武蔵国衙から徒歩10分。JR武蔵野線の府中本町駅から徒歩1分にある「武蔵国府」に2019(令和元)年に行ってきましたので、レポートします。国府とは、1300年前に国郡里の地方制度が出来た時にできた国の行政中心地。武蔵野国府はしっかりと発掘調査もされていて、国司館が発見された「国指定史跡」です。国府が置かれていた当時の大きさは、東西2.2km南北1.8kmにも広がる広大な土地だったようです。つまり先日レポートした「武蔵国衙」とは一体的な運用がされていました。
こちらの国府は国司館が置かれ、現代で言う住居兼執務室である知事公館のような役割でした。発掘調査の結果、7世紀後半~8世紀前半に造営されていたようです。国司館の模型が置かれて、イメージが想像できます。
さらに当時の建物の「模型表示」が行われ、屋敷の形がコンクリートで固められた範囲で、柱穴跡が模型で表されています。これで柱の本数や大きさを体感できるので、その大きさを感じることができます。なかなか見応えがあります。
これが「武蔵国府跡」の全体図です。すぐ横には、駅、大きな商業施設、マンションが建っているので、国司館跡が奇跡的に残っていることが感じられます。都市開発するときの発掘調査で発見されたのでしょうか。芝生広場ではサッカーをしている家族連れもいたので、近隣住民が憩いの場としても使っているようです。この看板には載っていませんが、資料館もあります。
模型の後ろにあるプレハブです。公園の看板に書かれていないところを見ると、恒久の施設では無いようです。四方を道路や駅、大規模商業施設、マンションに囲まれており、遺跡公園を拡大させることは不可能に思えるのですが、どうして恒久施設ではなく、プレハブなのでしょうか?ひょっとするとボランティア団体による運営の資料館なのでしょうか?
中には史跡の変遷を見られる資料があります。図録などは売っていませんが、復元CGを見られるVRゴーグルが無料で借りられました。内容はさほど多くないですが、往事を感じさせる工夫が随所にあるのが嬉しいです。
発掘調査の中から17世紀前半の遺構が見つかり、徳川の家紋である三葉葵紋鬼瓦が発掘されたことにより、徳川家康の府中御殿も置かれていたと推定されました。ただし、掘立柱建物であり鷹狩りなどで使用する休憩室のような位置づけだったのかとも思われます。
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