畠山義綱のきままな能登ブログ

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書評『戦国時代の足利将軍』

2011-07-04 12:24:00 | 日記

山田康弘著『戦国時代の足利将軍』吉川弘文館,2011年


 今谷明氏などによって最近盛んな「戦国期朝廷復権論」。それに相対して「戦国期室町幕府無力論」が一般化していた現代の歴史観。そんな戦国期の室町幕府の権威と権力について具体例を上げて「室町幕府将軍の復権論」を訴え続けてきた山田氏。
 その山田氏が、今までの考え方を体系的にまとめたのが、紹介する『戦国時代の足利将軍』です。


 この本の構成は、前半が将軍と大名の交渉などを古文書の具体例を挙げて示し、戦国期の幕府の在り方を「戦国時代の将軍と大名たちとの関係は、互いに互いを利用し、相互に補完しあう関係にあった」と指摘し、戦国期の室町幕府の体制を「ゆるやかな連合体」と評している。
 そしてその代表例として、前半の半ばでは「将軍義昭と織田信長」の「二重政権」構造と、義昭と信長の対立した背景を考察している。


 そしてこの本の後半では「<天下>の次元の三和音(トライアド)」として、歴史の本としては珍しく歴史学だけでなく政治学的な手法で「将軍足利氏」の構造を明らかにする。
 「リアリズム」「リベラリズム」「コスモポリタリズム」という3つの視点から室町幕府の将軍権力を考察している。時折本書にはホッブスの理論など政治学の理論が登場し、少し難しく感じることもあるが、歴史学の難解な言葉が頻出する歴史書よりも数段わかりやすい。


 私の読んだ感想は、たしかに守護大名と違って戦国大名は、全面的に将軍の上意を聞くことはしなくなっている。それに、室町幕府の直接の支配は山城などの限定された地域にしか及んでおらず、地方の直属の家臣である奉公衆は独立した国人化するか、大名に取り込まれていき、どんどんとその勢力を減退していったかに見える。
 しかし一方で、戦国大名として「自立」していったはずの大名が、その将軍権威を欲し、官途を申請したり、大名間調停外交を依頼したりと様々な面で大名は幕府に利用し依存している。


 本書でも、指摘されているが、室町幕府の構造として、将軍・管領・政所など幕府の中央機関と、鎌倉府をはじめとする全国の諸大名などの地方機関が存在する。本書では中央機関のことを「狭義の幕府」とよび、中央機関と地方機関を合わせたものを「広義の幕府」と呼んで区別している。普通に「幕府」と言った場合は、これらの言葉を混同していると私も思う。
 たとえば江戸幕府を例にすると、幕末に「佐幕派」と「尊攘派」に分かれるが、「広義の幕府」を指す場合、幕藩体制そのものが江戸幕府になるので、薩摩藩も長州藩も幕府ということになり、「倒幕」という考えはおかしいことになる。「倒幕」は「統幕藩体制」(倒広義の幕府)を意味しているのではなく、「統狭義の幕府」を示している。


 本書では、しきりに「将軍が傀儡になった」という言葉を避けるが、傀儡であっても利用価値があり、それだからこそ鎌倉幕府の摂家将軍も皇族将軍も、戦国期足利将軍も生き延びていけたと私は思う。
 「傀儡」というと言葉は悪いかもしれない。でも、「傀儡は傀儡なりに色々努力しているんだ」っと言いたい。


 一点、本書で疑問点がある。が、長くなったので、その部分の指摘はまた今度!