昨日のブログ「傀儡政権の存在意義」を考えたら、戦後日本の戦争観を考えるに至った。「日本はなぜ周辺諸国から信頼を得られないのか?」
昨日のブログで日本の戦争責任者を考察したときに、筆者は「本来の主権者である天皇が主体的に統治しないために、国の政治の責任があいまいになっていたと言える。」という結論に至った。その結果日本戦後史にどのような影響を与えたのだろうか考えてみた。ただ、あくまで推論であり、机上で考えただけの根拠に乏しいので論文ともいえぬ稚拙な文であることを始めにご了承いただきたい。
戦後日本は連合国軍総司令部(GHQ)の命令により「公職追放」が行われた。すなわち戦争責任者(戦争犯罪人や戦争協力者など)は、政府の職を追われたのである。また、極東軍事裁判(この裁判の正当性などの議論が大いにあるが、ここでは論点からずれるので論じない)により戦争責任者は文字通り裁かれたとも言える。
しかし、マッカーサーからリッジウェイ司令官に代わった頃から、公職追放が緩和された。極東軍事裁判で裁かれた者も出所している者もいる。そして、岸信介が首相となるなど旧体制派の人物たちが復権したのである。また、財閥解体も徐々に緩和され、この時期以降日本の戦争責任は一層あいまいになったと言える。
戦後初期の日本は、「戦争の反省に立つ」という姿勢から憲法改正で「平和主義=戦争放棄」が制定されるなど反戦の姿勢が重視された。しかしその一方旧体制側の復権が行われ、政治の中枢に戻ったために、日本は左右の思想が極端に混在するのようになったと筆者は推察する。例えば、戦後ドイツは徹底的にナチスそしてヒトラーを否定した。少しでもナチズムが台頭すると徹底的に押さえつけた。それが周辺諸国の信頼を得たとも考えられる。結果、ドイツは二度の大戦の原因ともなったのに現在軍が存在する。その一方、日本は「日本国憲法」で戦争放棄=軍備を持たないと謳ったことも一因であるが、自衛隊は現在でも「一般的な」軍であることを否定している。すなわち、周辺諸国が日本の再軍備=脅威と捉える動きがあるからである。戦後60年以上も戦争を全くしなかった日本は未だに周辺諸国の信頼を得られないのである。日本の周辺諸国はよく「日本は先の戦争を反省していない」と言う。ただ、日本は「日本国憲法」の「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」という前文をみても、また1995年には行政権の長であり政治のリーダーの地位にある村山首相(当時)が通称「村山談話」とし「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」と、謝罪の意を示している。そして、ロシアや北朝鮮など一部の国を除いた国々と平和条約を締結し、賠償問題も話し合ってきた。
であるならば、なぜ周辺諸国から日本はいまだに「日本は戦争を反省していない」と言われるのか。それは、ドイツ国民がほぼナチスを過ちと考えている(だろう)ことと比べ、日本人は考え方が割れているからなのではなかろうか。日本では現代でも、「戦争を反省する」という立場と「自虐史観である」という考え方が大きく対立していると思う(もちろん、日本は民主主義の国なので表現の自由はあるので、そういう人たちがいることは否定をしないが)。自衛隊の某幕僚長などの発言はその象徴だと思う。そして、この発言が先の戦争被害諸国の感情を逆なですることは確かだと思う。どんな理由のある戦争だとしても死者は必ずおり、被害者にとってはとても迷惑な話である。日本にとって先の戦争がどんな理由があったとしても、被害を与えた国には謝罪しなければならない。そして、もう一つ。日本もある側面では被害者の面を持つということである(言い方には気をつけねば誤解が生じるかもしれないが)。例えば、空襲で、沖縄戦で、原爆被害で、中国残留孤児で、シベリア抑留で…などなど。日本は敗戦国だからといって、戦勝国から謝罪を受けない理由にはならない(と思う)。戦争の勝者もまた謝罪が必要だと思う。そうすれば、戦争が少なくなるのではないかな…。
「戦争の原因」を考えることは大切であるが、理由があるから謝罪しなくていいということにはならないと思う。「戦争の原則」として負けたから謝れ、勝ったら謝らなくてよい、というのも理不尽な話である。左とか右とかじゃなくて、もっと大きな論点で日本の歴史を考える必要があるのかな。戦争の責任者は誰だ?コイツが悪かったとか犯人探しすることも必要かもしれないが、それとは別にして日本に住む全員が戦争被害を被った国に謝罪は必要ではないのかな。そして、それを受けて戦勝国の人も戦争を被害をもたらした日本に謝ることが必要なのかな。それが終わったら、日本も周りの国もお互いを認めてよりよい関係が築けるのかな…。なんて思う。長々文章に書くことで、満州事変から始まる日本の先の戦争に対する一応自分なりの答えが見つけられた気がする。
もっとも、朝鮮や満州国など日本が植民地にしており大きな被害を与え、しかも日本にそれほど大きな加害を加えなかった地域が日本に謝罪する必要があるのか?と考えると自分の論点にもまだ疑問の余地がある。「俺はお前(日本)から迷惑を大きくかけられたけど、お前(日本)には対して危害を加えてないから、一方的に謝れ」というスタンスでは、心のそこから通じ合うことはできない。だから、そういった地域であっても、日本がある面(原爆被害など)では被害者の側面を持っているという事実に共感をしてもらいたいと思う。
あの戦争から60年以上たった今、戦争を生で語ることのできる人は減っている。戦争を経験していない者は、他人事として、短絡的に「誰が悪い、だから謝れ」という考え方になりがちである。もっと世の中を深く考えることこそが必要なのだろう。私はそのために何ができるだろうか…。ううん…重い課題だ…。
昨日のブログで日本の戦争責任者を考察したときに、筆者は「本来の主権者である天皇が主体的に統治しないために、国の政治の責任があいまいになっていたと言える。」という結論に至った。その結果日本戦後史にどのような影響を与えたのだろうか考えてみた。ただ、あくまで推論であり、机上で考えただけの根拠に乏しいので論文ともいえぬ稚拙な文であることを始めにご了承いただきたい。
戦後日本は連合国軍総司令部(GHQ)の命令により「公職追放」が行われた。すなわち戦争責任者(戦争犯罪人や戦争協力者など)は、政府の職を追われたのである。また、極東軍事裁判(この裁判の正当性などの議論が大いにあるが、ここでは論点からずれるので論じない)により戦争責任者は文字通り裁かれたとも言える。
しかし、マッカーサーからリッジウェイ司令官に代わった頃から、公職追放が緩和された。極東軍事裁判で裁かれた者も出所している者もいる。そして、岸信介が首相となるなど旧体制派の人物たちが復権したのである。また、財閥解体も徐々に緩和され、この時期以降日本の戦争責任は一層あいまいになったと言える。
戦後初期の日本は、「戦争の反省に立つ」という姿勢から憲法改正で「平和主義=戦争放棄」が制定されるなど反戦の姿勢が重視された。しかしその一方旧体制側の復権が行われ、政治の中枢に戻ったために、日本は左右の思想が極端に混在するのようになったと筆者は推察する。例えば、戦後ドイツは徹底的にナチスそしてヒトラーを否定した。少しでもナチズムが台頭すると徹底的に押さえつけた。それが周辺諸国の信頼を得たとも考えられる。結果、ドイツは二度の大戦の原因ともなったのに現在軍が存在する。その一方、日本は「日本国憲法」で戦争放棄=軍備を持たないと謳ったことも一因であるが、自衛隊は現在でも「一般的な」軍であることを否定している。すなわち、周辺諸国が日本の再軍備=脅威と捉える動きがあるからである。戦後60年以上も戦争を全くしなかった日本は未だに周辺諸国の信頼を得られないのである。日本の周辺諸国はよく「日本は先の戦争を反省していない」と言う。ただ、日本は「日本国憲法」の「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」という前文をみても、また1995年には行政権の長であり政治のリーダーの地位にある村山首相(当時)が通称「村山談話」とし「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」と、謝罪の意を示している。そして、ロシアや北朝鮮など一部の国を除いた国々と平和条約を締結し、賠償問題も話し合ってきた。
であるならば、なぜ周辺諸国から日本はいまだに「日本は戦争を反省していない」と言われるのか。それは、ドイツ国民がほぼナチスを過ちと考えている(だろう)ことと比べ、日本人は考え方が割れているからなのではなかろうか。日本では現代でも、「戦争を反省する」という立場と「自虐史観である」という考え方が大きく対立していると思う(もちろん、日本は民主主義の国なので表現の自由はあるので、そういう人たちがいることは否定をしないが)。自衛隊の某幕僚長などの発言はその象徴だと思う。そして、この発言が先の戦争被害諸国の感情を逆なですることは確かだと思う。どんな理由のある戦争だとしても死者は必ずおり、被害者にとってはとても迷惑な話である。日本にとって先の戦争がどんな理由があったとしても、被害を与えた国には謝罪しなければならない。そして、もう一つ。日本もある側面では被害者の面を持つということである(言い方には気をつけねば誤解が生じるかもしれないが)。例えば、空襲で、沖縄戦で、原爆被害で、中国残留孤児で、シベリア抑留で…などなど。日本は敗戦国だからといって、戦勝国から謝罪を受けない理由にはならない(と思う)。戦争の勝者もまた謝罪が必要だと思う。そうすれば、戦争が少なくなるのではないかな…。
「戦争の原因」を考えることは大切であるが、理由があるから謝罪しなくていいということにはならないと思う。「戦争の原則」として負けたから謝れ、勝ったら謝らなくてよい、というのも理不尽な話である。左とか右とかじゃなくて、もっと大きな論点で日本の歴史を考える必要があるのかな。戦争の責任者は誰だ?コイツが悪かったとか犯人探しすることも必要かもしれないが、それとは別にして日本に住む全員が戦争被害を被った国に謝罪は必要ではないのかな。そして、それを受けて戦勝国の人も戦争を被害をもたらした日本に謝ることが必要なのかな。それが終わったら、日本も周りの国もお互いを認めてよりよい関係が築けるのかな…。なんて思う。長々文章に書くことで、満州事変から始まる日本の先の戦争に対する一応自分なりの答えが見つけられた気がする。
もっとも、朝鮮や満州国など日本が植民地にしており大きな被害を与え、しかも日本にそれほど大きな加害を加えなかった地域が日本に謝罪する必要があるのか?と考えると自分の論点にもまだ疑問の余地がある。「俺はお前(日本)から迷惑を大きくかけられたけど、お前(日本)には対して危害を加えてないから、一方的に謝れ」というスタンスでは、心のそこから通じ合うことはできない。だから、そういった地域であっても、日本がある面(原爆被害など)では被害者の側面を持っているという事実に共感をしてもらいたいと思う。
あの戦争から60年以上たった今、戦争を生で語ることのできる人は減っている。戦争を経験していない者は、他人事として、短絡的に「誰が悪い、だから謝れ」という考え方になりがちである。もっと世の中を深く考えることこそが必要なのだろう。私はそのために何ができるだろうか…。ううん…重い課題だ…。
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