ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

能『海士』について(その16)

2006-11-14 00:35:01 | 能楽
一昨日 名古屋を訪れた際に徳川美術館の見学に参りました。そこで なんと龍が宝珠をつかんでいる文様の腰帯が展示されているのを見てビックリ! 『海士』を勤めたあとでこのようなものが展示されているのを発見するなんて。。

これは「花色地玉取爪文様腰帯」というもので、花色(=紺色)の地に同じ文様が三つ刺繍されています。その文様こそ龍が三本の指の爪で宝珠をガッシリとつかんだところを正面から見た図。なんだか目玉のように見える白い宝珠を、金の指に浅黄の爪がグワッシと握っています。遠目では何の文様かわかりにくいけれど、近くで見ると、ちと、こりゃホラーだね。。画像をご覧になりたい方は、同美術館が発行しているカタログ『徳川美術館蔵品抄9 能面・能装束』P110に掲載されていますので、そちらをご覧頂きたいと存じます(この場への無断転載は控えることと致します。ところで前回にお話しした ぬえの縫箔の本歌の同美術館蔵の縫箔の文様は、この本の表紙になっているんですよ)。

。。本当は『海士』については まだまだ考察したい問題もあります。たとえば『続日本紀』には、藤原氏が海人族の海部直の娘と縁を結び、海人一族の援けを得て海洋の支配権を獲得したことが記されていて、一方 不比等は2人の娘を文武天皇、聖武天皇に入内させて皇室の外戚となって権勢を振るい、大宝律令の制定に関わり、平城京遷都を推進するにまで到ったこと。すなわち天孫たる皇室と姻戚関係を結んだ藤原氏が、一方では海の民としての海人族とも縁を結んだ。。この事実が『志度寺縁起』を経て能『海士』の中で房前の母が龍女(海の神)と変形されて、海神との姻戚関係として位置づけられたのだとしたら。。人臣である藤原は、天=地=海、すなわち「全世界」を統一した存在になるのです。そこまで藤原氏におもねる意図が能の作者にあったのかどうか。。

ここまでで、とりあえず ぬえの『海士』の考察を終わりにします。それにしても今回のの考察には本当に頭を悩ませました。深い歴史的な事実も隠されてあり、また一方では藤原氏という特定の鑑賞者を想定して作曲された可能性もある。そしてそれらをすべて包み込むようにある法華経への絶対的な帰依の精神。。これらを調べるうちに、どんどん舞台から離れていく ぬえを感じてしまう。ぬえがこのブログに書いている上演曲目の考察は、あくまで自分が勤める作品の理解のためであり、また あるいは ぬえの舞台をご覧頂くお客さまへの理解の一助になれば、と思って書いていることなのですが、常に「頭でっかち」で舞台が希薄な役者、と ぬえが呼ばれる事だけは避けられるよう気を遣いながら書いています。

ところが今回は、この曲の中に隠された、別な言い方をすれば、説明し切れていない背景への考察を進めるにつれて、どんどん舞台からは離れて「頭でっかち」になってしまう。稽古を通じて舞台を構築していくための補強でなければならないはずの考察の作業が、いつのまにか作品が背負っている成立事情の推定に傾いていってしまうのです。

今回の考察のスタートが遅れたのも、そういう、研究が自分の舞台にマイナスになる可能性を危惧したからで、曲目の考察にあたってこういう経験をしたことはこれまでないなあ。。それほど『海士』という曲がその成立にあたって複雑な事情を秘めているのでしょうし、それが目に見える形で作品の中で説明しきれていない、とも思う(あるいはわざと説明しなかったのかもしれませんが。。)。それがまた、演者にとっては作品に対していろいろな角度でアプローチできる要因にもなるのだろうし、そのために様々な小書も歴史の中で生まれ、面・装束の選択肢をも広めた結果につながったのでしょう。ところがまた、単純に舞台での演技の面白さだけでも成立してしまい、その結果、現行曲の中でも人気曲のランキングに顔を出す『海士』という曲。。考えようによっては「不完全」ともいえるほど整合性を欠きながら、こんなに自由な発想を演者にも観客にも与える曲はほかにあるだろうか。

今後、あらためて『海士』を勤める機会があれば、もう少し焦点を定めた考察をしてみたいと思います。今回はこれにて、とりあえず了とさせて頂きたいと存じます。