<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

今日は午後からは草取りをしました。すかっとしました。

2021年02月22日 18時29分01秒 | Weblog

今日は午後からは草取りをしました。夕方5時のサイレンが鳴るまでずっと。家の周囲の小径がきれいになりました。休憩なしで3時間ほども働きました。それでいい気持ちになりました。

 

草取りをしていると、瞑想をしているときと同じ状態になります。無心になれます。なんでも忘れてしまいます。すかっとします。ホトケノザの草が勢いを増していました。

 

あれこれ考えなくなります。右手と左手が動くままです。世の中にこんなにいい仕事があったなんて、と思います。よかったよかったと思って嬉しくなります。

 

小径の端には韮が育っています。一列ずつ。ずっとではありませんが。草を取って耕して、土をふかふかにして上げました。ありがとう、って声が聞こえてくるようでした。

 

抜いた草はみんなバケツに入れて草捨て場に運びました。何度も何度も運びました。いい運動になったでしょう、これで。草捨て場の草は半年後には肥料分を含んだ培養土になります。

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いのちの長さ短さ、ということをふっと思う。

2021年02月22日 11時38分57秒 | Weblog

よくもまあこれだけ長く生きられた 芹(せり)や薺(なずな)の我は何倍       

山鳩暮風

春が誘うので、野原に出て見る。小川の岸辺には芹が青む。畦道のここかしこには薺が細く白い花を伸ばして風に吹かれている。

彼らも冬を越したのである。越年をして、いざいざいざという気負いを見せている。

ふっと思う。己は長く生きた。

己はひどく長く生きた。この野原の芹や薺たちの何倍も何倍も生きて来たようだ。芹や薺は新しい芽を出して、次々に芽を出して次へ次へと命を繋いでいるが、この己はそういうこともしていない。生まれて来たときの肉体を其の儘キープして生きている。もちろん新陳代謝を繰り返しているのだが。

なんだかふっとそう思った。とはいえ、芹も薺も、種族全体ではずっとずっと以前からこの地上で暮らしてきた。生命力のたくましさでは、人間さまに劣っていない。

人間さまも、種族としてなら、芹や薺と同等である。何千年何万年と生きている。そういうことになる。死に死に生まれ生まれして、命を繋いでいる。さぶろうとして生きたのはずっと短いのだが、人類としてなら長い。

短歌を作ってから、その後であれこれと思いを巡らせた。長い短いが、とうとう分からなくなってしまった。

 

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サイクリングの季節到来だなあ。そろそろ繰り出すとするか。

2021年02月22日 11時01分50秒 | Weblog

いいお天気だなあ。外気温が17℃ちょっと。日差しが春を指し示す。

 

そろそろサイクリングをしてもいいなあ。でももうずっと使っていなかったので、すぐには乗れそうもない。自転車屋さんに運んで行って、乗れるようにしてもらわなくちゃならない。

 

うららかな春の日より。ああ、いいなあ。ともかくいいなあ。忍耐も此処までという具合に、庭の八重椿が厚ぼったい蕾をぬぬぬぬぬと開かせだした。

 

ふるさと城原川の川土手は菜の花が一杯になっている。今週には土筆を摘む人の姿も見られるだろう。

 

川土手を南へ南へ南へと下りて行く。すると川は筑後川に合流する。そして自転車は木材の町、大川市に出て行く。此処には作曲家古賀政男の記念館もある。

 

僕は、しかし、此処から諸富の方に方向を変えて、徐福が上陸した地点に立つ道の駅へ辿る。そこからサイクリング道路が続いている。廃止になったJR佐賀線の跡がそのまま自転車道、散歩道になっている。桜街道にもなっている。

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