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人は肉体を宿としてきた、生きている間はずっと。その後でも、何かの物質を宿とすることが出来るだろうか。たとえばこのカイドウザクラに。死者の寛ぎ。死者は寛いでいるはずだ。では何をしていたらそういう寛ぎに到達しているのだろう。此の世の風景にだろうか。いな、あの世にも花園があって山があって海があって、美しい風景が続いているだろう。
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人は肉体を宿としてきた、生きている間はずっと。その後でも、何かの物質を宿とすることが出来るだろうか。たとえばこのカイドウザクラに。死者の寛ぎ。死者は寛いでいるはずだ。では何をしていたらそういう寛ぎに到達しているのだろう。此の世の風景にだろうか。いな、あの世にも花園があって山があって海があって、美しい風景が続いているだろう。
2
庭にカイドウザクラが咲いている。これは父が植えたもの。父が死んでもう40年が経っている。桜は、縦にするすると3mほどにもなっている。その頭部に花片がふさふさふさとついている。八重。ピンク色。40年が経っても、いまだに清潔可憐な少女のよう。
植えた父は此の世を去ったが、この桜は此処に残って、在って咲いている。それが不思議な気がする。父も、在っていいだろうに。
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読んだらほっとする。そんな文章が書けないかなあ。読んでほっとする文章を読むことがある。こころがそこでしばらく遊ぶ。わたしは遊ぶ幼児になる。文章というものは、死者でも読めるものなのだろうか。読んでほっとして、そこで寛いだりしていることがあるだろうか。
3
わたしはどんなに寒い日でも靴下を履かない。スリッパも履かない。これに慣れてしまっている。靴を履いて外出するときには靴下を履くけれど。だから、家の中では常に我が裸の足が見えている。わざと踵をついて、廊下の板張りをどしんどしんの音を立てて歩く。踵歩きが健康にいいらしいから。
2
立って歩く猿もやはり縦長になっている。そういう形を採ると、きっと歩きやすいんだろう。じっと立っているときにバランスがとりやすいんだろう。足に足骨が無数に走っている。足先に大小の指がある。土踏まずは、なんのためだろう。高い甲はなんのためだろう。我が足を見つめていると、あれこれの疑問が湧く。
1
象の足は丸い。それであれだけの重量を支えている。走るライオンの足も丸い。水の中を歩く河馬の足もやはり丸い。それなのに、人間の足は、そうじゃない。楕円長方形をしている。これはなぜだろう。踵の上に軸足がするするするっと延びている。とっぺんに頭がある。立って歩くからだな、この進化は。
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お昼になりました。市役所のチャイムが鳴っています。仕事なんか何もしていないから、腹が減っているはずはありません。娘がカレーパンを昨夜の内に焼いてくれています。自家製の麹菌を使ってあります。これを一個あたためて食べることにします。
読者諸氏のご家庭では何を食べておられるのでしょう?
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畑の片隅に、小さく苺の花が咲いているのを、昨日見つけました。立ち止まって見入りました。ほんものの西洋苺です。余り目立たない白い花です。苺には愛情を注いでいません。それでも逞しく蔓を伸ばして繁殖を企てています。施肥をしてあげようかな。
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雨が降り出すのかも知れません。空が暗くなってきました。小鳥が来て鳴いています。季節の鳥、シジュウガラのようです。
3
でも、土弄りはわたしの精神安定剤効果があります。こうしていると穏やかになります。落ち着きます。それのみか、充実感を恵まれます。小さな小さな充実感ですけど、それでも有り難いことです。
2
肘も痛いのです。右腕でばかり農作業をしているから、圧迫が肘に来ています。夏野菜の畑作りは骨が折れます。土を深く掘り起こさねばならないからです。わたしの右手に握っているのは小さな鍬の一種です。これを頻繁に頻繁に振り下ろして耕すしかありません。麻痺の足では立ち仕事は出来ないのです。