今日は雨も止み、暖かくなりました。
ピンボケですが、
私のお気に入りコーナー新しい本棚の壁です。 さて、昨日の続きです。
3月初め、ハハ(姑)が骨折との連絡を受けた時は、それまでも回復してたように、また復活と思っていました。
ともかく診断が下され、その後の方針も決まったことで、安心して帰宅したのですが、
ハハ(姑)は自分の状況が理解できず、パニックになって、同室の方々に迷惑をかけ、、、
個室に移される事になっていました。急いで駆けつけ、その後ハハ(姑)を落ち着かせることは出来ず、、
術後、麻酔から覚めてからは熟睡する事はなく、私達は24時間付き添う事になったのでした。
その時、ハハ(姑)は家に帰ることに執着し、留守宅の心配ばかりします。
きっとショートスティの時も、同じように留守宅を心配し、置かれた場所が理解できずに
パニックになってたのだと感じました。
睡眠剤も効果が無く、
でも24時間付き添いは無くなってきてたのでしょうか?
3月末、ソラジの通院。
4月半ば、転院。ここでは、家族の介護は必要なくなり、末には、ソラジの通院。
入れ替わりに、義弟が見舞いに来たようです。
ハハ(姑)の見舞いは毎週行きましたが、、、、
孫である息子たちが来たときは、穏やかに話をしてくれたそうです。
ハハ(姑)は、もう帰るとは言わなくなり、私と夫での介護では対応できないような状態でした。
でも留守の間に、家の掃除をしていました。ハハ(姑)が居る時は出来なかったお布団を干し
ハハ(姑)の見舞い、畑仕事、2件の家の掃除、、、
それでも自分の時間を持てるようになっていました。
ソラジの通院も、2ヶ月に一度になり、6月には、里帰りもしました。
こんな日々が続くのだろうって、思っていました。少し、気が緩んでいました。
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人一人 亡くなって 家族にとって あわただしく大きな行事が続きますが
それがちょっと落ち着くと ちょっとの隙間の時間が 妙に さびしくなるといいます。
そういう時 繰り返し いままでにあったことを 会う人ごとに 聞かれるままに
語ることで 過去の思い出に変わっていくのだそうです。
こうして 文字にするのも いいことだなあと 思います。
そうやって一つ一つ思い出が整理されていくのですね。
そして辛かったことも苦しかった思い出も、
いい思い出に変わるといいですね。
レースを額に入れて飾るのも素敵!
真似しようかなぁ。
ちょうど我が家は姑が亡くなり一年になろうかという頃だったと思います。
ようちゃんコメントはまさにその頃の私です。
寂しがったり、戸惑いながらいつの間にか姑の事は思い出となっています。
ブログの中にも回顧録として姑の日常の事や介護の事を書く気になりました。
のん太さんもこれから姑さんの思い出をたどってみてはいかがですか。
今でも姑を思い出しながらも、自分はどんな年寄りになっていくんだろうと思います。
黒豆をことこと煮ながらやってきたらやっぱりその2が・・・。
本棚の壁、素敵になりましたね。
のん太さんの作品をこんな風に飾るのも素敵です。
一年を振り返って回顧録、色々ありましたものね。
一緒にあ~あの時のことだ・・と思ったりしながら読ませていただいています。
私は母を亡くしてから今になりふっとあの時の母はこうだったなって
妙に懐かしくなったりしています。
その後、この状態で行けば、
介護施設への移行を希望していました。
でも、
この時期の自分たちのこと、予定を書いた手帳を見なければ時系列に書けない
思い出せませんでした。^^;
レースの額、良いでしょう^^
クンストレース作家の方が、古いパターンを再現したものを
大きな額に飾っていらっしゃたのを見て、真似しました。
大きな額は、24枚の雪の結晶で昨年・・だったかな、
ブログのタティングレースの先生と ようちゃんに励まされつつ作ったものです。^^
ルイコさんとお姑さんとは、長い時間の思い出があるでしょうねぇ~
私は同居ではなく、義妹が毎日のように来ていた、、というか、
呼ばれて、私はあまり係わらなかったのですよ^^;
今年も何もしないで、今頃PCに向かっています。
この後、野菜を収穫してきますね^^v
このコーナーは、元々こんな感じにして短です。
大きな額の方は、私の一番の大作ですから、
いつも見えるところに飾っておきたくって、^^