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若有持観世音菩薩名者 設入大火 火不能焼 由是菩薩威神力故 若為大水所漂 称其名号 即得浅処
妙法蓮華経 観世音菩薩普門品第二十五より
2☆
若(も)し観世音菩薩のみ名を持(たも)つ者有らん 設(たと)い大火に入るとも、火もまた焼くこと能(あたわ)ず 是の菩薩の威神力に由るが故に 若(も)し大水の為に漂わされんに 其の名号を称えれば 即ち浅き処を得べし
3☆
もしも観世音菩薩の名を称えている者があったとしよう、(この人は)たとえ大火の中に入っていても、火がこの人を焼くことができないだろう、なぜなら観世音菩薩が威神力を発揮して守っておられるからである。またもし、大水が起こってこの人が漂流されることになったとしても、すぐに浅いところを見つけて救助されるだろう。
4☆
観世音菩薩の名を呼んで救助を求める人は、火にも焼かれないで済むし、洪水に溺れることもない。なぜなら観世音菩薩は、仏陀の威神力を授けられているからである。困った人を助けること救うことを本務本業としてあるからである。だから困っているときにはいつも観世音菩薩の名を称えて助けに来てもらうがよいだろう。利他の行を積み上げてきた菩薩は困っている人を助ける力が具わっているので、それを信じて、お任せをする気持ちになれば、菩薩はその力をいかんなく発揮してくれるだろう。
5☆
人間界と菩薩界がここで交わることになる。人間界と菩薩界(仏界)は平行線を保っているのではない。交わりがあるのである。人間界の力ではどうしようもないことがある。だから苦しみのである、悲しむのである。
しかし、それを菩薩界・仏界は、人間界の苦しみ悲しみを見て見ないふりをすることなく、たちどころに救済救助の実践・実行をされるのである。
菩薩はこの菩薩行の実践実行によって人間界と交わるのである。菩薩は仏界の慈悲の実行者、実演者である。仏界は仏界、菩薩界は菩薩界なのではない。人間界があってそこに仏界があり菩薩界があるのである。
6☆
観世音菩薩も菩薩だが、地蔵菩薩も菩薩である。虚空蔵菩薩も菩薩である。普賢菩薩も勢至菩薩も弥勒菩薩も文殊菩薩も、菩薩である。仏界の慈悲の実演者が菩薩である。菩薩はガンジス川の砂の数ほどもたくさんいらっしゃる。なぜなら、助けられた我々が次の段階に移って菩薩となるからである。利他すること、他者を助けること、他者を守ること、他者を導いて行くこと、これが菩薩の仕事である。
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他者を困らせてはいけない。他者を苦しませてはいけない。他者を悲しませてはいけない。菩薩はこの願いを持つ。この願いを持つ者は地上の菩薩である。
困っている人があれば助けに行きたい。苦しんでいる人があれば救ってあげたい。悲しんでいる人があれば慰撫して元気づけてあげたい。菩薩はこの願いを持つ。この願いを持っている人は地上に下りて来た菩薩である。
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今日は法華経の観世音菩薩の経典を読んでいました。以上に述べてきたことはわたしの解釈です。読者諸氏はそれぞれでお考えになってくださいね。
9☆
梵語 bodhisattva(ボデイーサットバ)の訳語が菩提薩埵(ぼだいさった)。略して菩薩。「覚有情(有情=凡夫を覚らせる人)」とも。
1,悟りを求めて修行する人。
2,お釈迦様の修業時代のお名でもある。
3,自利の悟りを経て利他の実践に移行する修行者を指す。
4、大乗仏教でいう利他の実践者。お助けマン。
5、己の覚った悟りに安住せずに社会へ出て仏の教えを弘めて歩く修行者全般。