今か今かと待ち望んでいた方も何人か、、、
何を?と思われると思いますが、見てみるとな~~んだ!となりそうです。
でも、たまたま発芽するところがここだったというだけだと思いますが(いや、まさかここを選んだ?)、普通の背丈の倍以上、だって、玄関の屋根を越して、ほぼ大屋根の高さまでって、凄くないですか?
自然界の妙とでも言えるんでしょうが、自然って融通無碍ですね。
ヒトもこれくらい融通無碍に生きられたら、面白くてたまらんかも(*^^*)
あっ、話題の主はこの写真でわかる通り、タカサゴユリですが。
話題は変わって、、、
日本語のルーツ、ご存じですか?
日本人のルーツだって、ご存じの方はほぼないだろうと思えるので、ましてや言語までは。
こんなことを書いている僕も当然答えられません(^^;;
日本語って、弥生前期までは表記する文字を持たなかったとも。
ただ、古代文字がいくつも残っているやに言われていますが、いつごろのものだったか、その答えはわかっていないのが現状でしょうか。
以前、記紀をタミル語で読み解くと全く違った意味になる、そんな話を読んだか聞いたかしたことがあります。
その時は眉唾でしたが、、、
三島族のルーツに係る本を読んでいて、田中孝顕著「ささがねの蜘蛛」の存在を知り、図書館で借りて読んでみました。
日本語のルーツはタミル語?
「ささがねの蜘蛛」は、記紀や万葉集の意味がよくわからないところをタミル語で読み解くと、その言わんとする意味が明らかになることが多くの例を持って示されています。
ただ、言語学の世界では諸説あるうえ、医学など同様、西欧至上主義のようなところがあって、異説を排除しようとする風潮が強いようで、タミル語説を唱えた大野博士は相当なバッシングを受けられたようです。
学術界って魑魅魍魎が跋扈する世界、そんな印象まで持ってしまいます。
さて、タミル語って、インドのドラヴィダ語の一つとのことですが、タミル語と日本語が結びつかない理由の一つは、その距離にあるのではとも思えます。
大野先生の本でさえも、インドシナから海洋を超えてのルートが示されており、出雲族(猿田族)のルーツは全く?考慮されていない印象です。
恐らく、記紀で出雲の歴史がほとんど痕跡を残すことなく消され、今なおそれが大きく変わる様子がない、という事実が大きいのかもしれません。
出雲に残る口伝では、各地から春秋の大祭に集った人たちは、さまざまな報告をし、それをユフという紙に書き残されていたと。
しかし、長い年月の間に虫食いが進み、昭和初期、わずかに残っていた記録はとある学者が借り受け、返されることなく今日を迎えているとか。
その記録は、何やら横文字のようなもので書かれていたとも、それが残っていれば、もしかしたらタミル語説の有力な物証となったかもしれません。
これが事実とすると、何やら学術界の暗部が想像できるようで、、、