畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

新しい『武将ファイル』!?

2008-07-08 23:32:26 | 歴史

 土日も仕事で疲れきっていた日曜日の夕方。久々に我が家から通勤で通う範囲にあるとても大きな本屋(なんと蔵書数50万冊!)に行く。いつもどおり『戦国史研究』や中世系の吉川弘文館の本を見ていると、平積みにされていた『戦国武将事典』という本に目がいった。ただ、歴○群像にありがちなこういう本は、どうせ武将事典といっても信長、秀吉、家康、せいぜい島津あたりのメジャーな人たち30人あまりの歴史に決まっている。…しかし、よく見るとこの本、副題に「乱世を生きた830人」と書いてある。「ん!?830人?だったらいくらなんでも義綱でも載っているだろう」と手に取ると、見事!載っていました。大名家ごとに家臣の略伝も載っており、能登畠山家関係の人物では畠山義続、畠山義慶、畠山義隆、長続連、長連竜、温井総貞、温井景隆、遊佐続光、遊佐盛光が載っていた。能登畠山家のページは全部で3ページ…なにか懐かしい感じが…。
 あっ!この本。数字データがない『武将ファイル』に似てる。と思った。「信長の野望 革新」から新作がでない状況では、こういう風な本がでて、若年層の戦国ファンを開拓するのもいいですなぁ~。
 どれどれ、畠山義綱の項を見てみよう。
「弘治元年(1555)、義続、義綱父子は「畠山七人衆」の中心人物である温井総貞を誅殺した。この事件を契機に能登には内乱が発生するが、義綱たちは戦いに勝利して、権力を取り戻す。以後、能登畠山家は安定期に入る。永禄5年(1562)には神保長職と上杉謙信の争いを調停するなど、外交にも積極的だった。
 おお!すばらしい!いつも権力を取り戻した後はいつもすぐに永禄九年の政変で追放された事が記されるが、この本には義綱君の輝かしい功績が載っている!この本好き!と私は思った。
 ところが、怪しい記述を発見。それは畠山義慶の生没年だった。この本によると「天文23年(1554)~天正2年(1574)」とある。本文にも「天正2年(1574)に突如21歳で死去する。」とある。なぜ義慶の生誕年がわかる?参考文献を見てもおよそ能登畠山家を専門的に扱った文献は見当たらない。おおかたネットからの知識かゲームからの知識か。我がサイトでも、義慶の仮説生没年を(1554~1574)としているのおそらく、そこから持っていったのだろうか。根拠のない生没年を確定的に書いていることにガッカリした。

最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (武藤舜秀)
2008-07-10 01:30:45
この本は、畠山様のところからの転用では?(笑)
830人ですか。なんか中途半端な感じは否めないですが、面白そうですね。
一度読んでみたいです。

しかし、蔵書50万冊はすごい!

返信する
Unknown (畠山義綱)
2008-07-10 18:51:30
蔵書50万冊の本屋に行けば絶版以外の歴史本は完璧です。わざわざ神保町の三省堂にいかなくなりました。
畠山義綱の没年が不詳となっていたので、うちがソースではないみたいです。まさかウィキペディア?
この本に武藤様のお探しの武将が載っているか調べますよ~。
返信する
Unknown (武藤舜秀)
2008-07-10 20:47:20
では、お願いして恰「武藤舜秀」をお願いします。ウィキペディアでは結構かかれてますので気になります
返信する
Unknown (畠山義綱)
2008-07-12 09:21:33
>武藤様
 同本で「武藤舜秀」を探してみましたが、残念ながら載っておりませんでした。大宝寺の武藤氏は載っていましたが…。ウィキペディアほか「武藤舜秀」は結構話題になっていますね。知名度の一層の向上を期待しています。
 830人というとちょうど武将風雲録の登場武将と同じくらいでしょうか…。
返信する
Unknown (武藤舜秀)
2008-07-12 19:00:03
でも、『武藤舜秀』で検索すると私の過去ログが結構出てきます(笑)
返信する
Unknown (畠山義綱)
2008-07-13 21:15:32
>武藤様
それだけ武藤様がネット界で活躍している証拠です!
返信する

コメントを投稿