5月4日。同居人はGWというのに仕事が入り、さて、どうしようか、家にこもっていてはまた、洗濯と掃除で一日過ごしてしまいそう。こんなにお天気が良いのにもったいない話である
京都散策にでも?GWともなれば混雑は避けられないだろうが、賑やかなのもまたいいかもしれない。思い立ったらすぐに、と準備をし、15年前に買ってそのまま使っている「歩く地図」を携えて出かけた。
JRで京都へ、山陰本線に乗り換えて嵯峨嵐山へ。
この駅は、10年ほど前に一度来たことがある。
母と、伯母、いとこたちと京都観光した時のことだ。この駅からトロッコ列車に乗って亀岡まで行き、保津峡下りの船で嵐山まで下りてきたのだ。
その頃と変わっているのかいないのか…はっきりとは覚えていない。記憶にあるのは駅の建物位である。
トロッコ列車の駅には沢山人が群れているが、今日は乗るつもりはない。このまま歩いて大覚寺まで行くのだ。
なるべく人通りのない道を選んで歩く。嵐山に近ければ近いほど人混みが予想されるから、地図を見ながら細い通りを。
しかしところどころに大覚寺を指す板の標識があるところを見ると、このあたりを歩く人もいるのか。前後を見渡しても旅行者らしき人は誰も歩いていないけれど。
大して「京都らしい」味のある通りではないが、たまに「林か?」と思ったらちゃんと表札があって、普通の家だったりして面白い。
大覚寺を選んだのは、今まで行ったことがなかったから、それと傍の大沢の池を見てみたかったからである。9月には竜頭鶏首の船を浮かべて「観月の夕べ」が行われる場所、また「名こそ流れてなほ聞こえけり」の歌で有名な「名古曽の滝」跡がある。
実際の大沢の池はあっさりとした池で、平安時代から生きていそうな大鯉が泳いでいるが、どちらかと言えば、なだらかな山が遠くに見え、近くには高い建物は何もなく、畑ばかり、歴史よりものどかな景色を楽しめる場所だ。ピクニックでもしたいところである。
木々で囲まれた池をぐるりと回るとマイナスイオンたっぷり頂いた気がする。
王朝の人々も「いや~京の町中とは違って気分いいですなぁ」などと語り合いながら歩いたのだろうか。
大覚寺は廊下がぐるぐる回っていて大きなお寺である。「嵯峨御所」と言われただけのことはある立派なお寺であるが、さて、すごく印象に残るかと言うと…やはり大沢の池あっての、という感じ?大きなお寺というのはどこもそうなる気がする。
さて、その後の事ははっきり決めていなかったので、ここで一休みして考えることに。
GWとも思えぬ、夏まがいの暑さで疲れたこともあり、近くに「甘春堂」という和菓子の店、ここは以前、ネットでよくお菓子を注文していたところだが、カフェも併設しているので寄っていくことにする。
カフェに入ってびっくり、半分を仕切って「和菓子体験」をしているのだ。
普通の客は私だけ、半分はガラ空き。
男性のパティシエ?が20人ばかりの女性子供を相手に練ったり飾ったり、「次はきんとんですよ、中のつぶあんが見えないくらいくっつけてくださいね…」などと説明、賑やかである。
なかなか楽しそうで私もやってみたかった。
運ばれてきたぜんざい、さすがに和菓子屋のものだけあって、きちんと甘さを抑えて煮た大粒の小豆、抹茶アイス、ゼリー白玉、どれも美味しい。
それほど期待もせずにふらっと入ったため儲けた気になる。
これで「都路里」などで散々待って期待外れだったりしたら大損と思うことだろう。
ここのところ、体力の低下が気になっていた。疲れが取れないし、ちょっと寝不足したらもう、夕方には頭がふらふらだったり、眠くて考えがまとまらなかったり
トシだから仕方ないとは言え、仕事をしている身である。
やはり対策を考えねば、と思う。
何と言っても一番悪いのは運動不足、なのである。
もともと体動かすのは嫌い。
特に最近、疲れやすくなってからは守りに入ってしまい、「疲れるからやめとこう」側に頭が行ってしまっている。
大沢の池を巡りながら、その守りの姿勢がますます体力不足を招いているのでは?と考えた。前日まで行っていた温泉で、マッサージをお願いした鍼灸師さんに散々説教されたせいもある。
「肩も首もがちがちですよ。これほっておくと大変ですよ。マッサージじゃ治らなくなりますよ」とお風呂後などに運動をするように言われたのだ。
よし!
今日は歩くぞ!
はじめはバスに乗ってJRの駅まで戻ろうか、などと考えていたのだが、そのまま歩いて嵐山方面まで行くことにする。
畑ばかりの中、家の横に棚が置かれ、「京野菜100円」などと書いてある。この暑さで水菜もしおれてしまっているが。
やがて竹林、このあたりから人がどっと増える。今までの静けさは何?
線路を越えて野々宮神社へ。
地図で場所を確認している私に、単車に乗った男の子が「野々宮神社どのへんですか」と聞いてくる。
この人は、さっきどういうわけか自転車に乗った外人の女の子二人に「Nonomiya Temple?」と場所を聞いていた人だ。templeじゃなくshrineだけどなあ、と思いながら聞いていたが、わざわざ外人に尋ねることもなかろう、変わった人、と思っていたのだが。
私の持っている地図を見て、「それじゃあわかりませんよ」と言うが、何をもってしてそういうのか???私はこれでちゃんと歩きまわっているのである。かわいい絵が描いてあるからか?
生意気なやつだ
「線路の近くの筈ですよ」(以前来たことがあるので覚えていた)
「あ、線路はすぐそこにありました」
「じゃ越えてすぐです」
時間差を置いて私も神社へ行ってみたが、着く前にすぐにその男の子が戻ってくるのが見えた。
何しに行ったのだ?全くヘンな奴である。
野々宮神社は人が多すぎ。
源氏物語の雰囲気などくそくらえの人だかりである。
源氏に出てくるように、秋の虫の音が聞こえる夜半に来てみたい。
有名な黒木の鳥居にもありがたみが感じられないではないか。
おみくじは「中吉」旅は「すぐ行け!」とのこと、思い立って京都に来たのは正解だったようだ。
ここからはまた、竹林の坂道を上がって亀山公園まで歩ける。
ここは母たちと記念写真を撮った場所だ。あの時も紅葉の季節だったので人は多かった。
あの日は嵐山で船を下りて、賑やかな通りを抜けてここまで歩いて来たのだったか、それとも天龍寺から出てきたのだったか…。今日の私は逆方向に進む。
亀山公園はそれこそ10年以上前に、同居人と歩いたことがある。今回はその時行かなかった展望台まで頑張って歩いて上がることにする。
この辺は人も少なく快適なウオーキングだ。
着いてびっくり、それ程歩いていないのに意外に高い所にあるのだ。完璧「山の上」という感じ。
竹林辺りはゆっくりと上がってきたため、高低差をあまり感じなかったが結構上がってきたらしい。
向かい側の山の新緑が見事である。はるか下には桂川が涼しげ。
今度はその川まで下りていく。
「野生の猿に注意。目を合わさないように」
という看板があちこちにあるが、突然出てこられたらどうしても目が合ってしまうのじゃないだろうか?一人で歩いてい私は結構びくびくする。
猿に出会うこともなく無事桂川べりへ。
もう夕方だがボート乗りを楽しんでいる人たちがいる。
私も同居人と夜、鵜飼を見て、おでんを船の上で食べて楽しんだことがある。
のどかな風景で、このあたりを流れていってしまった人がいたことなど、信じられないようである。
ずっと以前、一緒に働いていたアメリカ人の先生が、保津川で(桂川の上流)川遊びをしていて、流されて亡くなってしまったのだ。見つかったのはこのあたりの筈だ。
日本に来てまだひと月。前に留学生として来たことがあり、日本語がうまい人だった。
大阪の高槻に住んでいてそこの川で泳ぐのが楽しみだった、というので、「川で遊ぶのは危ないよ」「細い川だから大丈夫なんだよ」そんな会話をしてほんの2週間位で起きた事故だった。
嵐山に来るたびに、母やそのアメリカ人の先生…亡くなってしまった人の事を考えるのも不思議なことだ。こんなにきれいで、楽しく賑やかな場所なのに。
近年まれに見るほど沢山歩いた一日、京福電鉄の駅のホームで足湯でもしよう
知り合いがここに足湯があると教えてくれたのを覚えていてぜひ試してみたかったのだ。
150円払うとチケットとタオルをくれる。
あとは電車のチケットを買ってホームへ。足湯は嵐山温泉の湯、せまいのでぎゅうぎゅう詰めに人が入っている。お湯は熱いが、熱い位でないと足湯は効果がない。10分ほどですっかり足が軽くなった。
帰りは大阪まで京阪で。せっかくのんびりしているのだから夕食も、と思い、祇園にある漬物屋「西利」の上のレストランで「漬物寿司点心」を頂く。
漬物寿司6カン、大根の煮物、鮭の大根巻などがお上品に並んでいる。それに京都らしく白味噌の味噌汁。漬物寿司の中には、私の大好きな菜の花の漬物もある!美味。
漬物の載った寿司なのでいくらでも入りそうである。
味噌汁はさすがに甘いが、中に浮いていた生麩を口に入れてびっくり、真中に模様が入っていると思ったらそれはたっぷりの和辛子だったのだ。鼻が…これは不意打ちすぎでは???
京都はそう甘くない。
京都散策にでも?GWともなれば混雑は避けられないだろうが、賑やかなのもまたいいかもしれない。思い立ったらすぐに、と準備をし、15年前に買ってそのまま使っている「歩く地図」を携えて出かけた。
JRで京都へ、山陰本線に乗り換えて嵯峨嵐山へ。
この駅は、10年ほど前に一度来たことがある。
母と、伯母、いとこたちと京都観光した時のことだ。この駅からトロッコ列車に乗って亀岡まで行き、保津峡下りの船で嵐山まで下りてきたのだ。
その頃と変わっているのかいないのか…はっきりとは覚えていない。記憶にあるのは駅の建物位である。
トロッコ列車の駅には沢山人が群れているが、今日は乗るつもりはない。このまま歩いて大覚寺まで行くのだ。
なるべく人通りのない道を選んで歩く。嵐山に近ければ近いほど人混みが予想されるから、地図を見ながら細い通りを。
しかしところどころに大覚寺を指す板の標識があるところを見ると、このあたりを歩く人もいるのか。前後を見渡しても旅行者らしき人は誰も歩いていないけれど。
大して「京都らしい」味のある通りではないが、たまに「林か?」と思ったらちゃんと表札があって、普通の家だったりして面白い。
大覚寺を選んだのは、今まで行ったことがなかったから、それと傍の大沢の池を見てみたかったからである。9月には竜頭鶏首の船を浮かべて「観月の夕べ」が行われる場所、また「名こそ流れてなほ聞こえけり」の歌で有名な「名古曽の滝」跡がある。
実際の大沢の池はあっさりとした池で、平安時代から生きていそうな大鯉が泳いでいるが、どちらかと言えば、なだらかな山が遠くに見え、近くには高い建物は何もなく、畑ばかり、歴史よりものどかな景色を楽しめる場所だ。ピクニックでもしたいところである。
木々で囲まれた池をぐるりと回るとマイナスイオンたっぷり頂いた気がする。
王朝の人々も「いや~京の町中とは違って気分いいですなぁ」などと語り合いながら歩いたのだろうか。
大覚寺は廊下がぐるぐる回っていて大きなお寺である。「嵯峨御所」と言われただけのことはある立派なお寺であるが、さて、すごく印象に残るかと言うと…やはり大沢の池あっての、という感じ?大きなお寺というのはどこもそうなる気がする。
さて、その後の事ははっきり決めていなかったので、ここで一休みして考えることに。
GWとも思えぬ、夏まがいの暑さで疲れたこともあり、近くに「甘春堂」という和菓子の店、ここは以前、ネットでよくお菓子を注文していたところだが、カフェも併設しているので寄っていくことにする。
カフェに入ってびっくり、半分を仕切って「和菓子体験」をしているのだ。
普通の客は私だけ、半分はガラ空き。
男性のパティシエ?が20人ばかりの女性子供を相手に練ったり飾ったり、「次はきんとんですよ、中のつぶあんが見えないくらいくっつけてくださいね…」などと説明、賑やかである。
なかなか楽しそうで私もやってみたかった。
運ばれてきたぜんざい、さすがに和菓子屋のものだけあって、きちんと甘さを抑えて煮た大粒の小豆、抹茶アイス、ゼリー白玉、どれも美味しい。
それほど期待もせずにふらっと入ったため儲けた気になる。
これで「都路里」などで散々待って期待外れだったりしたら大損と思うことだろう。
ここのところ、体力の低下が気になっていた。疲れが取れないし、ちょっと寝不足したらもう、夕方には頭がふらふらだったり、眠くて考えがまとまらなかったり
トシだから仕方ないとは言え、仕事をしている身である。
やはり対策を考えねば、と思う。
何と言っても一番悪いのは運動不足、なのである。
もともと体動かすのは嫌い。
特に最近、疲れやすくなってからは守りに入ってしまい、「疲れるからやめとこう」側に頭が行ってしまっている。
大沢の池を巡りながら、その守りの姿勢がますます体力不足を招いているのでは?と考えた。前日まで行っていた温泉で、マッサージをお願いした鍼灸師さんに散々説教されたせいもある。
「肩も首もがちがちですよ。これほっておくと大変ですよ。マッサージじゃ治らなくなりますよ」とお風呂後などに運動をするように言われたのだ。
よし!
今日は歩くぞ!
はじめはバスに乗ってJRの駅まで戻ろうか、などと考えていたのだが、そのまま歩いて嵐山方面まで行くことにする。
畑ばかりの中、家の横に棚が置かれ、「京野菜100円」などと書いてある。この暑さで水菜もしおれてしまっているが。
やがて竹林、このあたりから人がどっと増える。今までの静けさは何?
線路を越えて野々宮神社へ。
地図で場所を確認している私に、単車に乗った男の子が「野々宮神社どのへんですか」と聞いてくる。
この人は、さっきどういうわけか自転車に乗った外人の女の子二人に「Nonomiya Temple?」と場所を聞いていた人だ。templeじゃなくshrineだけどなあ、と思いながら聞いていたが、わざわざ外人に尋ねることもなかろう、変わった人、と思っていたのだが。
私の持っている地図を見て、「それじゃあわかりませんよ」と言うが、何をもってしてそういうのか???私はこれでちゃんと歩きまわっているのである。かわいい絵が描いてあるからか?
生意気なやつだ
「線路の近くの筈ですよ」(以前来たことがあるので覚えていた)
「あ、線路はすぐそこにありました」
「じゃ越えてすぐです」
時間差を置いて私も神社へ行ってみたが、着く前にすぐにその男の子が戻ってくるのが見えた。
何しに行ったのだ?全くヘンな奴である。
野々宮神社は人が多すぎ。
源氏物語の雰囲気などくそくらえの人だかりである。
源氏に出てくるように、秋の虫の音が聞こえる夜半に来てみたい。
有名な黒木の鳥居にもありがたみが感じられないではないか。
おみくじは「中吉」旅は「すぐ行け!」とのこと、思い立って京都に来たのは正解だったようだ。
ここからはまた、竹林の坂道を上がって亀山公園まで歩ける。
ここは母たちと記念写真を撮った場所だ。あの時も紅葉の季節だったので人は多かった。
あの日は嵐山で船を下りて、賑やかな通りを抜けてここまで歩いて来たのだったか、それとも天龍寺から出てきたのだったか…。今日の私は逆方向に進む。
亀山公園はそれこそ10年以上前に、同居人と歩いたことがある。今回はその時行かなかった展望台まで頑張って歩いて上がることにする。
この辺は人も少なく快適なウオーキングだ。
着いてびっくり、それ程歩いていないのに意外に高い所にあるのだ。完璧「山の上」という感じ。
竹林辺りはゆっくりと上がってきたため、高低差をあまり感じなかったが結構上がってきたらしい。
向かい側の山の新緑が見事である。はるか下には桂川が涼しげ。
今度はその川まで下りていく。
「野生の猿に注意。目を合わさないように」
という看板があちこちにあるが、突然出てこられたらどうしても目が合ってしまうのじゃないだろうか?一人で歩いてい私は結構びくびくする。
猿に出会うこともなく無事桂川べりへ。
もう夕方だがボート乗りを楽しんでいる人たちがいる。
私も同居人と夜、鵜飼を見て、おでんを船の上で食べて楽しんだことがある。
のどかな風景で、このあたりを流れていってしまった人がいたことなど、信じられないようである。
ずっと以前、一緒に働いていたアメリカ人の先生が、保津川で(桂川の上流)川遊びをしていて、流されて亡くなってしまったのだ。見つかったのはこのあたりの筈だ。
日本に来てまだひと月。前に留学生として来たことがあり、日本語がうまい人だった。
大阪の高槻に住んでいてそこの川で泳ぐのが楽しみだった、というので、「川で遊ぶのは危ないよ」「細い川だから大丈夫なんだよ」そんな会話をしてほんの2週間位で起きた事故だった。
嵐山に来るたびに、母やそのアメリカ人の先生…亡くなってしまった人の事を考えるのも不思議なことだ。こんなにきれいで、楽しく賑やかな場所なのに。
近年まれに見るほど沢山歩いた一日、京福電鉄の駅のホームで足湯でもしよう
知り合いがここに足湯があると教えてくれたのを覚えていてぜひ試してみたかったのだ。
150円払うとチケットとタオルをくれる。
あとは電車のチケットを買ってホームへ。足湯は嵐山温泉の湯、せまいのでぎゅうぎゅう詰めに人が入っている。お湯は熱いが、熱い位でないと足湯は効果がない。10分ほどですっかり足が軽くなった。
帰りは大阪まで京阪で。せっかくのんびりしているのだから夕食も、と思い、祇園にある漬物屋「西利」の上のレストランで「漬物寿司点心」を頂く。
漬物寿司6カン、大根の煮物、鮭の大根巻などがお上品に並んでいる。それに京都らしく白味噌の味噌汁。漬物寿司の中には、私の大好きな菜の花の漬物もある!美味。
漬物の載った寿司なのでいくらでも入りそうである。
味噌汁はさすがに甘いが、中に浮いていた生麩を口に入れてびっくり、真中に模様が入っていると思ったらそれはたっぷりの和辛子だったのだ。鼻が…これは不意打ちすぎでは???
京都はそう甘くない。