快慶作の千手観音像がご本尊だそう、工事が終わったらじっくり見に来よう。


西山の方は雪かな?





もう一か所、子安の塔の傍にある泰産寺に行く前に、ご朱印所がある。

先ほどのブログにも、「本来なら全部お詣りしてからご朱印所だろうけれど、場所的にちょっと非現実的」と書いてあったとおりで、泰産寺に行ったら出口の方が近くて、戻るのは結構大変。清水寺は広いのだ。

よってご朱印は頂いておく。

「参拝できない所があっても頂けるんですよね?」
「はい、参拝はできないんですが…いいですか?」と逆に言われる。

そりゃ、普通、参拝記念にもらうものだからなあ。
しかも三十三所「巡礼」なんだから巡礼しないでもらうのは本末転倒というものだろうが、工事中とあってはしかたない。傍まで来てるからいいだろう。気持ちは入っているのだ!

同居人がいつも言うとおり、これだけの有名なお寺、さすがの書体で書いて下さる。5か所分書いて頂くのでずいぶん時間がかかる。全部「大悲閣」なのが残念と言えば残念?ちょっと違うのあってもよさそうだけど。

並み居る中国人観光客の間をすり抜け子安の塔へ。




ああ~こんなところにお堂があったんだ。泰産寺…寺?寺なんてあったか?と思っていたのだが。やっぱり、子安の塔の方に気がいってしまうので全く気付かない小さなお堂。
塔の中には、小観音を胎内にやどす千手観音様が祀ってあるのだそう。もともとは聖武天皇と光明皇后が祈願され、安産されたので建てられたという縁起があるそう。
聖武天皇って…またずいぶんと古い歴史があるものだ。

ちょっと小腹がすいたので、大好きなぜんざいでも頂こうとお休み処へ。

入ったら「One?」とお店の女の子が人差し指出して聞いてくる。「一人ですか?」と言いたいのだろう。笑って「日本人ですよ」と言うと「すみませんお好きな席へどうぞ」

そうよね…今日は8割がた中国人観光客だもんね…春節恐るべし。


清水から坂を下って高台寺方面へ。

青龍寺は第九番札所。以前から何度か表を通っているが、清水寺と一緒に、と思って行っていなかった。また、門も閉まっている小さなお寺、ちょっと行ってみる、にはハードル高そうだったので…インターホンで開けて頂く形式だし。



実際普通のお家くらいの広さだが、可愛らしい梅の木が庭の真ん中に。

春告花だね。








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第二十九番福勝寺・第三十三番清和院

2016-02-01 19:52:50 | 洛陽三十三所観音巡礼
洛陽三十三所観音巡礼を始めたのは去年4月初め、桜の頃だった。

今日は第三十三番札所、清和院へ行ったのだが、満願では、まだない。

ところどころまとめて行ったりしているので、順不同。 あと、8か所である。

さて、トリは東寺か、清水寺か。清水寺には5か所、第十番から第十四番までの札所が固まっているのでいっぺんに同じところで書いて頂く事になるのだそうだ。それより一か所で「ラスト!」ってなる方がいいかなあ。


さて、今日の二つのお寺。住宅街の中にあるようで、あまりフォトジェニックではなさそうなので、この時期にした。庭や花、紅葉が有名な所ならなるべくその、一番良い時期に行く事に決めてまわっており、あまり植物系が期待できないところは真夏や冬、と考えていたのだ。

清和院はアクセスが難しかった。google map無かったら絶対迷っていた。バス停から言われたとおりの道をたどって…いるはずなのだが何しろ目印がない。家ばかりで、たまに仁丹印の住所板(↓↓たとえばこういうの…今日行った場所ではないが)で確認が出来る位。



しかしこの仁丹の住所板、京都ではあちこちにあるけど味があるよなあ…

くねくねと細い道をたどってやっとたどり着く。

清和院、というと…藤原高子が女御だったよね? と言う事は在原業平のライバルか。いや、「むかしおとこありけり」のひとはライバルなんかとは思ってなかったかもね。



小さなお堂のみ、参拝者は私だけ。

奥の事務所でご朱印をお願いする。小さい所によくある、インターホンで呼ぶ形式、かなり時間経って年配の男性が現れ、窓を開けてくれる。










随分と時間をかけ、丁寧に書いて下さる。横の張り紙もいい味の文字で書かれている。この方が書いているのか。



出来上がったご朱印にこれまた丁寧にドライヤーかけて乾かしてくださる。

うーん、素敵な文字。年配の男性というより、女性が書きそうな優雅なご朱印だ。今の所、洛陽三十三所の中で、私の好み、1,2を争うかも。

「聖観音菩薩」のはずだが…そう書いてあるのかな…




ここから歩いて10分位で福勝寺。

ここは「ひょうたん寺」と言う別名を持つ。如意宝珠を二つ重ね合わせるとひょうたんの形になるから、とか。明後日くればひょうたんのお守りが頂けたのだが。また、ひょうたんと言えば、豊臣秀吉。寺格をあらわすご朱印をもらっているのだそう。

観世音菩薩に勅願された天皇から、紫宸殿の「左近の桜」を分木されたという事で「桜寺」という別名もあるそうだ。

ここは1日と16日のみ、本堂に上がれるようになっている、と言う事だったので今日をねらったのだが、こちらには、いかにも「良く来ていそう」な参拝者の方々が。

脚の悪い年配女性が、杖を突いて本堂に上がり、熱心に何か祈念されている。









お寺の近くにはよく、法衣、仏具の専門店が軒を並べていたりするものだが、ここの近くには法衣専門のクリーニング店があった! 初めて。



確かに、位の高いお坊様の豪華な法衣ならば普通の着物より手間がかかりそうだ。袈裟なんかだと金糸銀糸入ってるし。 

観光寺じゃない所を巡るとこういう、まず訪れる事はないだろう通りを歩いて、面白いものを発見できる。
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インフルエンザ

2016-01-29 00:44:44 | 夢と現実



同居人がインフルエンザにかかり月曜からずっと家にいる。
人生初インフルエンザだそう。


私は18年位前かかったのが初。その頃はタミフルもなく、また感染についてもあまり知識が普及しておらず「インフルエンザは熱がすぐは下がらないから、2日休んでいいですよ」とマネージャーに言われて、3日目まだ微熱ある状態で仕事に行った。
ひどい風邪位の認識だった。隔世の感あり。
きっと生徒さんにうつしただろうなあ。

2回目は10年前。このブログ始めてすぐだ。「頭痛がずっと続いて」等と書いている。
ずっと体調が戻らず同居人の誕生日に満足のいく料理が出来なかったとも。
その時は職場で3人かかり大変だった。

このいずれの時も同居人にはうつしていない。
2回目の時は、4日は人にうつすから外にでるな、と言うルールが世の中に出来ていたので、うつさないよう家でも「隔離政策」、しかし1回目は何も。
同居人は丈夫なのである。

今回も、土曜日から熱があったようなのだが、普段熱など出さないので具合が悪いのが自分でわからなかったらしい。
日曜になって

「どうも調子悪い。風邪かも」

「ほんと?熱測ってみよう」

...38度5分。

「よくこれで、お風呂入ったりイカスミパスタ食べてたね...」

そう、割合元気にしてたのである。

私なら、そんなに熱あったら動けないんだけど...食欲もなくなるし。

病院でインフルエンザ確定、今度は同居人の会社で3人くらい出ているようだ。

よって「隔離政策」私は別室に布団敷いて寝ている。
暖房ないので毛布が着ぐるみになったようなのを寝袋風に。結構暖かい。

何時もと違う寝方のせいか、準備が整ってないのに漫才をする事になり舞台袖で緊張している夢を見た。

その上寝坊...


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写経

2016-01-25 21:53:55 | 現実
「筆と墨を買ってご朱印を書く」

と同居人が言う。

「…文字はともかく朱印はどうするの?」
「スタンプの赤いのを買ってきて…」
「消しゴム印?」

とあほな事を。

私がお寺でご朱印をもらっていると、書いている人をいつもじっくり眺め、「やっぱり有名なお寺の人はうまいよなあ」と感心していたのだが、それを見て格好いいなあ、と思い、筆文字を書いてみたくなったらしい。

ご朱印はともかくお習字はたまにいいだろう。

お正月休みにハンズに行く機会があったため、文房具の所を見てみる。

「あ、写経セットがあるよ」

トレースする般若心経を書いた紙、筆、小さな硯と墨、というセットだ。

「久しぶりに写経しようか」

もう一つ筆、下敷きも二つ買う。後で気づいて書道用の文鎮、それをまとめて入れる硯箱もアマゾンでゲット。

日曜日の午後に写経タイムとなった。





同居人はYouTubeで「般若心経10回 練習、瞑想などに」と言うのを見つけてきてかける。

声明風の大勢の声の般若心経の流れる中、筆を進める。

…字が読めない…崩しててわからない…のがある…

「草冠が変だ」

「これ、なんて字だ?」と同居人も呟く。

わかんなくてもいいのかな…とりあえずなぞれれば…それでも、写経のために座り、心落ち着けて筆を進めているのだし…
きっと、昔の人が写経して納経した時も、わからない言葉や字があった人もいたに違いない。

初めて写経したのは苔寺、西芳寺だった。調べてみると、1999年つまり17年も前の事だ。

苔寺は参拝にも予約が必要なのでずいぶん前から計画をしていったはず。その時も字がわからない!とか思った記憶はないのだがきっと同じだったろう。

物凄い大雨の日の翌日で、苔がみずみずしく、と言うより苔から水が噴き出している、と言う状態、お蔭で活き活きした苔が見られたのをよく覚えている。



先に書き終わった同居人は、別の紙に縦横にやたらと線を書いている。

「まっすぐな線が書けないんだ」

見ると、確かに横一直線、縦の線などがくねくねしているところがある。「不」の横棒とか。

そうか!

書き方が全然違うのだ。

私は子供の頃書道を数年やっていたので、とめ、はね、を自然にやってしまうが、同居人はペンと同じようにずっと同じ筆圧で書いている。
ならばまっすぐの線を書くのは難しい。
止めてから一気に引かないとふらふらしてしまう。

よく、一回泳げるようになったらしばらく泳いでなくても出来る、と言うけれど、書道もそうなんだなあ、と実感。書道教室に通っていたのは小学校中学年位までの数年のみ、つまり45年は経っている事になる。
それでも手は(脳は、だろうが)覚えているのだ。

さて、次回はどの位きれいに書けるかな。

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飛鳥寺・岡寺・うってかわってお初天神

2016-01-25 16:46:53 | 御朱印帳
一月、寒い時期だが年始、神社仏閣への参拝にはよい時期。

1月2日か3日には、どこかに初詣によく行くのだが、今年はどこに行こうかと同居人と相談、ドライブがてら奈良に向かう事に。

同居人は混雑が嫌い。それなら、京都のお寺は初詣の人々でいっぱいであろうから避け、奈良の田舎へ行く方がよいだろう。


確か友人のオーストラリア人の旦那様のご両親が奈良観光に来られ、一緒に付いて回った時に行ったかも・・・と記憶の定かでない(なにしろ20年前の話だ)飛鳥寺を目指す。

飛鳥大仏を見たかったのだ。

右から見る顔は厳しく、正面から見ると、真正面ではなく、聖徳太子ゆかりの橘寺の方角を見ていられるとか?そして左からのお顔はちょっと優しい、と説明を受ける。









写真OKなのか…

東大寺の盧舎那大仏も写真OKである。鎌倉の大仏様も撮っていいようだ。 大仏様はいいのか?

「昔の仏様の顔だな」

「法隆寺の観音様も細長いもんね」

思った通り参拝客は少ない。

お寺の傍の土産店で、葛粉と「蘇やねん橿原」というとんでもない名前のお菓子を買う。古代のチーズ「蘇」をちょと入れているようだが食べた感じはチーズケーキ。それにしてもこれ、橿原神宮御用達…でこの名前…

次は岡寺へ。

山の中へどんどん行っちゃうんじゃ?というような所を上がると駐車場が。

お寺はさらに上がるようだ。破魔矢もっておりてくる人がいる。




「結構、賑やかだね」
「意外だな」
「あ、西国七番なんだ」

山中に突然結構な伽藍が登場。「厄除け」の赤い幟がたくさん。私もご朱印と厄除け(寝室の頭の辺りの壁につけるように言われる)頂く。





さらに登ると、洞窟の観音様。




さらに登るとなかなかよい景色。奈良は高い建物がないから、広々見渡せる。あれは、甘樫の丘かな?見下ろすと本堂が。





さて、神社への初詣は少し遅れて先週。





梅田にいったついでに、お初天神(露天神社)に参拝。ここは何度も通っているし見に行ったこともあるが、「何度も通った」のはなぜかと言うと飲み屋さんが立ち並ぶアーケードの中にあるからだ。実は、1300年の歴史を持つ社なのである! しかしあまり「参拝」という神々しい雰囲気はないのだ。すぐ横にお初天神ビル、というのがあり居酒屋なんかが入ってるし。ビルの谷間にあるし。


ここはまた、近松門左衛門の「曽根崎心中」縁の地でもあるので、ちゃんとお初と徳兵衛の像がある。



ん?桜が?造花? 不断桜?

電飾、でした。

なんか、クリスマスツリーみたいだな…





















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真田丸跡

2016-01-12 23:27:09 | 現実
1年前から楽しみにしていた大河「真田丸」、1回目は面白かった。
待った甲斐があったと言うものだ。三谷幸喜は好きだけれど大河ではどうか、不安と期待の入り交じり。見てないけど「新撰組!」はちょっと「違った」と言うし、映画「清洲会議」はイマイチだったため。

大河の初めの方はあまり、面白くない事が多い。時代設定、状況設定で説明的になるし、主人公の親から始まってササッと進むので。

「真田丸」も無論、父の真田昌幸の活躍からだが1回目から幸村が子役ではないのが良かった。草刈正雄演じる真田昌幸 、曲者で面白い!


通っているネイルサロンのある京橋から真田山公園はそう遠くない。電車で7、8分と言う所、終わってから行ってみる。

ちょっと小高くなった真田山公園は、ビルに囲まれている。大阪城は見えない。
ここにある三光神社には幸村像、その足元に大阪城に続くと言う「真田の抜穴」がある。
後から作ったものだと言うので繋がってはいないんだろうけど、つい「プリンセス・トヨトミ」を思い出してしまった。










昨日放映されたばかりでもあり、訪れる人たちも少なくない。ご朱印も頂いて記念にお守りも、と思ったら六連銭模様入りお守り売り切れ。やっぱり大河の影響かな。

真田幸村のお墓があるお寺まで行ってみる。

公園内を歩いていくと、お墓がびっしり並んでいる。
みな戦没者のものだ。
街中なのに静かで、お墓が芝生にずっと並んでいるさまは、外国映画をふと思わせる情景。





心眼寺はごく普通のお寺、観光寺ではないので、幸村の墓を見られるのみ。










祭日でもあり、やはり、次々と家族連れ、カップルもやって来る。今年はこのあたり、人通りが増えるんだろうな。
次は以前にも行った、幸村終焉の地、安居神社かな。
猫が沢山いたけれど。
座った幸村像のお尻のとこに猫が寝ていたのが妙に印象に残ったものの、だれもいない静かな所だった。今年は大々的に六連銭の真っ赤な旗が翻っているかも。
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