たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

京都散策の夜 千日詣りと百鬼夜行

2015-08-16 23:48:11 | 現実
京都の夏は暑い。

日が落ちても暑いのは、そこは北海道と一番違う所。今年の夏は北海道も湿気が多めで暑いそうだ。
帰省時も確かにちょっと暑いとは思ったが、京都の暑さとはけた違いだ。北海道では日が落ちればもう、この季節なら秋めいた空気になる。

しかし、そこが京都らしくてよい。私は夏や冬の京都も結構、好きだ。

盆地のせいで、夜になってもいつまでも熱気がこもる中、祇園あたりをそぞろ歩きながら清水へ向かう。

このあたりは何度も歩いているので、ジグザグに歩いて適当に曲がっても、方向を間違える事はない。夜6時、東山あたりはまだまだ、すごい人だ。

あちこちに大きな氷を置いた桶があり、涼を誘う。いや、でも暑い。清水寺まではずっと登り坂だし…この湿気では、汗が逃げない。

賑やかにグループで歩いているのはやはり外国人観光客。中国、韓国の人たちが多い。お土産屋さんに気を取られながら、写真撮影をしながらなのでなかなか前に進めないようだ。




今日は千日詣り、一日で、千日詣ったと同じ功徳が与えられるという日、普段見られない内陣に入れるというのですごい行列。 6年前に紅葉の頃、来たことがあるが、何しろ今は真夏、行列している人々も汗だくである。

入るとろうそくを求める人、ろうそくにお願い事を書く人でごった返しており、これなら行列も進まないはずだ。しかも内陣は狭い。

私もろうそくとお札を頂き、燈をともしてくる。たくさんのろうそくが並ぶ光景は壮観だ。観音様と五色の糸でご縁を結び、しばらくお坊様のお経を聴く。周りには、一緒にお経を唱えている方も。
こういう雰囲気は、なかなか得難い。

人でごった返した清水寺、というのは古典でも聞く。千年前もこんなふうだったのか、と思うとおかしくもある。


レーザー光線は出なくても、本物の星がもっと、沢山見られたことだろうけれど。






さて、この後は近くの高台寺。

ここはライトアップが有名だが、今年は夏の燈明会と百鬼夜行展をしている。






しかしこれは、「ゲゲゲの鬼太郎展」と勘違いされないか??



中では由緒正しい百鬼夜行絵図を展示しているが…。


今年のライトアップはいつもの場所で、勅使門に百鬼夜行のプロジェクションマッピング、流行りのものはすぐ取り入れるようだ。このお寺は演出上手だから…。しかしなかなか、見ごたえがあった。




シャワーでも浴びたかと思う位汗をかいて、坂を下りて帰る。祇園あたりもまだまだ、散策を楽しむ人たちが多い。夜は長そうだ。




デジブック 『京都散策の夜』
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30年。

2015-08-16 17:52:20 | 現実
昔よく本を買った、札幌弘栄堂書店のブックカバー。とても懐かしい。このカバーのファンは多いそうだ。昔から変わっていない。

30年前から変わっていない、と言いたいところだが、調べてみると40年変わっていないそうだ。

1年ぶりに帰省して、私が実家を出てから約30年になると気付いた。それから札幌で5年暮らしてオーストラリア、そんなに経ったんだなあ…




ピアノを手放そうかと父と話しているので、さてふたを開けて弾いてみると意外に音は変ではない。私の腕は変だからたどたどしい音だけれど、調律すればまだ使えそうだ。メジャーなメーカーではないので、買い取りは難しいそうだけれどごみになるのももったいない気がする。50年物でもOKという所もあるようだ。

ちょっと一人の時間が出来たので、昔一人暮らしをしていた札幌のアパート付近まで行ってみた。

さすがに30年近く経つと記憶も曖昧だし、周りの景色も変わっているので手さぐり(足さぐりか)で「なんとなくこの道の曲がり具合は?」と不確かながら歩いてみる。

一か所、これは変わっていないのでは?と思われる場所があり、それを目印にしようと思っていた。

道路にはみ出していた木だ。

関西でもよく見るけれど、なぜか切られずに道路が迂回している木があるものだ。何か謂れがあったりするのだろうが、私の住んでいた通りにもあって、車は面倒だろうな、と思っていたのだ。

大きい通りからこのあたりを右に曲がるんだったと思ったけど…



「あった!」

思わず声が出た。30年経ったら伸びてもいるんだろうけど、その頃からかなり立派な大きな木だった。やはり切られずに残っている。この木から少し歩いたところにアパートがあったのだが、その頃から考えても相当古いアパートだったので、むろん違う建物、やはりアパートだ。

そして気が付いた事。

私、道幅のスケールが関西標準になっているんだ…

目印の木は、道路の真ん中くらいまで来ているように思っていたのだがそうではなかった。
思ったより、道路は広かったのだ。

関西なら、こういう、大通りから一歩入った、という道路は歩道もなく狭い。車なら1台がやっと。そこをびゅんびゅん走る。

この通りも、私が住んでいた頃は「歩道もなく狭い通り」と思っていたのに、今歩いてみると結構な幅がある事に気付く。

ぶらぶらと辺りを歩いても、やはり、大通りでない通りでも両側に歩道があったりして、物凄く広い気がする。そして、車はめったに通らないのだ。



実家の庭に父の育てているクレマチスはあったけれど、30年前、いや10年前でもこの、釣鐘型のものはなかった。昔は、薔薇が垣根の様になっていた場所だ。



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