たのしい夢日記

京都奈良寺社巡り・思い出・読んだ本…日々のあれこれを写真と共に。

ジャカランダの花

2011-11-13 23:56:36 | オーストラリアの記憶
11月も半ばになった。

思いついてPCに取り込んである写真を整理していたら、シドニーで1993年と1994年の11月に撮った写真が数枚あるのに気付いた。

日本語を教えていたTAFEの、生徒さんたちと撮った写真が11月の日付になっているが、これはクラスの最後に皆でパーティをしたものだと思う。オーストラリアは季節が逆だから、そろそろ夏休み、と言う頃だろう。そして新学期は2月なのだ。




これは教えていた教室で、食べ物を持ち寄ってのパーティだった。生徒さんに見せるために着物を着て行ったのだ。このクラスには、実は「刑務所に入っている」人がいて、びっくりしたものだ。日本語を習いに来る時だけTAFEまで来ることが出来、それ以外のところには行ってはいけない、という事でここでパーティになったはず。
頭の回転の速い面白い生徒さんだったが、何をしたものやら。"Kumiko, you're funny."とよく言われたが、「アンタに言われても」という位いつも冗談ばかり言っていた。ほかの生徒さんも事情をちゃんと知っていて、でもごく普通に付き合っていたのがまた愉快だった。




こちらのクラスはアジア人の生徒さん…韓国人、中国人、の人などが多く、親しみがわいたせいかとても慕われて、楽しいクラスだった。これは「折鶴」という日本食レストランでのパーティだった。今でもあるんだろうか。


11月、というと、ジャカランダの花が美しい季節である。10月位からが盛り?アメリカでは5月位のようだ。
日本の桜の様に、春に咲く花である。
桜の様にすぐに散らずに目を楽しませてくれる大木。薄紫の色合いが上品な花だが、調べてみると、花言葉は「名誉・栄光」…あんまりピンとこない。



1994年11月30日、と言う事は17年前の事。
この日は、ジャカランダの写真を撮りたいから、と同居人に車を出してもらい、あちこちドライブをして、ジャカランダの木を探したのだ。見つけたのが郊外にあったこの木。どこだったかは覚えていないが、同じ日に撮ったバウンティ号(シドニー湾をクルーズする観光帆船)の写真があり、これはシドニータワーやら街中のビルが写っているから、シドニー湾の反対側、ノースと呼ばれる地域のどこかだったのかもしれない。




日本ではこれから冬に向かって寒くなっていくというのに、オーストラリアは逆に、日に日に暖かくなる頃なのだ。
シドニーは割合冬は寒い。オーストラリアには「寒い」という印象がない気がするが、シドニーの8月は間違いなく、冬のコートが必要である。雪は降らないけれど…大阪の12月位だろうか?
それでも、四季は日本ほどはっきりしていない気がするのは何故だろう?
寒い時でも日差しが強くて、空気がいつも乾燥しているからかもしれないが…あまり季節によって何かを楽しむと言う習慣がないからなのだろう。
日本なら春は梅、桜でお花見、夏は蛍、お月見、秋の紅葉狩、など季節で自然を愛でる、という習慣が大昔からあるけれど…。

オーストラリアの年中行事というとやはりキリスト教にちなんだものが多い。クリスマスはもちろんだが、イースターとか、アイルランド系の人ならセントパトリックディとか。
日時は決まっているが、季節、というのとはちょっと違う気がする。
セントパトリックディでは、緑の服を着た人が歩き、近所のパブではタダで「ギネス」をふるまってくれたりするが、これは仏教の灌仏会、4月8日に甘茶をふるまうのと同じような感じがするし…(ちょっと違うかなあ???)

私が「ジャカランダを見たい」と思ったのは、日本人の「春の花見の血」が騒いだのでは、と今になって思うのである。
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2 コメント

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はじめてききました。 (リス)
2011-11-14 10:57:56
お写真がとにかくお若い。びっくりするぐらい
お着物もすてきです。ジャカランダという樹花ははじめて知りました。樹姿はまるで枝垂桜ですね。帯は黄八丈ですか?お着物は琉球のびんがたにも見えますが素敵な藍色ですね。

もしかしてお母様から譲られた逸品ですか?



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リスさん> (くみっぱ)
2011-11-14 12:56:01
あはは!20年近く前ですからかなり「お若い」はずですね!

ジャカランダはアメリカでも桜みたいに「春の花」と思われているみたいです。
オーストラリアで見たのはこの写真のような大木ばかりで、もともとかなり大きくなる木のようですね。この写真は古くて色が褪せていますから、実際にはもっときれいな紫です。

ご推察通り着物は母から譲り受けたものですが、「逸品」というようなものではないです。帯は大学生位の頃に母が買ってきてくれたものですね。
「黄八丈『風』でしょ?」と母が言っていましたよ。さすがリスさん、着物の事までよくご存じですね。
むろんそんな高級品ではありませんが、私はこの着物も帯も好きで大阪にも持ってきています。
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