夕方5時から6時まで、金盞花の花の苗を移植しました。
プランターに種を蒔いていました。発芽してもう10cm近くまで成長していました。
移植し終わったら、水を撒きました、たっぷり。しばらくは水撒きを続けねばなりませんよね。
しっかり根付いたら、肥料をしてあげようと思っています。
こんなことをしているときが僕は一番楽しいなあ。ままごと遊びみたいだけど。
夕方5時から6時まで、金盞花の花の苗を移植しました。
プランターに種を蒔いていました。発芽してもう10cm近くまで成長していました。
移植し終わったら、水を撒きました、たっぷり。しばらくは水撒きを続けねばなりませんよね。
しっかり根付いたら、肥料をしてあげようと思っています。
こんなことをしているときが僕は一番楽しいなあ。ままごと遊びみたいだけど。
散歩をしていて寄り道をしました。
途中にフカネギの農園があります。ここに立ち止まって見ていたら、農園主の方が、それに気づいて、近付いてきて、掘り上げてギブして下さいました。一抱えほどもあります。まんまるした見事な白ネギです。
ビニールに入れても下さいました。腰からぶら下げました。田舎の人はこうです。やさしいです。
一旦、いただいた葱を家の持ち帰り、それからまた散歩を続けました。今度は小川の岸辺の小径を歩きました。
畦道にヨモギが生えてきていないかと目をこらして歩きましたが、残念ながら、まだだったようです。土筆はにょきにょきしていました。
これなら、わたしでも散歩ができます。
左右の手にステッキを握って、これに頼って、集落を半周してきました。ゆっくりゆっくり。
日頃しないことをしたので、足の筋肉がこわばってしまいました。
明朝、目が覚めたら筋肉痛になっているかもしれません。
でも、とにかく散歩ができたのです。諦めていた散歩ができたのです。
躍進の日になりました。
これだったら、お天気さえ良ければ、明日もトライしてみます。
運動ができたら、血糖値も下がるでしょう。
このステッキは通販で買ってもらいました。1ペアで3000円。これでこの先の健康が保証されたら、それは御の字です。
我が家の裏の畑の、梅の木の下の、蕗の園の、草取りをしてきました。スマホでサンサーンスのヴァイオリン協奏曲などを聴きながら。
肥料をしていたので、草もその恩恵にあずかって、勢いよく育っていました。
2時間ほど夢中で作業をしました。草の山がこんもりと堆くなりました。
花粉が飛んでいるのか、クシャミが出て、出て出て、鼻水が止まりません。厄介です。
ああ、いい一日になりました。草取りができる日はいい日です。
それにお天気がよいのです。風もないのです。大空がいい顔をしています。
我が家の梅の大木の、花も満開です。もちろん白い色ですが、なんとも形容しがたいほどの、いい色をしています。老木です。
垂れ梅が満開を迎えています。
よそんちのてすけど。
見てやらないと可哀想で。
キレイキレイキレイキレイキレイを連発して来ました。
事の一念三千正観成就し、寂光浄土現前し、無作三身の覚体顕れ、我等行者一切衆生と同じく、法性の土に居して自受法楽せん。
日蓮宗の経典「運想」より
☆
人は日々に六道を輪廻している。地獄界から餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界、はては声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界までも経巡っている。我がこころはあちらへこちらへ移動して翻弄されてかくも忙しい。
☆
であるのだが、法華経を一念すれば三千世界はたちまちに迷いを離れて正観を成就する。仏陀と等しく正観を成就すれば、寂光浄土の仏土が現前する。浄土が現前すれば、おのずからにして、三身が一体になってそこに仏陀のお悟りの本体が己の内に顕現する。そうすれば、わが法性涅槃のいのちはまたおのずからにして法楽を受けることになる。
☆
三身:
法身・報身・応身。あるいは自性身・受用身・変化身。あるいは法身・応身・化身。
真理と一体の身・永遠の救済の身・肉体身の三つの身が仏陀の身と等しくなって仏陀に等しい覚体となる。
☆
経典にそう教えてある。それを読む。
ああよかろうな、と思う。三千世界の正観が我がこころの内にたちどころに成就すれば、よかろうなあと思う。法楽をおのずからに受用していれば、そりゃ、よかろうなあと思う。
よかろうなあと思うだけでなくて、事実としてくださるのであれば、歓喜も極まるだろう。これは仏陀のおはからいである。であるから、それを受け止めればいいのである。受け止めましたという感謝の声が南無妙法蓮華経の一念だろうか。
肉体を死んでそのあと永遠の涅槃(ねはん)を生きるわれぞ 尊(とうと)や
薬王華蔵
☆
これは今朝の我が短歌の作品。もう少し工夫が必要なんだろうが、我が腕前は乏しいから、ここで終わっている。
☆
たしかに肉体を死ぬが、わたしはいのちを死ぬことがない。そう思っている。
☆
肉体を死ななければ、涅槃寂静が得られない。死んでみてはじめていのちが永遠であったということを知らしめられる。涅槃寂静は仏陀の悟りの段階である。永遠の命に目覚めたわれわれは仏陀になるのである。そのわたしである。わたしに手を合わせたくなる。
☆
わたしは仏陀の涅槃界に逝く身である。安堵をしていていい。何がどうあろうと安心をしていていい。ジタバタなんかしないでもいい。行き着く先が決定しているのだ。そういうふうに己に言い聞かせる。
☆
涅槃界に行き着くのは誰もがすることである。その成立に条件はない。無差別平等である。不安を覚えることはない。恐怖をすることはない。恐怖の世界を去って平安の世界に入っていくのだ。
いい天気だ。だが、風が吹いているから、外へ出て行けば寒いかも知れない。春の到来を受けて、畑の小ネギの根の勢い・茎の勢いがみるみるしっかりして来た。
庭先に侘助の花が咲いている。家内が摘んで来て、室内に飾った。一本の木でありながら、赤い花とピンクと赤とピンクが混じった花がある。自然界はアジナコトをする。
今日は令和の今上天皇のお誕生日で休日。天皇陛下は今日で61歳になられる。2月があと5日で終わって、弥生三月になる。
昨日の外気温は22℃もあった。車の中が蒸し暑かった。窓を開けてないと走れないほどだった。昨日はクロネコ宅急便を出しに行った。
2月でこの温度なら、夏の7月8月にはどうなるのだろう。心配になった。寒いのも苦手だが、熱いのはもっと苦手だ。
畑の野菜類がみな菜の花をつけている。昨夜の食事には菜の花の料理がしてあった。薫りが鼻を刺激した。
さ、もうすぐ着替えて外に出よう。炬燵の中にいるのは気が引ける。お天道様がこれだけ微笑んでお出迎えをしてあるのだから。