そういえば、10年ほど前だったかなあ?古事記1300年で列島が随分盛り上がりましたね。今日の地元紙に、「人麻呂没後1300年でイベント」というローカル記事が掲載されていました。
人麻呂、島根県の益田が生んだ不世出の歌人、“歌聖”とも言われている柿本人麻呂、島根県人でも僕を含めて余り意識したことないですよね。
新聞には、持統天皇に重用されたが、権力闘争に巻き込まれて宮廷を去り、最後は益田で亡くなったと言われているとありました。
その人麻呂、ほぼそういう角度で言われていることはないと思いますが、天武天皇のご落胤で、古事記の実質上の作者と言うか、編者と言うか、、、
出雲に伝わる口伝をベースに、人麻呂の歌を読み解き、人麻呂の生涯も書いた本では、歌の才が認められて持統天皇に重用されたが、古事記編纂の全容を知っていることと、ついつい本音を歌にしてしまう率直さが災いしてか、左遷や遠流の憂き目に遭い、愛する女性たちとも断腸の別れを重ねたという人麻呂像が語られています。
どうあれ、郷土が生んだ歴史に名を刻む偉人、鎮魂の祈りを捧げたいものです。
本を読もうと思っても読めない
という記事を読み、今読んでいる本に書かれていることがやけにリンク。
それは、言語学者の大野晋氏の「戦後の教育漢字改革で教える漢字を881字と決めた。それしか基礎を持たないと、大学に行って本を読もうと思っても読めないのです」との言葉。
そりゃあ、万葉集や記紀の歌を理解することや、敷衍して人麻呂の生涯を知ろうとすることってあり得ないよなあ、、、
一昨日、ブログに「本屋は文化?」と書きましたが、ネットの利便性や語学力からも面倒な本は手に取らなくなるよなあ(><)
本屋って、まさに文化の象徴のように感じていて、後退感の否めない今の本屋業界の姿は、日本の庶民文化の行く末を暗示しているように感じられます。
本が売れなくなると、図書館機能だって先細り、本好きにはちょっぴり寂しい。
今頃になったですが(確か、ルーツ探しのブームがあったような)、日本人ってどうやって今があるんだろう?
記紀によって消された歴史があり、学術界もファジーを忌み嫌う風潮がある?そんな中でとても素朴な疑問が起こってきて、、、
最近手に取る本はそんな本ばかり。
日本人のルーツ
そこで、ずばり、「日本人のルーツがわかる本」も県立図書館で借り出し、読んでいます。
なるほど~~!!やっぱりそうなんだという発見が一つ。
それは、歯の形状から日本人の起源を探る研究。
弥生人がやってきたのは2300年前頃との説があり、弥生時代の遺跡を調査すると北九州、山口、島根県西部には明らかに弥生人の歯形だと。
それは、揚州と同様の歯型であると、、それって、時代も場所も、記紀が封印している、徐福が2度にわたって連れてきた6,000人を超える人たちの痕跡じゃないの?
そして、そうだよなあが一つ、縄文時代にも食料の栽培が行われていたこと、そして、彼らは漁民的集団、河川魚と採集中心の集団、狩猟と採集中心の集団、交易を中心とする集団など、中核とする生業がこの時代にも存在していたこと!
1999年刊行の本ですが、驚きと発見の連続。
そこで、当然ですが最新の研究の知見はどうなのと思い?それらしき本2冊に目星をつけ、買うことに決めました。
本屋は文化?
そこで、ネットで購入するのは簡単で、すぐにそれに走りそうになるけど、地元の本屋さんで購入したいよなあ。
ということで、今井書店でネット注文!と思ってサイトに行ってみるも、ネット注文も在庫検索機能も見当たらず、その上、店舗の電話番号の記載もなくなって💦
改革中というのはそれとなくわかっていましたが、まさかここまで(@@)
ネットが幅を利かす、良いとは思いませんが、利便性は格段に落ちたし、改革?後の店舗構成も本好きにはちょっと辛いって感じ。
そこで思ったのは、本屋って、文化?経済?
勿論、経済で成り立たなくてはならないけれど、文化の下支えとしての機能を考えるなら、憂うべきことのように感じます。
本屋が衰退すれば、図書館の機能だって衰退するように思います。
kindleを揃えるのが図書館だとしたら、まあそれでもいいかですが、老眼鏡をかけてでも読書をしたい皆さんもいる。
早晩、そういう皆さんは退場することが約束されているのかなあ?
今か今かと待ち望んでいた方も何人か、、、
何を?と思われると思いますが、見てみるとな~~んだ!となりそうです。
でも、たまたま発芽するところがここだったというだけだと思いますが(いや、まさかここを選んだ?)、普通の背丈の倍以上、だって、玄関の屋根を越して、ほぼ大屋根の高さまでって、凄くないですか?
自然界の妙とでも言えるんでしょうが、自然って融通無碍ですね。
ヒトもこれくらい融通無碍に生きられたら、面白くてたまらんかも(*^^*)
あっ、話題の主はこの写真でわかる通り、タカサゴユリですが。
話題は変わって、、、
日本語のルーツ、ご存じですか?
日本人のルーツだって、ご存じの方はほぼないだろうと思えるので、ましてや言語までは。
こんなことを書いている僕も当然答えられません(^^;;
日本語って、弥生前期までは表記する文字を持たなかったとも。
ただ、古代文字がいくつも残っているやに言われていますが、いつごろのものだったか、その答えはわかっていないのが現状でしょうか。
以前、記紀をタミル語で読み解くと全く違った意味になる、そんな話を読んだか聞いたかしたことがあります。
その時は眉唾でしたが、、、
三島族のルーツに係る本を読んでいて、田中孝顕著「ささがねの蜘蛛」の存在を知り、図書館で借りて読んでみました。
日本語のルーツはタミル語?
「ささがねの蜘蛛」は、記紀や万葉集の意味がよくわからないところをタミル語で読み解くと、その言わんとする意味が明らかになることが多くの例を持って示されています。
ただ、言語学の世界では諸説あるうえ、医学など同様、西欧至上主義のようなところがあって、異説を排除しようとする風潮が強いようで、タミル語説を唱えた大野博士は相当なバッシングを受けられたようです。
学術界って魑魅魍魎が跋扈する世界、そんな印象まで持ってしまいます。
さて、タミル語って、インドのドラヴィダ語の一つとのことですが、タミル語と日本語が結びつかない理由の一つは、その距離にあるのではとも思えます。
大野先生の本でさえも、インドシナから海洋を超えてのルートが示されており、出雲族(猿田族)のルーツは全く?考慮されていない印象です。
恐らく、記紀で出雲の歴史がほとんど痕跡を残すことなく消され、今なおそれが大きく変わる様子がない、という事実が大きいのかもしれません。
出雲に残る口伝では、各地から春秋の大祭に集った人たちは、さまざまな報告をし、それをユフという紙に書き残されていたと。
しかし、長い年月の間に虫食いが進み、昭和初期、わずかに残っていた記録はとある学者が借り受け、返されることなく今日を迎えているとか。
その記録は、何やら横文字のようなもので書かれていたとも、それが残っていれば、もしかしたらタミル語説の有力な物証となったかもしれません。
これが事実とすると、何やら学術界の暗部が想像できるようで、、、
朝の外作業を諦めるなど、台風の余韻が残る今日、見事に蒸し暑い💦💦💦💦
お隣の鳥取県では線状降水帯の発生で?大きな被害が発生しているようですが、ここ松江では適度な雨、まさに慈雨でしたね。
ただ、そんな大風ではなかったけど、柿や栗のイガなどが落ちました。
風の影響もあっただろうけど、たくさんの実を付けていたから、自分で適度に摘果したのかもしれません。
人にはコロナや鳥インフルなど真正面から襲ってきますが、自然って、そういうものも織り込んで、うまく調和するように柳に風で受け流している印象です。
植物や動物も含めて、自然界の方が人より数段上なのかも。そんな台風一過の今日、久しぶりにモズ君が姿を見せてくれました。
いや、今までも来ていたでしょうが、気が付かなかった。
さて、モズのハヤニエ、今年はどんな造形作品を披露してくれるのでしょうか、被害に遭うカエルや昆虫にはすまないけど、ちょっぴり楽しみです。
よく見かける白百合ですが、外来種のタカサゴユリ。
今頃の時期に道路の法面を華やかに飾ってくれています。新庄の庭にも、毎年のように奇麗な花を咲かせてくれていますが、今年は右の写真が象徴するようにかなり変。
昨年、何株かが咲き誇り、まるで白百合ロードのようでしたのに。
今年は、あちこちに散った種が芽を出し、昨年の倍?3倍と思える盛況でしたが、この季節とともにいつの間にか消えてしまったり、花芽もろとも先端が食害にあったりで、寂しい白百合ロード。
お盆前に咲き始めはしましたが、最初の写真の他に奇麗な花を付けそうなのは1~2株。
自然界の厳しさを目の当たりにしていますが、あわせて、もうちょっと前に花を咲かせてほしかった(^^;;
待っていたのに、はぐらかすように最後のお客様が帰った翌々日にやっと開花!
でも、今年も美しい白百合を見られて良かった(*^^*)