70才過ぎて山に目覚めてしまった旧友が、北アルプスを歩きたいというので、お天気のいい時にねと約束していた。
このところの悪天続きで、予定をずらして、8月18日(月)~19日(火)に常念山脈を選んだ。私自身一番多く歩いており、はじめてアルプスを歩く者にとっても入門編として愉しい山がいいと思ったのだ。その友人とは先日御岳山を9時間歩いており、今回のコースも大丈夫と判断した。
私は1986年常念岳の信州大学医学部山岳診療所の開設に関わったことをきっかけにして、頻繁にこの山にメディカルボランティアとして登っている。今回の縦走コースも数回歩いていたが、6年前のお盆に孫娘2人と歩いたのが最後になっていた。
夏の終わりから秋の初めのこの時期の花たちにも会いたかった。特に蝶ヶ岳へむかう樹林帯の雰囲気がお気に入りの場所になっている。
天気は初日はまあまあで、2日目の今日はカッパこそ着ることはなかったが、次々と雲が動き、直ぐ谷向うの槍穂高連峰、そこから峰が続く乗鞍岳、御嶽山もまったく見ることができなかった。同行者にその素晴らしいパノラマを楽しんでもらうことが出来なかった。
1日目;6:00 信大病院玄関前に集合~7:30三股駐車場~8:00一の沢駐車場・登山口
~11:30-12:00第2ベンチで昼食~13:00常念小屋到着

18日6時頃の安曇野から常念山脈
はこんな状態・・・有明山は見えるが常念山脈は雲の中
車1台を翌日下山する三股駐車場に置いた。
そして、一の沢登山口に登り返し、もう1台を駐車場に入れ、出発(8時ころ)
栃の大木の下、何時もの山の神で安全登山をお願い・・・
秋の兆し

夏の名残り

水量の多くなっている一の沢の脇、クガイソウが白い水しぶきに濡れている。
長雨に樹林帯の苔も伸びてしまい・・・


笠原沢
一の沢に流れ込むエボシ沢や笠原沢、福助沢の水量を心配したが大丈夫だった。
2006年の海の日3連休のこと。
診療所の準備を終って帰ろうとしたが、降り続いた大雨で笠原沢の木橋が水没し、福助沢には土石流・・・私たちは足止めされてしまった。一旦小屋へ引き返し、雨が小止みになるのを待って、学生がロープを張って安全確保してくれ何とか下山できたのだった。
福助沢
一ノ沢上部の雪渓はこれだけを残して溶けてしまっていた。


胸突き八丁下のオオバミゾホウズキ群生地。滝のように落ちてくる湧き水は美味しい!

お花畑のはギボウシ、シモツケソウ、アザミの仲間、センジュガンビ、ヤマハハコなど

常念乗越に出ると・・・お槍さんは頭を隠し、中岳の雪形「舞姫」も腰から上はついに見ることができなかった。
横通岳
小屋に宿泊の手続きをして、荷物を置き、翌日の予備学習を兼ねて隣の横通岳に遊びに行く。
山の上はこんな青空に白い雲

そこにはハイマツでなく、ハイカラマツが・・・
森林限界よりも高い標高2500mで、松でなく、唐松があるのは植生上珍しいという。
その唐松がハイマツになっている。幹は白骨化している・・・何年ものだろう・・・


↑明日歩くコースを確かめる。 常念岳の登山道を登る人、降りてくる人が見える。

午後は小屋のベランダでゆっくり生ビールを味わい、夕食まで少し横になって休んでいると・・・間もなく部屋の戸をドンドンとノックされ『ネモさん、怪我をしている人をみてくれませんか』という声。隣にある別棟の山岳診療所は、昨日閉鎖してスタッフ全員下山していた。
患者さんは白髪の高年の男性で左眉の上に2㎝の切傷があり、出血が止まっていなが、少し圧迫して絆創膏を貼ればいいと判断した。小屋にも救急用のセットが残されていたが、たくさんの中から適当な物が見付からない。簡単に洗浄後、自分で持参していたクイックパッド(ハイドロコロイド素材の)を貼った。痛みは強くないと。手首も打ったというが、骨折や捻挫の兆候が無いので、湿布を貼るだけにした。お孫さん2人と娘さんとのファミリィー登山で、簡単に済んだ処置をみて、ほっとした表情をされた。今夜はどうか他に患者さんが出ませんように願った。
夕食後、 槍ケ岳への陽の入りを期待していたが・・・この程度で終った。

私が入った女性部屋は6人用。先に休んでいた高年らしい3人組みの皆さん。2日前は燕山荘泊、翌日は常念岳まで歩く予定だったが、遭対協の方に「雷警報が出ているから、オバアサン方は大天井岳小屋で停滞するように指導された・・・」という。だから今夜は3泊目という。明日は早朝に一の沢を下ると話してくださった。
18時、何もすることがないので、早々に布団に入った。しかし、蒸し暑いのと枕が変わったのとで寝付かれない。それでも夜中2時、トイレで目が覚めるまで熟睡できたようだ。
つづきはその2で書きます・・・