大阪に住んで17年になるが、意外に大阪を見ていない。
どちらかといえば古都、京都・奈良のほうに興味があり、そちらを回る方が多かったという事なのだが。
特にミナミの方にはあまり足を向けていない。職場に近いのに天王寺界隈等はほとんど知らないのだ。
それならば、とカメラを携えてある午後、そのあたりを巡ってみる事にした。
また、この近くには、10年以上前に行くべきだったお寺があるのだ。
一心寺という。ここは浄土宗のお寺だが、宗派を問わず、お骨をあずかり、その集まったお骨を10年分ためて、骨仏(阿弥陀如来像)を作り、安置しているお寺なのだ。
10年前に亡くなった母がまだ元気な時、一心寺で骨仏にしてもらおうかな、と言っていたのだ。
「あんた大阪なんだから、パンフレットか何かもらって」と言われてはいたのだが、「骨仏もどうかなあ…」と思い実現はしていなかった。
母の考えとしては、一人っ子の私は北海道には住まないようだし、お墓が北海道にあると面倒かも、という事だったかもしれない。
実際には三笠の菩提寺に納骨堂が出来たので、永代供養して頂けることになったのだが。また喉仏の骨は、本山東本願寺にあるので時折お参りに行っている。
けれど、頼まれていたのに一心寺に行っていない、という事はいつもどこかで引っかかっていた部分があったのだ。
実際行ってみるとなかなか、現代的なお寺。最近はよくお寺でコンサートなどがあるが、ここにはコンサートホールが向かいにちゃんとあるのだ。一心寺シアターという。
骨仏がどんな風なのか、と思っていたが、意外にも境内で誰でも拝めるようになっている。
なんとなく、お寺の奥の方に安置されているようなイメージだったのだが、それは「一心」の心に反するのか。
見た感じ、ごく普通の阿弥陀様に見える。コンクリートでできた、風をイメージしていたのだが、そういう感じでもないのだ。
蝋燭とお線香を供えて、もし母がここで骨仏になっていたらこんなふうにお参りをしたのかな、などと考える。10年ずつ集めるはずだから、すぐに骨仏になるわけでもないのだが。
一心寺から四天王寺へ。四天王寺から坂道めぐりへ。
このあたりは上町台地、大昔からここだけは大阪辺りで「陸地」だったところ、坂道が多いのはそのためだろう。夕陽丘、などというゆかしい名前の付く地域もこのあたりだ。
車の多い谷町筋から一歩入ると、人気のない坂道があるのだ。静かなのに驚かされる。坂道を降りて次の松屋町筋へ出るとまた結構な交通量なのに。
車を通れなくしているところもあるからだろう。下から見るとヘビのようなので「口縄坂」と言う名のついている坂道もそう。
落ち着いた雰囲気のある一角だ。
ここから少し歩けば賑やかな新世界、二度づけ禁止の串カツの店が並び、放射線状の道々の真中に通天閣がそびえる、というベタに「大阪」な場所。なんだか不思議な午後だった。
デジブック 『お・お・さかレトロ』
どちらかといえば古都、京都・奈良のほうに興味があり、そちらを回る方が多かったという事なのだが。
特にミナミの方にはあまり足を向けていない。職場に近いのに天王寺界隈等はほとんど知らないのだ。
それならば、とカメラを携えてある午後、そのあたりを巡ってみる事にした。
また、この近くには、10年以上前に行くべきだったお寺があるのだ。
一心寺という。ここは浄土宗のお寺だが、宗派を問わず、お骨をあずかり、その集まったお骨を10年分ためて、骨仏(阿弥陀如来像)を作り、安置しているお寺なのだ。
10年前に亡くなった母がまだ元気な時、一心寺で骨仏にしてもらおうかな、と言っていたのだ。
「あんた大阪なんだから、パンフレットか何かもらって」と言われてはいたのだが、「骨仏もどうかなあ…」と思い実現はしていなかった。
母の考えとしては、一人っ子の私は北海道には住まないようだし、お墓が北海道にあると面倒かも、という事だったかもしれない。
実際には三笠の菩提寺に納骨堂が出来たので、永代供養して頂けることになったのだが。また喉仏の骨は、本山東本願寺にあるので時折お参りに行っている。
けれど、頼まれていたのに一心寺に行っていない、という事はいつもどこかで引っかかっていた部分があったのだ。
実際行ってみるとなかなか、現代的なお寺。最近はよくお寺でコンサートなどがあるが、ここにはコンサートホールが向かいにちゃんとあるのだ。一心寺シアターという。
骨仏がどんな風なのか、と思っていたが、意外にも境内で誰でも拝めるようになっている。
なんとなく、お寺の奥の方に安置されているようなイメージだったのだが、それは「一心」の心に反するのか。
見た感じ、ごく普通の阿弥陀様に見える。コンクリートでできた、風をイメージしていたのだが、そういう感じでもないのだ。
蝋燭とお線香を供えて、もし母がここで骨仏になっていたらこんなふうにお参りをしたのかな、などと考える。10年ずつ集めるはずだから、すぐに骨仏になるわけでもないのだが。
一心寺から四天王寺へ。四天王寺から坂道めぐりへ。
このあたりは上町台地、大昔からここだけは大阪辺りで「陸地」だったところ、坂道が多いのはそのためだろう。夕陽丘、などというゆかしい名前の付く地域もこのあたりだ。
車の多い谷町筋から一歩入ると、人気のない坂道があるのだ。静かなのに驚かされる。坂道を降りて次の松屋町筋へ出るとまた結構な交通量なのに。
車を通れなくしているところもあるからだろう。下から見るとヘビのようなので「口縄坂」と言う名のついている坂道もそう。
落ち着いた雰囲気のある一角だ。
ここから少し歩けば賑やかな新世界、二度づけ禁止の串カツの店が並び、放射線状の道々の真中に通天閣がそびえる、というベタに「大阪」な場所。なんだか不思議な午後だった。
デジブック 『お・お・さかレトロ』