初めて京都の渉成園に行ってきた。
命日には忙しすぎて行けなかったので、GWに母の「喉仏」の骨だけが納められている東本願寺へ。渉成園は東本願寺から3分ほど東に歩いたところにある。美しい庭が有名な別邸である。
受付で「門徒様ですか、一般のお客様ですか」と聞かれる。
へ~こんなことを聞かれるとは。
いちおう「門徒です」と答えておく。
「お寺はどちらの?」
ここまで聞かれるとは!別に料金が安くなるとか、いう事はないのだが。
500円でりっぱなパンフレットをくれる。
源氏物語の舞台にもなった、という河原院がここ、という話もあるが今ではその説はとられていない、との事が書いてある。あら、ちょっと残念。
しかしきれいな庭、特に池がよい。
ぐるりと池を回っていくと、2,3人固まって何かを見ているようだ。
私も側に寄ってみると、カモの親子が池の端で寝ているのだ。
かなり見物が集まってきたが、親と5羽のひな、どれも平気な様子でいる。
そのうちに親鳥は飛び立ち、ひなだけが残された。
「ああ~お母さん行っちゃった!」と見物の人が言う。
しかしひなは全く動じる様子もない。しばらく離れて戻ってみると、ひな達だけで泳ぎ回っていた。そういうものなのかな?
私は蓮の花が好きだけれど、睡蓮もよい。やはり暑い日などには上品で涼しげな花だ。この池には随分と睡蓮が多く、ほとんど水面を覆っている箇所も。
ここには鳥がよく羽を休めに来るのだろうか、青鷺や鴨がたくさんいる。
鷺のほうはあまりお上品ではない声で鳴いている。
京都駅から5分、と言う場所にあるとは思えないのどかな景色、確かに向こう側には高層マンションも見えるのだが。
出てから塀づたいに歩いてみたが、この中にあの広大な池がある庭が存在するとは思えないくらい、周りは普通の家々が並んでいる。
多少普通でないかな?と思われるのは、「仏具店」や「法衣店」などが軒を並べている通りがあったりするところか。
お墓参りを毎年、北海道に帰ってすることもできないので、このように東本願寺へお参りすることで代わりにしているが、亡くなった母には「京都観光のついで」と思われているかもしれない、と時々考えたり、する。
「死んだ子の年を数える」と、早くに子供を亡くした人のことをいうけれど、私も良く「死んだ母の年を数える」様なことをしている。
年を数える、というよりは、亡くなった頃の母と同じような年代の女性を見ると、[元気でいいなあ」と思ったり、おそらく80はとっくに越えている、と言うような方が、曲がった腰ながらスタスタ元気に電車に乗ってこられたりする時に「この位まで母が生きていたとしても、これだけ元気に歩き回れた可能性もあるんだなあ」などと考えてしまうのである。
命日には忙しすぎて行けなかったので、GWに母の「喉仏」の骨だけが納められている東本願寺へ。渉成園は東本願寺から3分ほど東に歩いたところにある。美しい庭が有名な別邸である。
受付で「門徒様ですか、一般のお客様ですか」と聞かれる。
へ~こんなことを聞かれるとは。
いちおう「門徒です」と答えておく。
「お寺はどちらの?」
ここまで聞かれるとは!別に料金が安くなるとか、いう事はないのだが。
500円でりっぱなパンフレットをくれる。
源氏物語の舞台にもなった、という河原院がここ、という話もあるが今ではその説はとられていない、との事が書いてある。あら、ちょっと残念。
しかしきれいな庭、特に池がよい。
ぐるりと池を回っていくと、2,3人固まって何かを見ているようだ。
私も側に寄ってみると、カモの親子が池の端で寝ているのだ。
かなり見物が集まってきたが、親と5羽のひな、どれも平気な様子でいる。
そのうちに親鳥は飛び立ち、ひなだけが残された。
「ああ~お母さん行っちゃった!」と見物の人が言う。
しかしひなは全く動じる様子もない。しばらく離れて戻ってみると、ひな達だけで泳ぎ回っていた。そういうものなのかな?
私は蓮の花が好きだけれど、睡蓮もよい。やはり暑い日などには上品で涼しげな花だ。この池には随分と睡蓮が多く、ほとんど水面を覆っている箇所も。
ここには鳥がよく羽を休めに来るのだろうか、青鷺や鴨がたくさんいる。
鷺のほうはあまりお上品ではない声で鳴いている。
京都駅から5分、と言う場所にあるとは思えないのどかな景色、確かに向こう側には高層マンションも見えるのだが。
出てから塀づたいに歩いてみたが、この中にあの広大な池がある庭が存在するとは思えないくらい、周りは普通の家々が並んでいる。
多少普通でないかな?と思われるのは、「仏具店」や「法衣店」などが軒を並べている通りがあったりするところか。
お墓参りを毎年、北海道に帰ってすることもできないので、このように東本願寺へお参りすることで代わりにしているが、亡くなった母には「京都観光のついで」と思われているかもしれない、と時々考えたり、する。
「死んだ子の年を数える」と、早くに子供を亡くした人のことをいうけれど、私も良く「死んだ母の年を数える」様なことをしている。
年を数える、というよりは、亡くなった頃の母と同じような年代の女性を見ると、[元気でいいなあ」と思ったり、おそらく80はとっくに越えている、と言うような方が、曲がった腰ながらスタスタ元気に電車に乗ってこられたりする時に「この位まで母が生きていたとしても、これだけ元気に歩き回れた可能性もあるんだなあ」などと考えてしまうのである。