一昨日のいけずご王国のイベント、子どもたちが外で元気に遊ぶ姿を目を細めながら見守る親やスタッフ。
自然の中でのびのびと羽を伸ばすこどもたち、その姿を見ていると自然とともにある素晴らしさと、どんな子に育っていくんだろうとワクワクする時間です。
乳児を冷凍庫に閉じ込める父親
てなことを思いながら目にした子を冷凍庫に閉じ込めた疑いで父親逮捕 過去の事例からみえる親の「知識不足」というネット記事、震撼する思いですが、一方では普通にあるんだろうなあと思いました(涙
親の虐待の被害に遭っている子どもたちの報道を目にしない日がないくらい、頻発している子どもの受難。
20年近く前でしょうか、死んでも生き返ると思っている子どもが何割も占めると、佐世保の小学校での事件の後報道されていましたが、仮想空間の中で多くの時間を過ごす今の時代、それは加速しているんじゃないかと思えるのです、、、
仮想空間の中で過ごした子どもたちも完全に親世代、そして、新たに次々と生み出す現代社会ですから、乳児を冷凍庫に閉じ込めるなんて普通かも(><
待てなくなった時代
先日来、何度か触れている堤未果の「デジタル・ファシズム」。
エピローグで、正しい答えを出すより「問うことの価値」を教えてくれた学校と先生、そこに入れてくれた両親への感謝の言葉を記しています。
そして、スマホで検索すれば、考えずともすぐに「答え」が手に入る。なんてつまらない時代になったんだろうと。
その便利さに慣れてしまった私たちは、いつしかいろいろなことを待てなくなってしまったと。
智頭町の森の幼稚園を訪ねた時、4歳児が慣れない3歳児の片づけと帰りを山道の途中で20分以上待っていた姿が目に焼き付いていて離れません。
デジタル庁が設置され、欧米や中韓の後塵を拝してなるものか、そんな勢いで?進んでいるようですが、さて、、、
血の通った人の寄り添いを削る愚
彼女は、デジタル化・AI化のバラ色の未来?に強い警鐘を鳴らしています。
特に教育、一人一台のタブレット配布、何て愚なんだろうと思ってきましたが、この本を読んで改めてその意を強くしました。
授業のデジタル化は、人資源の削減につながることは間違いないだろうと思います。
人件費って凄いコストだから、真っ先に、かな?
多くの子どもたちが知への好奇心を開く扉は、デジタルではなく、血の通った人の寄り添いしかない、学校図書館を活用した教育を通していやというほど実感してきたので、今後の成り行き、心配でなりません。