先週は日曜出勤、帰りはちょっと雨に降られた。
月曜は曇り空。天気予報では午後から晴れるとの事、では、と出かけることに。
その前の週まで真夏並みの暑さ、なんでも7月下旬位の気温の日もあったそうだ。
雨のお蔭で涼しくて歩くのにちょうど良さそう。
37年ぶりの広隆寺。雨上りの為、つつじや青もみじにも水滴がいっぱいで涼しげ。
国宝第一号、優雅な弥勒菩薩半跏思惟像、がある有名なお寺だが、月曜日のせいか人は少ない。修学旅行生は近くの太秦映画村方面へ歩いていく。
静かな庭を通って新霊宝殿に。ライト暗めの中に国宝、重要文化財の仏像がずらりと。さすがに弥勒菩薩様は真中に、しかもかなり奥まって鎮座。
修学旅行で来た時はもっと近くで見たような?
この建物自体かなり新しそうなので37年前は違う建物に置かれていたのだろう。後で見ると、霊宝殿と書かれた建物がほかにあった。
弥勒菩薩像の写真って、たいてい、右横か左横から、斜め45度くらいで撮られたものがほとんどだが、何故かよくわかった。正面から見ると、胴が細すぎで、あまりバランスがよく見えないのである。優雅だけれどなんとなく、頼りなげに見えるので正面写真がまずないのだろう。
…それにしてもちいさな仏像なので、遠いのが残念。暗いし…もっとそばでじっくり見たいものだ。
もひとつ残念だったのが…ご朱印がスタンプ。日付だけ書いてくれる。清明神社パターン。
さて、気を取り直して、ここからは徒歩で10分位、「三柱鳥居」のある、蚕ノ社へ。木島坐天照御魂神社、が正式な名前だけれど、嵐電の駅の名にもなっている蚕ノ社で通っているようだ。
「三柱鳥居」は、京極夏彦の小説「絡新婦の理」でも取り上げられているし、阿部晴明のマンガ「陰陽師」でも描かれているのでいちど見ておきたかったのだ。
確かに面白い形。縁の秦氏に関係する方向に向いていると言う説があるそう。しかしながらこれも柵で囲われて近くで見られない!
そういう日だったのかな…
家に帰って、実家から持ってきた、修学旅行の栞とパンフ(よくこんなものとっておいたものだ!)を出してみた。
広隆寺の弥勒菩薩を自由行動で見に行ったグループは結構いたようだが、私のグループもそうだった。嵐電が家の間をすり抜けるように走るのが珍しかったのをはっきり覚えているが、旅行記を読んでいると、広隆寺を出て違う方向へいってしまい、次の駅まで歩いた、と書いてある。
…太秦の駅は広隆寺の目の前なんだけれど…謎。
上が現在の、下が37年前の広隆寺の栞とチケットだ。書いてある内容は同じ。何を思ってとっておいたのか、見直すことも40年近くしなかったわけだが、こうして並べてみると感慨があるものだ。高校生の頃は、将来関西に住んで、趣味で古都めぐりをするようになるとは考えてもみなかったのだから。
月曜は曇り空。天気予報では午後から晴れるとの事、では、と出かけることに。
その前の週まで真夏並みの暑さ、なんでも7月下旬位の気温の日もあったそうだ。
雨のお蔭で涼しくて歩くのにちょうど良さそう。
37年ぶりの広隆寺。雨上りの為、つつじや青もみじにも水滴がいっぱいで涼しげ。
国宝第一号、優雅な弥勒菩薩半跏思惟像、がある有名なお寺だが、月曜日のせいか人は少ない。修学旅行生は近くの太秦映画村方面へ歩いていく。
静かな庭を通って新霊宝殿に。ライト暗めの中に国宝、重要文化財の仏像がずらりと。さすがに弥勒菩薩様は真中に、しかもかなり奥まって鎮座。
修学旅行で来た時はもっと近くで見たような?
この建物自体かなり新しそうなので37年前は違う建物に置かれていたのだろう。後で見ると、霊宝殿と書かれた建物がほかにあった。
弥勒菩薩像の写真って、たいてい、右横か左横から、斜め45度くらいで撮られたものがほとんどだが、何故かよくわかった。正面から見ると、胴が細すぎで、あまりバランスがよく見えないのである。優雅だけれどなんとなく、頼りなげに見えるので正面写真がまずないのだろう。
…それにしてもちいさな仏像なので、遠いのが残念。暗いし…もっとそばでじっくり見たいものだ。
もひとつ残念だったのが…ご朱印がスタンプ。日付だけ書いてくれる。清明神社パターン。
さて、気を取り直して、ここからは徒歩で10分位、「三柱鳥居」のある、蚕ノ社へ。木島坐天照御魂神社、が正式な名前だけれど、嵐電の駅の名にもなっている蚕ノ社で通っているようだ。
「三柱鳥居」は、京極夏彦の小説「絡新婦の理」でも取り上げられているし、阿部晴明のマンガ「陰陽師」でも描かれているのでいちど見ておきたかったのだ。
確かに面白い形。縁の秦氏に関係する方向に向いていると言う説があるそう。しかしながらこれも柵で囲われて近くで見られない!
そういう日だったのかな…
家に帰って、実家から持ってきた、修学旅行の栞とパンフ(よくこんなものとっておいたものだ!)を出してみた。
広隆寺の弥勒菩薩を自由行動で見に行ったグループは結構いたようだが、私のグループもそうだった。嵐電が家の間をすり抜けるように走るのが珍しかったのをはっきり覚えているが、旅行記を読んでいると、広隆寺を出て違う方向へいってしまい、次の駅まで歩いた、と書いてある。
…太秦の駅は広隆寺の目の前なんだけれど…謎。
上が現在の、下が37年前の広隆寺の栞とチケットだ。書いてある内容は同じ。何を思ってとっておいたのか、見直すことも40年近くしなかったわけだが、こうして並べてみると感慨があるものだ。高校生の頃は、将来関西に住んで、趣味で古都めぐりをするようになるとは考えてもみなかったのだから。