見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

変だけどリアルな夢から始まった

2017-04-20 23:40:25 | 幸せに生きる

 親しくしている友人が訪ねてくださり、イマジン珈琲で語らいましたが、どんどんディープな話に。
 いや、ここらでと、這う這うの体で帰って行かれました。話がぶっ飛び過ぎ、濃すぎましたかねえ(^^;;

変だけどリアルな夢から始まった
 何か全く繋がっていそうにないけど、繋がっているように思える変な感覚、、、
 たぶん朝、すごく変だけど妙にリアルな夢を見ました。あり得ない!と思っているのに、妙に自然体でいる自分がいるような。それ、2年の空白を置いて、松江市議会議員になった夢(^^;;
 政治の世界では全く考えられないアプローチだと思うけど、自分の行動で一人でも“自分らしく”生きる人があれば、最高に満足できる人生になるんじゃないかと思っているので、あり得ない!夢なんですね。

 そして、目覚めた朝、気になっていた新聞を開くと「安楽死」の文字と県議会議員の不祥事に関わる特集。
 そういえば、昨日だったはずと、昨日見ていなかった新聞を引っ張り出すと一面に元同僚議員の顔写真。
 政務活動費、不祥事が大々的に報道されるようになった頃を期に相当厳しくなったんですよね。僕の場合はですが、シャカリキに頑張って調査活動をしても1/3程度は残ったものでした。

「安楽死」に違和感
 それと、夢は何の関係もないと思うんですが・・・もう一つ気になった記事は、連載企画に取り上げられた、橋田壽賀子の文芸春秋に掲載されたインタビュー記事に対する「『安楽死』意外な共感」という記事。
 これは、僕が議員時代のテーマの一つとして取り組んだ「死の文化」に関わることでもあるんですが、今、この「安楽死」ということにとても違和感のある自分があり、驚きました。
 その伏線があって、最初の友人の這う這うの体につながるのですが、かつて安楽死に肯定的とも言えた自分が、そもそも安楽死を求めたくなるような重篤な状態に陥ること自体が違うのかもしれないと。


豊かな生き方とは・・・
 ここから、昨日のブログにつながるのですが、「食べる野草図鑑」には、野草はミネラルやビタミンが豊富で薬効もある、だから少量でいいと書かれているんですね。
 かつて、農業をやっている同僚議員が、今の野菜はミネラルやビタミンが少なくなっているから、学校給食では見合った量の野菜を取るべきだという趣旨の話をしていて驚いたことがあります。そう来るか!です。
 今や、腸内微生物によって原子転換も含め、さまざまな必須栄養素が作られると言われるようになり、小食から不食の時代という人もあり、ほんの少しの食で普通の人以上に活躍する方も散見されます。

 アナスタシアはお腹のすいた時に、周りにあるものを摘んで口にすると書かれていましたし、昔の人は食べ物には一切の苦労はなかったし、病気にもならなかったと言っています。
 江戸時代の観相家、水野南北は、食に携わる人のバイブルと言われる「食は運命を左右する」に、飽食の人は貧相と書いていましたが、アナスタシアの生き方は本当に豊かかもしれません。

 大地に直接触れ、自然の中での生活が可能ならば、腸内環境は自然環境と調和したものになるでしょうし、ストレスレスの生き方ができる。仮に具合が悪くなっても、自分に一番適した生薬を口に入れれるとしたら、、
 そう、安楽死を認める社会やあり方を考えるよりも、安楽死を求めたくなる状態に陥るかもしれない、自分の生き方を考えた方がいいのではなんて思って。

 夢の話と議員の話、安楽死と食の話、脈絡もなくという感じですが、どこか繋がっている感覚があります。

コメント
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