50代半ばで小学校3年生と机を並べ、1年間奥出雲町の小学校に通ったという、何ともユニークな詩人の里みちこさん。
飯南町出身、確か40代半ばで大学へ、(教官に勧められて詩人になってしまったと聞いていたはずでしたが、、、)卒業直後、阪神淡路大震災孤児施設「希望の家」の募金活動に「希望」という詩を掲げて街頭に立ったのだとか。
詩人・里みちこさんの誕生。
そんな里さんから電話。
結局、電話の一番の用件はなんだったっけ(^^;;
自死遺族の会からのオファーで、詩語りの会が決まったのですが、僕が背中を押したから引き受けることになったと仰るんですが、、、
それにつけての話もしたけど、一番は、里さんは縄文の人だよねと僕が言ったと、それっていつのこと?
でも、本当にそうだと思う。
里さんは自分の気持ちにとても正直、あふれ出てくる思いがそのまま詩になっている感じ。
だから、みんなの気持ちに響く、里さんをカムの宿に紹介して下さった女性は、大阪で彼女の詩に出会い、号泣したのだとか。
彼女の詩に号泣したという方は他にも何人か知っていますが、彼女の詩に出会い、改めて背中を押されているんですね。
「大漁」と「隣に分ける」は同じ言葉
縄文の時代が終わって後、海民、アイヌ、南島など周縁の人たちは、何世紀もの間(1000年以上?そして一部今も?)縄文と共通する生き方や気風が認められると。
それは商品交換への強い違和感、贈与への執着、分配を通じた平等、強制や圧力の拒否、他者や土地との緩やかなつながり、中心性を排した合意形成、、、
後で里さんから頂いたメールには、アイヌ語で「大漁」と「隣に分ける」は同じ言葉だと!なるほど~~!!
もうひとつ、言葉、大和言葉って縄文を引きずっているらしい。
それは、言霊の世界とでもいうのか、まるでオヤジギャグ満載、って感じで、一つの言葉(響きとでもいうのか)から自在に様々な言葉が湧き上がっている感じ。
まさに“里ワールド“そのもの、一つの言葉から湧き上がるように言葉が連なって展開する感じ?う~~ん、うまく言葉にできないけれど、、、
上手く説明できるようになったら、改めて、、、
僕のお気に入りの里さんの詩「ぼうふら」を(*^^*)