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(↑余呉の伝説ともなっている余呉湖畔にある龍女の目玉石)
この1泊2日の旅行では、武藤舜秀様のご自宅に泊めていただいた。武藤様のご自宅では、ご家族の方から余呉の歴史のお話が聞けたし、夕食までご馳走になってしまった。夜には武藤様のお部屋で色々な歴史の本を見せて頂いたりするなど、本当に有難いことで武藤様に改めて御礼を申し上げたいと思います。
実は余呉という地は、畠山義綱が没した地であると言われている。最初は能登畠山氏と余呉のつながりはそれだけであると思っていたが、実は15世紀初め頃に畠山満慶が余呉庄の地頭となっていることが発覚。また、15世紀の末には畠山義元の邸宅があったとされ、ますます能登畠山氏と余呉の関係が深いことがわかった。翌朝には畠山氏が連歌を詠む時に見ていたであろう余呉湖を探索するなど、改めて畠山氏とのつながりの深さを確認できた。さらに、余呉の地は滋賀県でも最北端にあり、福井県敦賀市に本当に近いことを実感する。日本海に近いということで、ますます北陸や能登との繋がりを感じることができた。この旅ではなんども現地調査の大切さを実感したが、この余呉でもそれを十分に感じた。そして、この旅がきっかけとなって、またサイトの更新する気力も回復してきたのである。
さて、次は高速・北陸道を通って越前朝倉の一乗谷史跡に行く。