3月18日タスケから発売された「戦国Spirits主君伝」を予約し、20日に購入してプレイしましたので、そのレビューや講評などを。
「幻の不如帰」(管理人:清正謀叛!様)のサイトで、同ゲームに登場する武将を、サイトで公募することを知り、ぜひ能登畠山家臣の「飯川光誠」を登場させたく、掲示板に書き込みしました。それがきっかけで知ったのが、「如水軒の末弟子」http://ameblo.jp/jyosui-000/という「戦国Spirits主君伝」の作者のブログです。「戦国Spirits主君伝」はファミコンで発売された「不如帰」というゲームが元になっているのですが、私はやったことないので、「ふ~ん」程度でした。しかし、ブログを読んでいくうちに、そのシステムに共感を覚え、欲しくなりました。
さて、前置きはこれくらいにしてゲームレビュー。
やはりというか、もちろんというか「畠山義綱」でプレイ。家臣として、「遊佐続光」「長続連」しかいない。この時点で「飯川光誠」は公募にもれたのか…、とガックリ気味。しかも、義綱君の顔がイケていないという点でもガックリ。
買ってしまった以上は遊ぼうと、プレイ。信長の野望になれていたため、「1年で内政、外交、軍備は一回しか命令は出せず、戦争や部隊の移動は年3回命令がOKというフェイズ」方法に慣れてないので最初は苦労。
なんとか、隣国神保を攻略。アレ?攻略したら武将は手に入らないの?神保長職もその家臣も一切味方にならず下野。家臣を増やしたいなら調略で引き抜かなければならないのか…。
しかし、開始後数年にして我が子息「畠山義慶」が仕官。そして、飛騨・加賀・越中と攻略になれるたびに、段々と面白さに引かれていく。そして、ゲーム開始から11年後の1568年になぜか「飯川光誠」が在野から仕官してくる。いっきにテンションがあがる。光誠を側近にして、そろそろ我が息子に第2軍団を指揮させる。
若狭・丹後・美濃・尾張と畿内をだんだんと支配。一色義道から調略して手に入れた「一色義定」がとても使える!朝廷工作や、戦争に大活躍。長続連に第3軍団を任せて支配拡大を加速。すると疑問が、広い日本を第6軍団だけで支配・統一できるのか?
すると、近習のものが「そろそろ畠山義慶の恩に報いるために国持ち大名にしてはいかがでしょうか。」と。へぇ、そんなことできるのか。じゃあ越中を義慶にあげようか…。すると、私の元から息子が独立した大名になっちゃった。脅迫で臣従させた大名と同じ扱いに…。直接命令はおろか、間接的な命令も出せない。これは困った…。
しかし、俸禄を上げるのも限界があるので、飯川光誠や、馬場信春も国持ち大名に任命。すると、「税収フェイズ」の際に、「大名の転封を行いましょう」とのメッセージが、臣従大名は盟主の大名の随意で転封できるのが凄い。豊臣秀吉が、徳川家康を駿河から江戸に転封させたのと同じだ。凄い。
近畿をあらたか制覇すると、武田・北条・毛利・三好といった東西の大大名に囲まれる。武田・北条は、わざと我が領国に攻めさせ、野戦に持ち込み兵数を減らす作戦に。特に北条氏の小田原城は城が堅いので、篭城戦にしたくない。すると、残り北条の兵が500人ほどになったら、「降伏勧告」に応じて臣従大名に、北条氏政を西武蔵に転封し、小田原城を直轄地にまんまとすることに成功(笑)
本願寺も鉄砲を大量に持っていることから、直接的な戦争を嫌煙し、調略で石高を減らし赤字にする作戦に。まんまとハマリ、本願寺も「降伏勧告」に応じる。
武田・北条・本願寺を倒して大大名になった「畠山義綱」は調略の限りを尽くし、臣従大名をうまく使い領国拡大を続ける。
そして、ついに1587年、最後まで九州に残っていた大名「大村純忠」を打倒し、エンディングに。「義綱が樹立した畠山政権は、その後364年の長きに渡り、日本国を支配し、やがて近世へと向かうのであった。」と。この364年って中途半端な数字は多分クリアの状況によって変化するのだろうと、推測。
しかし、1587年から364年を足すと、「1951年」になる。世界では第2次世界大戦も終わっている年で、こんな年に畠山政権が終わるということは、ソ連並みの独裁政治でもしていたのだろうか(苦笑)結構このゲーム面白いな…。
そして、スタッフロール。あれ?エンドロールに「畠山義綱」の文字が?プレイヤーだから名前がでたの?ってああ~!「武将公募」に採用された人にはエンドロールに名前が出るって言ってたなあ。だから、名前がでたのか~。いや~久しぶりにゲームに熱中したぞ。
買おうか悩んでるんですが、畠山様のレビュー見るとおもしろそうですね。
ただ、一度クリアすると、シナリオの外伝が出まして、一部の大名が入れ替わっていました。東北では小野寺とか、飛騨では江馬とか、加賀では富樫とかが登場していました。マイナー大名にも配慮するというにくい演出ですね(笑)