ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

演劇倶楽部「座」の役者さんに謡の稽古(その5)

2010-08-31 07:48:04 | 能楽
週末に新潟で薪能がありました。最近は薪能の催しも減っているので ありがたい事ではありましたが…暑かった! お囃子方の紋付が汗で色が変わっていました…。

その日は新幹線で深夜に東京に帰り、翌日は朝から伊豆で稽古がありまして…。こちらは夕方になる前に終えましたのですが、東名高速がまさかの事故渋滞で、結局この日も深夜に東京に帰り着きました。で、翌日がまた朝から晩まで稽古があって、ってスケジュールだろう?…さすがの ぬえも ちょいと身体にこたえたねえ。(←『歌行燈』風に読むこと)

ところで演劇倶楽部「座」の役者さんが『歌行燈』を演じるために、その謡の稽古をつけ始めた ぬえではありますが、なんと今年は「歌行燈 成立100年」という年なんですってね。

そこで、泉鏡花の出身地である金沢にある「泉鏡花記念館」で、折もおり、「鏡花と能楽」という企画展示が現在開催されています。

泉鏡花記念館
企画展「鏡花と能楽」

泉鏡花が宝生流の能楽師の親戚だということは有名なのですが、出身が金沢ならば納得もできます…ぬえ、金沢には行ったことがないなあ。前田家の影響で民間にも宝生流の謡が広く浸透していたという金沢。一度行ってみたいもんです~

次に、『歌行燈』の書評を調べていて、こんな記事を見つけました。

『歌行燈』書評

ははあ、やっぱり小説に登場する能楽師にはモデルがいるのですね。吉田精一さん(←懐かしいお名前だ…)と中日新聞の紹介に、そのモデル像について見解が分かれていますが、恋仲となった日本舞踊家の女性に仕舞を教えたから、という理由で能楽界から追放されたという木村安吉の話に興味を引かれました。

明治期には能楽界もこれほど閉鎖的であったのあ、と現代人の目から見れば驚かされますが、この木村安吉の恋のお相手となった日本舞踊家とは七々扇小橘(ななおうぎ・こきつ)という方で、安吉とは不幸にして死別してしまいますが、後には横浜の大師匠と呼ばれた方のようです。

開港ハマ踊りの大師匠

小橘には襲名により複数の人物があるようですが、Wikipediaを見てみたところ、上記サイトとは異なったことが書かれていて、少しく混乱があるようですが…

(参考)七々扇流(Wikipedia)

ふうん…近代の能楽史の中にも、まだまだ知られていない物語があるものですね~。今回は時間がなくて、ネットで調べたことを中心にご報告までさせて頂きました。m(__)m

…と思ったら、最後にこんなブログを発見しました。木村安吉の、兄の、ひ孫さんに当たる方のブログです。

月の香り、花の音色

木村安吉のお墓は横浜にあって、小橘もその傍らに寄り添っているのだそうな…(!)