富士見平の少し上で、男性のYさんの脚が痙攣し講師Mさんのケアーをうけながら、少しスピードダウン。私たちは合戦小屋でお昼を摂りながら追いつくまで待った。Yさんなんとか追いつき、“ここからはもっとゆっくり登りなさいね”とMさんの指示がでた。そして講師Mさんは午後の講義に間に合うように急ぎ下っていかれた。
アルプスは刻々と紅葉がすすんで,今が尾根歩きのシーズンです。
9月25日(火)~26日(水) 塾大(熟年体育大学)の仲間のお供で燕岳に登りました。
また、ぼちぼちレポートします。
朝、6時過ぎに歩き始めた。日の出も随分遅くなった。
今日の夕方は台風の雨になるという予報が出ている。
稲はほとんど刈り取りガ終わり、はぜ掛けし乾くのを待って、脱穀する田んぼあちこちに。
リンゴも紅く色づいてきた。“ふじ”も間もなく美味しくなってくる。
新蕎麦の季節になった。松本城では今週末にそば祭が行われる。
田中 元二氏の解説書によると
「常円寺下の四つ辻は道祖神、道標が多く西へは木曾道、権兵衛街道、はびろ道の起点であり、東へは高遠道となり、南北に走る伊那街道は北に向かって善光寺街道、南に向かって伊勢道となっている・・・」
道標は「右ぜんこうじ、左はびろ道」と彫った自然石など沢山並んでいた。
お二人は帰りを急ぎ、ここにいないが、残った参加者は、ここで集合写真を撮って、伊那駅に歩き、解散した。
伊那の坂下から木曾宮ノ越に通じる全長九里六丁(35970m)の権兵衛街道。明治44年中央線の全通で、街道の使命は終息をつげたという歴史の道を辿った。
3日間の権兵衛街道歩きはこれでおしまい。
次の街道歩きは、10月に山形県の月山~湯殿山をめぐる「六十里越え街道」です。
馬頭観音は塩の道などあちこちで見てきたが、このように5つも馬の顔が彫られているのは初めてだった。乾いた観音像に昨夜の宿、木曾から汲んできた水をかけた。馬の顔も見やすくなった。
雨の後の山は茸がにょきにょき。食べられる茸はアミタケとリコウボウしか知らない。だから採らずに、写真に撮るだけ。スシグロセンノウヤマツムシドウも。
街道歩き3日目・9月20日(木)昨日は雨の中をあるいたが、今日は気持ちの良い晴天。
この峠には分水嶺の碑や水枡があった。伊那は天竜川が谷の一番底を流れており、“上戸・あがっと”など高台の村は木曽側から伊那へ溝を掘り、水を引いたという。
「伊那節」
♪わしが心と 御嶽山の胸の氷は 胸の氷は いつとける ア ソリャコイ アバヨ ♪
♪木曾へ木曾へと つけ出す米は 伊那や高遠の 伊那や高遠の なみだ米
ア ソリャコイ アバヨ ♪
♪ナミダ米とは そりゃ情けない 伊那や高遠の 伊那や高遠の あまり米
ア ソリャコイ アバヨ ♪
伊那から木曾へ牛馬で運ばれた道を「米の道」というのか・・・
真ん中の写真は冬雪から上に出た部分から切られ、薪や炭の材料として使われる。その後はそこから新しい枝が伸びて・・・を繰り返した結果がこの形になった 「あがりこ」
一番下の写真は軒下の蜜蜂の巣箱が面白いと思ったので撮った。熊の被害から護るためらしい。ここは熊と共存しているのだ。
栗ご飯の季節です。落ちたばかりの栗の実は、渋皮が柔らかく、ナイフでこそげるだけで簡単に取れます。私はもち米とうるち米を半々で炊きます。
皆さんは炊飯器のボタンを押し間違えないようにどうぞ!