しばらくぶりですが、うまいもの会に続きです。
渋沢栄一記念館から1kmほど離れた場所に、旧渋沢邸(埼玉県指定旧跡) 中の家 があります。
栄一の生家は代々農業を営んでいましたが、名字帯刀を許され
養蚕や藍玉作りと販売の他、雑貨屋・質屋も兼ねた、とても裕福な農家だったようです。
現在残る主屋は明治28年(1895)栄一の妹婿である、市郎により上棟されたもので
主屋を囲むように、副屋、土蔵、正門、東門が建ち養蚕農家の形をとどめています。
なかなかのお屋敷でびっくり。
敷地内は歩けますが、室内は立ち入り禁止でした。
こちらにもアンドロイドの栄一が鎮座
先日のブラタモリで、タモリさんとお話しされていましたね。
近くにあった栄一も良く参ったという、諏訪神社にも寄ってきました。
途中に渋沢一族の墓地がありましたが
栄一自身は若き日に仕えた徳川慶喜とともに
谷中霊園に眠っているそうですね。
渋沢栄一記念館から1kmほど離れた場所に、旧渋沢邸(埼玉県指定旧跡) 中の家 があります。
栄一の生家は代々農業を営んでいましたが、名字帯刀を許され
養蚕や藍玉作りと販売の他、雑貨屋・質屋も兼ねた、とても裕福な農家だったようです。
現在残る主屋は明治28年(1895)栄一の妹婿である、市郎により上棟されたもので
主屋を囲むように、副屋、土蔵、正門、東門が建ち養蚕農家の形をとどめています。
なかなかのお屋敷でびっくり。
敷地内は歩けますが、室内は立ち入り禁止でした。
こちらにもアンドロイドの栄一が鎮座
先日のブラタモリで、タモリさんとお話しされていましたね。
近くにあった栄一も良く参ったという、諏訪神社にも寄ってきました。
途中に渋沢一族の墓地がありましたが
栄一自身は若き日に仕えた徳川慶喜とともに
谷中霊園に眠っているそうですね。