今日も、朝からいいお天気でした。
さて、表題ですが、拙者がどうして音楽に興味を持っていったのか思い出してみました。 小学四~五年くらいから中学一~ニ年まで野球ばかりやっていて、音楽の授業も嫌いでした。 子供の頃のアルバムで、 3 ~ 4 歳頃ヴァイオリンを習ったことのようですが、全く好きになれず、このあと楽器もハーモニカや縦笛くらいを消極的なイヤイヤ覚えで、音楽なんか~~~!! と云う感じでした。
でも、覚えていますのは、祖母に連れられて遊びに行った親戚の家(祖母の娘にあたる家)に、拙者より 6 歳年上の従兄弟(いとこ)の兄さんがいました。 拙者が小学五~六年くらいの頃です。 その従兄弟が、あの石原裕次郎さんの当時の映画のテーマ曲を、日頃、口ずさんでいました。
♪お いらはドラマー~、やくざなドラマー~、おいらが怒れば嵐を呼ぶぜ! と始まる映画主題歌「嵐を呼ぶ男」、 また、 ♪ 風が吹~く吹く~、やけに吹きゃがると~~! で始まる映画主題歌「風速 40 米(メートル)」、 そして、 ♪砂山の~砂を~、指で掘ってたら、真っ赤に錆びたジャック・ナイフが出て来たヨ~~! で始まる映画主題歌「錆びたナイフ」、などなど、その従兄弟は、これらの歌をよく歌っていました。 それ故、拙者も子供ながらに多少は影響を受けたのでしょうネ!! 今でも、これらの歌は、拙者もなんとか歌えます。 特に、「嵐を呼ぶ男」の歌の中ほどで、石原裕次郎さんのカッコ良い口上台詞が入るのですが、それも何となく今でも覚えています。
その台詞とは、「こんの野郎! かかって来い、最初はジャブだ、ほら右アッパー! ちきしょう! 一発やりやがったなア! 倍にして返すぜ! それフックだ、ボディーだボディーだ、チンだ! え~い面倒だ! この辺でノック・アウトだ~!」 と云った、とてもお上品な言葉?がそうです。 マジで、何も見ないで、今思い出しました。 50 年以上も前の歌です。 勿論、実際には巻き舌台詞です。
それが、中二の時に、クラシック・ギターでしたが、その出逢いから急に歌謡曲(流行歌)から、何故かアメリカかぶれの音楽にのめり込んでいきました。 ニール・セダカやポール・アンカなどが歌っていました、「 Hats off to Larry (花咲く街角)」、「 Run Away (悲しき街角)」、「 DIANA (ダイアナ)」 など、とても気持ち良い感覚で、聴こえてきました。 そして、日本でも、飯田久彦さん、平尾正晃さん、ダニー飯田とパラダイス・キングさんというグループや、ジェリー藤尾さん、中尾ミエさん、森山加代子さん、などなど多くの歌手の皆さんが、アメリカン・ポップスを日本語に替えて、TV 番組で歌っていました。
そして、いつ頃だか忘れましたが、ラジオを聴いていた時に、エルビス・プレスリーの歌が流れてきました。 曲名はどちらか忘れましたが、「 HOUND DOG (ハウンド・ドッグ)」 か 「 G.I.BLUES (G.I.ブルース)」 のような気がします。 この時、一発でこんな曲をギターを弾きながら歌ったらカッコいいなあ!! と感じました。 こういった世界に憧れを持っていたから、拙者も頑張れば、田舎から東京に行ける!! といった夢みたいな事を考えていたようでした。もう世間の仕組みも何も分からない年齢でした。 TV 番組に出て、有名になって、ひとはた上げて、お金持ちになって‥‥‥‥!! と云うところ迄で、その後は考えられませんでした。 そんなもんでした。 もっとも、当時、その芸能界にコネがある東京の親戚があったといったことが、そんな子供心に、火をともらせたのかも知れませんでした。
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このレコードは、いつ頃購入したか忘れましたが、「ハート・ブレイク・ホテル」・「ハウンド・ドッグ」・「監獄ロック」、そして比較的新しい、「悲しき悪魔」・「この胸のときめきを」・「サスピシャス・マインド」・「バーニング・ラブ」、などが収録されていまして、拙者が大好物な曲ばかりです。 でも今、ターン・テーブルが無いもので、聴くことが出来ませんが、また、小遣いを貯めて、買おうと思っています。
今日は、音楽に興味の無い方には、チンプン・カンプンの話題で、失礼致しました。 それも、 50 年以上も前の歌謡曲を引っ張り出して、すみませんでした。 また、一般的な話題に触れていきたいとも思っていますので、これに懲(こ)りず、お立ち寄り願います。
明日も、この続編を! と思いましたが、違う話題にしたいと思います。
何にしようか、思案の為所(しどころ)ですネ!! っと。
see you again