見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

アナログブームと言霊

2024-07-17 14:19:30 | 日記

今日の地元紙に「アナログブーム」とのコラムが掲載されていましたね。
ほのぼのとと言うか、嬉しくなって読みました。
この静かなブームが起こる所以、言葉もそうで、韻文、散文、話し言葉って、アナログとデジタルの違いと同様なことが言えるよなあと。


言霊と日本語

県図書で書架を探しても目的の本が見つからない!?な~んだ!書庫にあったんだ、ってことでしたが、お蔭で面白そうな本を手に取りました。
今野真二著「言霊と日本語」、そんな難しげなことを知りたいわけじゃないけど、なんですが、当然そこにはなるほども随所に。
「言霊」って言葉、万葉集に3ヵ所書かれているとのことですが、これ以外に平安時代以降江戸時代まで使われていないのだとか。

中見はともかく、今の時代を考えると“へえ~!”ですね。
著者は、本居宣長や本居春庭、富士谷御杖などの著作を読む時、「言語に沈潜する」という表現を思う、そして言語があやしいまでに繊細であることを知ると。
宣長の古事記解釈について、和語を探る方法について「見えてないものを、みえていない側から探る」ということになると。

韻文と散文
実は、韻文と散文とはも知らなかったのですが(^^;;、、俳句や連歌や和歌や詩のことを韻文と言い、普通に書いた文章は散文ってことらしい。
文字数が少なくなればなるほど、さまざまな言葉の中からこれは!というものを選び抜いて歌は作られます。
普通に書き残す文章も、やっぱり推敲を重ねて書く、でも話し言葉は思い浮かんだものがそのまま言葉になる。
ですから、歌って、思いのこもった言の葉がたくさん沈潜している、短ければ短いほど沈潜しているものが多くなる。

富士谷御杖は「言霊倒語」と言っているようですが、沈潜しているものも含めて言語によって他者を理解し、交感する。
彼らが考えた言霊って、もしかしたらそういうこと?
僕は、ネットでのお話しって(みんなすごい話のようですが)聞こうとは思わないで、もっぱら読むことにしていますが、そういうことだった?(*^^*)

コメント
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