明日はわが聚落のお祭り。稲田に水が要らなくなったので溜め池の水を抜いて「濠干し」をする。かなりでかい溜め池なので、水を抜くにも数日はかかる。水を抜くと養魚していた魚たちが顔を見せる。これを網で掬い取る。鯉、鮒、鯰、鰻、鮠、小海老などが獲れる。男たちは魚獲りに精を出し、女たちはこれを料理してくれる。鯉のアライ、鯉の味噌汁、鮒の煮付け、海老の掻きフライなどが列べられる。これに甘い小豆餡をまぶしたぼた餅、秋野菜のお浸し、豆腐料理、吸い物などが添えられる。これで酒を飲む。まあ、農家の収穫祭のようなものだ。
我が家には利益を出せるようなまとまった田畑はない。だから農家ではない。だから、おまけに参加をさせてもらっている格好だ。でも、わが集落で農家で飯を食っている家は少ない。働き手はすでに高齢化してしまっているし、農家の後を継ぐ者は皆無に等しい。偶に若い人がいても、みな他所に働きに出てサラリーマン化していて、農業はアルバイト的だ。もうほとんどの田畑はJAなどに農業委託をしているようだ。(これで日本の農業問題、ひいては食問題は大丈夫なのだろうか? 決して決して大丈夫ではあるまい)
さぶろうは川魚が苦手だ。生臭いのがどうもいけない。捕って来てすぐに料理をするものだから、臭みが抜けないままなのだ。だから折角の料理なのだが、出された魚料理にはほとんど手を着けない。小エビの掻きフライだけは別だ。これは酒の肴になる。すぐに酔ってしまうので、あとはぼた餅を食べておしまいだ。酒飲みの人の相手にもなれない。聚落の人が集まって懇親する、ここがこの祭りの大事な役目のようだ。