畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

中世復元城郭・逆井城遠征

2009-01-12 20:56:55 | 歴史

また、中世城郭に行ってきましたので報告です。今回訪問したのは逆井城。この城は茨城県板東市(旧猿島町)というところにありますが、この場所がなんとも不思議なところ、車でちょっと走れば千葉県にも埼玉県にも行くことができます。県境が複雑に混ざった地域です。
アクセスはあまりよくなく、最寄りのICも駅もありません。東北自動車道の久喜ICから車で50分ほどの場所。ICから20kmくらいあったでしょうか。車以外の交通手段で行くとかなり不便です(逆井城城跡公園には無料の駐車場があります)。
逆井城は古河公方に仕える逆井氏の城郭です。1536(天文5)年に北条軍の大道寺駿河守の攻撃によって逆井常繁が敗死し落城。後に北条氏繁が1577(天正5)年に同地に城を築き「飯沼城」とした。1590(天正18)年に北条氏が豊臣氏に征討されると廃城となった。


現在の復元は北条氏が築いた頃の城の様子を元に行っているそうです。城跡公園で特に目立っている二層櫓と井楼矢倉は模擬だそうです。高根城と同じような土塀の黄色が、中世城郭の雰囲気がよくでています(これが塀が白いと近世城郭に見えますよね)。


まず外観。外堀と土塀までかなりの落差です。


二層櫓への入口の木橋。下をみるとやはりかなりの高度があります。


木橋の支えは小さい子どもだとすり抜けてしまいそう。お子様連れならしっかりと手を握っていましょう。


二層櫓の中は特になにもありません。展望がよいですが、井楼矢倉の展望はさらにいいです。


土塁の上に建つ土塀もかなりの高さがあります。鉄砲の穴もあり、本格的です。


井楼矢倉の高さはかなりのものです。この矢倉は時代考証を重ねて中世の雰囲気に近づけてはいますが、模擬櫓です。屋上に登る階段も当時はこんな上りやすい階段ではないでしょう。おそらくハシゴだったのかな?それではなかなか矢倉屋上からの景色が見れないために復元では階段にしたのでしょう。忠実に復元することと、利用しやすい配慮、相反する課題に整備した人は苦しんだことでしょう。ちなみに、この矢倉も手すりが子どもではすり抜けてしまうくらいもすき間があるので、小さなお子様連れなら子どもは登らせない方がいいでしょう。ちなみに井楼矢倉を降りる時には出入口の柱に注意。結構低い所にあるので、頭を強打。とっても痛かった…。


井楼矢倉の屋上には木の盾がありました。矢や鉄砲除けでしょう。こんなところにもこだわりが見て取れます。


公園にはもう一つ井楼矢倉があります。しかし、こちらは土塀とセットになっていないので、復元施設としては淋しい印象があります。しかも、小さい子が登って怪我をしたのかロープで立ち入り禁止にされていました。


逆井城の敷地の中で復元櫓門と木橋をみつけました。これは発掘調査に基づいて整備・復元したものだそうです。外堀の門とは違って敷地内の門であるのに、結構立派な櫓門です。八王子城の主殿の門もこのような櫓門が建っていたのでしょうか。中世の前期であれば簡単な冠木門くらいですが、安土桃山期になると江戸時代の片鱗が見えます。


ここでは礎石をチェック。八王子城の主殿門と見比べてみます。八王子城の主殿の門にも大きな4つの礎石がありましたが、このような柱の下にあったんでしょうか。う~ん。


逆井城の東側(土塀の反対側)には、「比高二重土塁」があります。公園の設置した説明文によると「高さが外側の土塁に比べて内側土塁が高くなっています。このような土塁を比高二重土塁といい、後北条氏の築城法の特色のひとつです。」とあります。写真でみるとそれほど高くない土塁であることがわかります。ひょっとすると戦国時代当時はもっと堀が深かったかもしれませんね。


公園の敷地内は、関宿城門が移築されていました。江戸時代のものですからやはりりっぱなものです。ここでも礎石の状況をチェックしました。中世城郭は復元されていない史跡の方が多いので、礎石をチェックできるようになれば、頭の中のイメージでの復元ができます。


関宿城門をくぐると大台城の主殿がありました。大台城は安土桃山時代に建てられているので逆井城と同年代です。残念ながら中には入れません。石組みの側溝や、縁側をチェックしました。中世の城郭には天守閣などありませんので、メインとなる郭にはこのような主殿が建っていたのでしょう。


公園にはさらに観音堂もあります。大安寺(岩井市)にあったものを移築したと説明板にありました。江戸時代に再興されたもののようです。


櫓門と木橋の近くに、「逆井城」の石碑がありました。復元建物をバックに記念写真スポットですね。


公園管理棟が敷地に中央にありましたが、窓口は開いていませんでした。休日は休みということは、パンフレットなどは配って折らず、枝の剪定や落ち葉掃きなどの事務的な管理のみでしょうか。管理棟には手打ちそば屋がありました。逆井城のお土産でも扱ってないかな~と思いましたが、入口が中から見えなかったので、お土産商売はしてないだろうとあきらめて入店しませんでした。


逆井城跡公園は、中世城郭を堪能するのにはとても適した城郭です。高根城のようにリアルに体感できるので、イメージが湧きます。ただ、逆井城も高根城も資料館がありません。実際に訪れてその城がどういう歴史を持っているのか。どういう構造で成り立っているのかは、公園に建つ説明板を見るより他ありません。城郭を無料で体感できるのは大変ありがたいことです。広く中世の歴史を知ってもらうことに貢献していると思います。しかし、歴史を深く学びたいと思った時にはこの施設だけで足りるでしょうか。私はこの逆井城跡ではどんな遺構が出てきたのか発掘調査の概要を知りたかった。また復元する際にどんなことに気をつけて行ったのか知りたかったです。例え有料であってもやはり資料館があってほしかった。せめて板東市の市役所で「発掘調査報告書」をもらえればいいのだが…。関宿城門や大台城主殿などの移築展示もいいのですが、やはり逆井城に来たのなら逆井城のことが知りたい。ここには本来どんな施設があったのか、北条氏繁が大規模に改修したというのですから、その復元模型とか、平面展示とかでもよかったので知る手段があればいいなと思いました。
子どもを遊ばせるには絶好の環境です。休日にもかかわらず散歩がてらの人くらいで込んでいません。敷地内の広場には芝生があって自転車も走ってこないので、私の子ども2人は大人と手をつながなくても安全に遊べます(模擬井楼櫓などは別)。

 今のところ、復元中世城郭としては「一乗谷朝倉史跡」(福井県福井市)が群を抜いてよかったです。復元武家屋敷や町屋敷、さらには博物館もあり内容充分でした。次によかったのは「湯築城」(愛媛県松山市)です。市民運動で遺構が守られ復元施設が整備。無料の資料館(もっと充実してほしいですが)もあります。3位は「江馬氏館」(岐阜県飛騨市)で、庭園や会所の復元が見事でした。「高根城」(静岡県浜松市)も小規模ながら細部までこだわって復元された施設が見事。七尾城も一乗谷朝倉史跡くらい復元してほしいですが、予算的に難しいでしょうから、せめて湯築城くらい復元できないでしょうかね…。

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3 コメント

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Unknown (武藤舜秀)
2009-01-13 22:48:49
やはり空堀ありましたね。
当時から比べると土砂も堆積しているでしょうからもう少し深かったと思いますね。

しかし、交通の便が悪いんだからもっと盛り上げてほしいところなんですが、マイナーな城だからこればかりはしょうがないですね。
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Unknown (畠山義綱)
2009-01-13 22:09:19
 おお武藤様のご指摘で忘れていたものを修正・追加しました(写真付きで追加しましたのでよろしければごらんください)。逆井城の東側の端は「比高二重土塁」となっていて、空堀です。やはり北条氏の特色なんですね。
 もっとこういうような史跡が増えて欲しいですが、施設としては中途半端感は否めないですね。「一乗谷朝倉氏史跡」ほどは無理としても、公園案内のパンフレットを置くとかできないかなぁと思います。
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Unknown (武藤舜秀)
2009-01-13 12:15:34
逆井城素晴らしいですね。
こういうのが沢山あるといいですね。
しかし、北条方の城になった時の復元なのに空堀が無くて水堀というのは珍しいのではないでしょうか?
田の形に畝が作られているとか無いですね。
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