やっと、復活間近 (#^^#)
いや~、長かった!
どんでん返しはないつもりですが~~(^^;;
途中からインフルエンザらしい、と思ってきましたが結局それもどうだったのかよくわかりません。
医者に診てもらわなかったし、薬も飲まずに自分の自然治癒力にかけてきたので、が、、、
寝ながら読んだ本に、病気は、体に溜まった食品添加物と日頃のストレスをデトックスするためと書かれていました。
その本を書いた著者は、大切な個展の時に数十年ぶりの腰痛で会場に行くのが大変だったが、「よほど凄いことが起こるに違いない」と思い続けた結果、事実その通りのことが起こったとも。
日常生活での食と意識の大切さはある程度分かっていたつもりでしたが、改めてガッテンでした。
起伏に富んだ症状
振り返ると、長すぎるとも思えた今日までの1週間の症状は、とても起伏に富んだものでした。
途中、これで乗り越えた!と思えたことが2回はありましたが、そうではなかった。
でも、そこで自分の意識を余ほど凄いことが起こるんだろうという思いに据えれたこと、これから始まる事業の意義は、自分が考える以上に大切なことかもしれないと思えたこと、食の転換による体調変化を過信していたかもと思えたことは今回の病の大きな収穫でした。
体温計を封印
もう一つ、日に何度も何度もチェックしていた体温、振り返ると数字が上下するたび一喜一憂していたかもしれませんが、途中で体温計を見ても仕様がない!と封印しました。
体温がわかったら病気が早く治るとかならいいのですが、かえって焦ったりすることもあり、そうでもないよなあと。
それよりも、治る!というところに思い定めることが大切かもと。
今まで経験したことのなかった風邪ですが、本当に有り難かったかもしれません。
あっ、これは、あくまでも自分の価値観に沿った主観ですので、ご理解ください。
あろうことか、風邪?インフル?敢え無くダウン。
長時間床に就いていたため?腰が痛くて腰が痛くて。
ただ、そのお陰で、本が読めます。
半分ほど読んでいたアルセーニエフ著「デルスウ・ウザーラ」、初版が1965年だから?やけに活字が小さくて眼鏡を変えたいと思いながらも、深い感慨の中で読み終えました。
確か、書いたはずと思って調べてみると、元旦のブログにこの本を注文したと書いていました。
あなたは私 私はあなた
後で、デルスウ・ウザーラのことを教えてくれた方の出所は、清水義久著「あなたは私 私はあなた」だとこの本を読みながら分かったのですが、そこには下記の言葉が紹介されていました。
アルセーニエフはデルスに聞く。
「こんな吹雪の中にひとりで獲物を待って何日もじっとしていられるなんて、信じられない。どうしてできるんだ? こんな氷と雪に閉ざされた世界にたったひとりで暮らしていて気が狂わないのかい?」
デルスは答えた。
「この世界は生命に満ち溢れている。あらゆる命が輝いている。空気の中にあったり、水たまりの中にあったり、氷の上にもあったりする。おれは一瞬たりともそいつらの命から切り離されたことはないよ。あんたたち文明人は、この世界でたったひとりになれるというすごい技を発見したんだね。ひとつの命だけを切り離すという技はどうやったらできるんだい」
世界のクロサワへ
作者のアルセーニエフが沿海州の地図作成のため、この地方を探検する中で知り合ったのが原住民(ゴリド族)のデルスウ・ウザーラ。
この話は、黒澤明がソ連との合作で映画化され、アカデミー賞外国映画賞とモスクワ国際映画祭最優秀作品賞を受賞し、黒澤監督はここから「世界のクロサワ」へ飛躍とか。
さて、この本は最初にウラジオストクで出版されますが、その高い芸術性をゴーリキーが絶賛しモスクワの国立出版社から再版されています。
なるほど、自然の表現力や深く温かな人間への眼差しは素晴らしいかも。
ただ、楽しみにしていた前述の一節は見えなかったので、それは、初版にあったのか?
自分の欲するように生きたい
探検の途中、デルスウ・ウザーラは目が悪くなって生きる糧であった猟が出来なくなり、ウラジオストクでアルセーニエフと暮らし始めますが、だんだん痩せてやつれて老い込んでくる。
彼は「町では自分の欲するようにではなく、他人の欲するように生きなくてはならない」と理解するようになり、とうとう彼は、アルセーニエフの家を出て行き、悲劇が彼を襲う。
この本を読みながら、やはり可能なんだ!と思ったことがあります。
それは、シベリアの美女アナスタシアは家を持たずにタイガで暮らしていますね。
この本にも原住民のウデヘ人ロガタが零下20℃の厳寒の中、小屋の中は人が多く狭苦しいので焚火もなく外で寝る場面がありますが、デルスウは「この人たち、寒さ恐れない。夜が来るとそこに眠る。いつも月が、彼の背中あたためる。」と説明しています。
人の力、人の可能性は底知れないと思いますが、便利は人の持つ力を削ぐんですね。
あっ、僕は厳寒の地に投げ出されたら、どんな装備があっても無理!って思います。
ただ、できる限り他人の欲するようにではなく、自分の欲するような生き方をしたいものだと。
そして、いつも命の輝きに満ちたこの世界を感じて生きたいものだと。
長い間ここに住んでいるんだけど、そんな名前聞いたことないよなあ。
先日、知人を迎えに行くのにご一緒した方がスマホでナビをしてくれましたが、そこに聞いたことも見たこともない「切剥山」というのが出ていました。
昔から言い慣わした陸軍墓地隣で四中の真裏ですから、我が家から直線で1キロもありません。
その時は、車に乗り合わせた皆、異口同音に聞いたこともないね、で終わりました。
すぐ近くだし、気になって調べてみたら、Google地図には記載がありませんが、Yahoo地図やMapion地図にはちゃんと記載があり、標高は72メートル。
へえ!ですが、何て読むのかを知りたいと思ってさらに調べてみると、仮名の表記は見当たりませんでしたが、面白い蘊蓄を書いていらっしゃる方がありました。
なんでも、BC2001年12月25日、三陸地方に巨大地震があり日本海地方に大津波が押し寄せた。
その方の計算では、茶臼山や嵩山あたりでは最大69メートルの津波。
その当時の海面は今より6~7m髙かったから、72mの切剥山は津波に飲み込まれ、頂上の方が切り剥がされたのでそんな名前が付いたのではないか、と。
その他、弓ヶ浜半島や斐川平野などもこの時の津波が果たした役割は大きいし、周辺の地名もこの時の津波との関連が推察されるというような内容が連綿とつづられています。
これ、真偽のほどは別として、とても面白くありませんか?
津波のこと、もっと調べてみたいなあと思いましたし、松江はずっと入り込んでいるから大地震があっても大丈夫、そんな思い入れがあったけど、危険性ゼロじゃないということをインプットしておきたいと思ったところでした。
上古代のカタカムナの人たちは、宇宙の根源は凪であり波であると感じていた~それがイザナミ、イザナギに転化したとも~そうですが、この世には永遠に静止しているものはない。
今は形が変わらないようでも、それは一時の凪の状態で、常に変化するものである。
そんな長いレンジで物事を考えて見るのもロマンがあって楽しいものですね。
ラッキー 今シーズン最後のフナの糸造りだったそうです。
石橋町の石川屋さん、昨年だったか、初めて買い求めて美味いよなあと思っていました。
何が違うのか?芸術的な細さで口当たりが全く違うんですよね。
ただ、スーパーに売られているものと比べたら相当高いのですが、あの美味しさには代えられません。
昨夜の井上さんの話では、特A級の職人技なんだとか。
話しを聞けば、美味しいのは当然だし、あの値段は十二分に納得です。
美味しい料理でついつい進んでしまい、今日はちょっぴり余韻を引きずりながらの畑。
倒壊したエンドウ豆の支柱づくり。
竹も新しいし、少々の風が吹いても今度は大丈夫でしょう。
さあ、元気に伸びてちょうだいよ~
そうそう、今日はちょっぴり春霞がかかっていましたが、大山がキレイでしたね。
百姓仕事って、自然と戦うのではなく如何に上手く付き合うかが大切だなあ。
と思ってはいますが、、、一昨日、春の恵みの採集がてら畑に行ってみると、先日の大風で絹さやエンドウのネットが倒壊していました。
もう1ヶ所の畑のエンドウの支柱は手付かずにしていたので、竹切り仕事を終えてからの採集作業。
並外れた寒波のお陰で、1/4の株は完全に刈れているようなので、自然からのWパンチ(^^;;
作日は、倒壊した支柱とネットを片付け、やり方を変えようと淡竹と篠竹切りに河川敷へ。
それぞれ20本づつ切って畑まで持って帰りました。
今日は、支柱立てのつもりですが、今度は風で倒れないようにしたいなあと思います。
少しお金をかけて、丈夫な材料を買ってくるという手もありますが、生かせるものは最大限生かして、なるべく自然と共存。
手間を惜しまずってことになりますが。