畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

「八王子市城郭めぐり~其の1~」

2008-08-22 22:02:23 | 歴史
 今回も日帰りで2つ城郭を巡ってきました。八王子市にある中世城郭「滝山城」と「八王子城」です。両方とも国指定史跡です。どちらも一度訪問したことはあるのですが、まだ歴史を見る目が育っていなかった頃(といっても現在でも見る目がないのですが…)で、たくさんのデジカメ写真とともに紹介します。


 まずは滝山城です。滝山城は山城ですが車でかなりのところまで登れます。ただし道がかなりせまく険しいので、セダンならやめた方がいいかもしれません。滝山城は滝山街道から車で入ることになりますが、私は「左入町」交差点の方から入ってきたのですが、比較的近い段階で「滝山城入口」の看板が…。滝山街道も渋滞しているし、いつもの入口じゃなくてこちらから入ろうかと思って行くとこれが大誤算。舗装していない道は段々険しくなり、最後には砂利道が水で削られて大きな段差になっている始末。これは危険と引き返そうとしたのですが、車を転回させるのがたいへん。狭い道で急勾配で、危うく愛車「能登号」を坂道でぶつけるところでした。ただしい入城口は上記の看板の場所です。間違えないように写真を撮っておきました。「丹木町三丁目」交差点の近くのこの道を入ります。


 道幅はこんな程度です。車でいけるところは舗装されていますし、この道ならば車5台くらい停まれる駐車場もあり、そこでの転回は容易にできます(車初心者は傾斜がキツイので注意。マニュアル車はキツイと思います)。


 城址は国指定史跡であり「都立滝山公園」となっているだけあって、そこそこ整備されています。草が伸び放題で歩けないなんてことはありません。また、写真のように案内板があってその横のポストみたいなところにA4サイズの案内パンフレットが置いてあります。訪問したらゲットを忘れずに(ポストは何箇所かあるので、その場所でなくても、次の場所であるかもしれません)。国指定史跡なのにA4裏表のプリント一枚と思ったりもしますが、無いよりはましです。


 滝山城は1521(大永元)年武蔵国守護代大石氏が築城し、後に後北条氏の氏照の手に渡っています。城跡には遺構がよく残っています。16世紀前半の城だけあって土塁・空堀で郭が覆われています。北条氏照が滝山城を廃棄して八王子城に移るのが天正年間中頃(1580年代)と言われるので、まあ時代的にも石垣のような石積みはみられないかもしれませんね。


 三の丸跡に駐車して歩いて進むと、千畳敷跡に出る。確かにだだっぴろい空間が広がっている。「千畳敷」と言われるだけあって確かに広い。ここから先に進むと城主居住した郭と思われる二の丸跡があるので、三の丸と二の丸に挟まれたここは家臣層が住んだところだろうか。


 この二の丸跡は滝山城内で最大の平坦地です。写真のように車5台くらい停まれる場所を作ってもまだ広い土地があります。また、他の郭への出入口が厳重になっているので(下の写真のように空堀もかなりの高低差がある)、城主の居館跡地か?と考えられているようです。



 二の丸から中の丸に行くところにかけて、はるか(10メートルくらい)下のところに謎の平坦地があります。結構ひろいところですが、パンフレットにも何も書いてありません。かなり低いところにあるので防御には不向き。食料庫?武器庫?いづれにしても敵に占領されたら困る。ならば寺跡かな?氏神とか?池跡かな?う~ん。発掘調査が進まないことにはわからないですね。


 ここは本丸の手前にある郭でかなりの広さをもっています。だからこそ戦時の拠点になるところです。二の丸が平時の拠点(城主の居館)とすれば、ここ中の丸は戦時の拠点(指揮系統の本部?)だったと思われます。城の北側方面は下の写真のように昭島市方面が一望できます。ここは滝山城の北端にあり、多摩川がすぐ下に流れているので、天然の堀としてこの城を守っています。



 復元された曳き橋を渡っていよいよ本丸へ。ん?曳き橋の横に説明板がありますね。

 滝山城も発掘調査やっていたんですね。こんな川原石を使った道の跡が出てきていたらしい。滝山城跡の発掘調査報告書などはないのでこの説明板でみるしかない。パンフレットにも載っていない。残念無念。


 さすが中世の城らしく、曳き橋を渡ると右曲がり左曲がりの枡形口がある。さらに土塁もあって、それらを登っていよいよ本丸跡へ。


 せっ、せまい。防御には適してますがそれにしても狭い。小さな建物なんかはあったと思いますが、居住をするには不向きですね。

 この本丸跡には霞神社という神社がありました。こういう城にはだいたいこういった建物がありますよね(七尾城にもあるし)。

 それから滝山城の石碑が2つありました。左のデカイ方の石碑は有名な人の文かなと思いきや、「八王子市長」…。しーん。

 滝山城の感想。「発掘調査をもっと進めてほしい」「発掘調査した部分は調査報告書を出そう」「発掘調査した部分はもっとしっかり復元しようよ」だから名城100選を八王子城にうばられちゃうんだよ~。まあ八王子市からしてみれば、昭島市側に近い滝山城より、市名の元となっている八王子城が名城100選に選ばれた方が何かといいんでしょうが…。次回「八王子市城郭めぐり~其の2~」では八王子城訪問をお届けします。


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