見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

自死は他人事ではない

2016-03-14 00:32:25 | 幸せに生きる

 自死遺族の肉声は心を揺さぶるものがあります。
 それにしても、故意による死という根強い社会通念がある中、よくぞ自分の子どもの、親の、夫の自死を語っていらっしゃると涙をしながら聞かせていただきました。
 「自死者も生きたかったのです」「死にたくて死んだのではなく、追い込まれた末の死なんです」なんと重い言葉でしょう。


 今日は、第7回しまね自死遺族フォーラムがあり、参加させていただきました。
 もう7回も開催されているのに、参加したのは初めて。前回は益田、何かの予定と重なり参加できませんでしたが、肉声を聞いてみなくてはわからないものだと改めて感じました。

自死は他人事ではない
 9年前、裁判官の夫を自死で失くした、広島の佃さんという4人のお子さんを持つ女性弁護士が基調講演。
 スポーツマンで努力の人だったご主人に、脳の腫瘍が見つかってからの壮絶な体験を語ってくださいましたが、一番大変な中でお腹の中にいた4人目の子どもを出産したものの、生きる気力を失くし、包丁を手首に当てたが4人目の子供の泣き声で我に帰った。
 49日の時に、ご主人から言われた「司法試験を受けてみないか」との声が聞こえ、司法試験を受けることが生きていいんだとの思いで挑戦。今は自死遺族支援の弁護士活動に取り組んでいる。

 弁護士という仕事で扱った事案、心理カウンセラーの「娘さんはお父さんをびっくりさせようと思って首を吊ったんじゃないか」という言葉、職場の同僚が「仕事で大変な迷惑をこうむったから迷惑料をくれ」、、、、
 世間には、自死に追いやるものやことが溢れているし、自死してもそれに追い打ちをかける仕打ちに事欠きません。自死は、決して他人ごとではなく、自分の隣にあるのだと思わせられました。

あなたのことを真剣に考えているよ
 誰かが、人は幸せになるために生まれてきていると言っていたように思いますが、だとすれば、人生に起こることにはすべてに意味がある。絶対無駄なことはないはず。
 肉親を自死で失くしたという現実と重みは一生背負って行かざるを得ないでしょうが、佃さんや語ってくださった遺族の中にも、自分のマインドを変えて前を向いて生き生きと人生を歩んでいる皆さんがあったのが、僕にとって一番嬉しかったことでした。
 自死遺族にどんな言葉をかけたらいいのかという質問に、佃さんは、「あなたのことを真剣に考えているよ」という思いは必ず伝わると仰っていましたが、そんな思いの人の数が増えて行けば、自死遺族の方も必ずやマインドを変え、前を向いて生きていけるだろうと思いました。

 自死遺族フォーラム、形はどうあれ、遺族が多くの人に体験を語る場を続けて欲しいものです。
 そして、自死を自分のこととして考え、何かがあった時に対応できる人を増やしたいものです。

コメント
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