<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

しぐれてゆく後ろ姿 

2006年07月02日 09時48分09秒 | Weblog
 うしろすがたのしぐれてゆくか    山頭火

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 あまりにもよく知られた作品であるから、ぼくの邪推の及ぶところではないが、なあに、作品はいろいろに読んでかまわない。ぼくはぼく流でいい。といっても、あまりにもかけ離れた読み方であれば、山頭火が、「おい、いい加減にしてくれよ」と言いたくなるだろう。

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 しぐれは時雨。<しぐれてゆく>は山頭火の造語だろう。時雨を動詞にして扱っている。<しぐれる>は、雨が降りそうな気配を感じさせる。<しぐれてゆく>はその状態を保ちながらそれが継続されてゆくことととってよかろう。空が本当に雨模様を来してきていたかもしれない。山頭火は歩む。彼は道を求めている。だが、道を求める場所が、地図にあるわけではない。だから<あてどもなく>である。

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 しぐれは、男の胸にもある。暗雲がたれこめる。道は得られるか。生きてある中に道は得られるか。その尻尾にすら手が伸ばせないのではないか。不安がよぎる。それがしぐれして雨となる。身体の前半分は、目を開けてひたすらに道を求めている。そうやって求道の姿勢が歩いている。だが、身体の後ろ半分は、そうはいかない。

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 不安が募る。煩悩がおこる。欲心が動き出す。人もやたらに恋しい。おんなともずっと寝ていない。寒い。こごえるように寒い。人はうしろが見えない。見えないからよかったものの、おのれのさまざまな背後をたずさえていることは間違いもないことだ。山頭火は、うしろすがたが、時雨時雨して歩いている己のさまを直感できたのではなかっただろうか。

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 見えないうしろに背中がある  李白黄
コメント
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