誰の命もいつかは終わる。健康を誇っていた人もそうでない人も、権力をほしいままにした人もしなかった人も、おごり高ぶった人も落ち着き払って暮らした人も、この例にもれず、死の時を迎えることになる。
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命終の時にのぞんで、こころ顛倒せず、こころ錯乱せず、こころ失念せず、身心にもろもろの苦痛なく、身心快楽(けらく)にして、禅定に入るがごとく、聖衆現前したまい、仏の本願に乗じて、阿弥陀仏国に上品(じょうぼん)往生せしめたまえ。かの国に至りおわって、六神通をえて、十方界に入(かえ)って苦の衆生を救摂せん。 浄土宗経典 「発願文」より
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いままさにわが弟が命の終わるときに臨んでいる。
1,弟のこころが顛倒することがありませんように。
2,弟のこころが錯乱することがありませんように。
3,弟のこころが失念することがありませにょうに。
4,弟の身心にもろもろの苦痛がありませにょうに。
5,弟の身心が快楽(けらく)でありますように。
6,弟が禅定に入るごとくでありますように。
7,弟の前に明王や菩薩や如来などの聖衆が出迎えてくれますように。
8,仏の本願に乗じて上品往生をとげることができますように。
9,彼の国に至り着いたあとに利他救済の6神通力を得ることができますように。
10,十方界に飛翔して苦悩の衆生を救済する活動に入ることができますように。
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これから弟の寝ている病院のベッドに行って夕暮れまでを付き添います。阿弥陀如来の本願があって、この10項目はことごとく成立を見るという約束ができていますから、わたしがことさらに発願をしないでもいいことですが、眠っている顔を見ているとついつい願ってしまいます。