復元武家屋敷の向かい側の武家屋敷に入る。あれっ?土壁の塀はあるのに建物がない。どうやら、この一帯は復元ではなく、平面展示されているようだ。
だだっぴろい空間に、土盛などがある。ここが屋敷の敷地と敷地の境界線なんだろう。この空間は柱の跡や建物跡などが平面展示されている。発掘された場所に上にコンクリートなどで固めて屋敷の痕跡を示すものだ。
ここで武藤様が「こんなに敷地が広いのに、なぜ建物の面積がせまいんだろう」という鋭い質問。これにはガイドスタッフが答えてくれた。「田畑などの土地改良工事の時に遺構が失われてしまった。だから、これだけ広大な土地なのに、遺構が発見されなかった。ただ、江戸時代の古地図に屋敷跡と書かれていることから、武家屋敷があったのは確かである」といっていた。
一乗谷のような比較的良好に遺構が残っているとされる地域ですら遺構はこの状況。とすれば都市化が進んでいる関東や関西はもう望むべくもなしか。早く七尾城跡も発掘調査をしてもらいたいものである。
上記写真は復元武家屋敷の隣側の屋敷。この武家屋敷は復元武家屋敷より敷地も広く建物も広い。表面展示もいいが、やっぱり立体感のある復元展示の方がいいなあ、なんて思ったりしながら次の町並み復元に行く。
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