<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

あなたが何をしてもわたしはあなたを軽んじません。これが菩薩の修行。

2024年08月12日 15時24分36秒 | Weblog

常不軽(じょうふぎょう)菩薩さまのことが書かれたチャプターがあります、法華経に。

この菩薩様の仏道修行はただ一つでした。

「但行礼拝(たんぎょうらいはい)」を行じるという修行でした。

この菩薩様は「わたしは常にあなたを軽んじません。あなたが何をしてもあなたを軽んじません。あなたはやがて仏様になられる尊いお方です」と声に出して、会う人ごとに手を合わせて礼拝をしました。

礼拝をされた人は、気持ち悪がって、石を投げたりしました。(加害をしないと分かっている人には加害をしたくなるのが人情のようです。虐(いじ)めによく似ていますね)

それでもそれでもこの菩薩様は礼拝を続けました。ここからが菩薩の本格的な修行になりました。

人を軽んじないという修行は、同時に、人に軽んじられるという修行でもあるようです。軽んじられることに耐えねばなりません。

仏道は仏様を礼拝供養する修行の道でありますが、それは人を礼拝供養す道でもあるのでしょう。

人はやがてみな必ず仏になります。われわれはみな仏になる道を歩いています。仏陀はそう説いています。

仏陀一人が仏陀に成るのではありません。(このテーマは仏教独自のテーマです)

仏教は平等を重んじます。すべての人を仏陀にするのが仏陀の任務です。それができないのなら仏陀は仏陀になり得ていないのです。

仏陀とは自己完成者を意味しています。何度も何度も生死輪廻を繰り返しながら、われわれはみな、この自己完成の長い一本の道を歩いています。過(あやま)ちを無数に重ねながら。

 

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腐ることに意義あり。

2024年08月12日 15時11分10秒 | Weblog

8月10日、土曜日は、S新聞読者文芸発表の日でした。川柳部門、俳句部門、短歌部門どれも落選でした。がっかりでした。期待をしていたのです、やっぱり。

腐りました。エレベーターが冷たい地下5階までするするっと下りていきました。

 

腐ることに意義あり、でした。3日かかって修復しました。

「まあいいや」のところまで来ました。

そこまで来ないと次の投稿作品を書く気力が起きません。

 

書いたら、書くという楽しみが与えられるのです。それでよしとしなければならないのですが、欲が張ります。認められたいという欲望が、蝸牛の角を作ります。

今日午前中にやっと書き上げてメールで3部門の9作品を投稿しました。

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勝って驕らない。負けて腐らない。この戦い。

2024年08月12日 14時56分44秒 | Weblog

勝って驕らない。負けて腐らない。

でもどっちも難しい。

勝った者は大きな顔をして威張りたいだろう。称賛を浴びたいだろう。

負けた人は傷心するだろう。悔やむだろう。消え入りたくなるだろう。

どっちがより難しいだろう?

国を代表して勝負に挑むオリンピックは終わった。みな帰国した。複雑な思いが各所に渦を作って、渦巻いているだろう。

戦いが終わったあとの戦いは、自己との戦いになる。

これはすぐには勝負がつかない。長い長い時間が試されることになる。両者とも克己の戦いになる。

背後にいた国民一人一人は、参加した選手の労苦をねぎらうことに専心したいものだ。

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勝ち負けがないオリンピックって、ないだろうか?

2024年08月12日 14時32分26秒 | Weblog

パリ五輪閉幕。日本の金メダル獲得数は20個。20回、会場に日本の国家がいちばんに演奏されたことになる。前回の東京に列んだ。五輪参加国のうちの3位だったらしい。国家国力発揚になっただろう。

勝負だから勝ちと負けがある。勝つ人はよろこびの顔をするが、負けた人はそうはいかない。同じくらいに努力したのに、不平等だなあとも思う。

参加者は皆、最高の位置の頂点を目指す。頂点に立って初めて満面がよろこびになる。隣にいる敗者を気遣って、派手な振る舞いをしないという選手もいる。

勝ち負けがないオリンピックなんてない。(あってもいいけどなあ。でも盛り上がらないだろうなあ)

クーベルタンは参加することに意義がありだなんて言ったけれど、それで満足は得られないだろう。勝ち抜いて帰国して、凱旋パレードをして、称賛を浴びたいだろう。

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高齢者は振幅が煩わしい。

2024年08月12日 11時52分04秒 | Weblog

期待をすると、期待がはずれたときに、それがそのまま不平不満に変貌変質する。

期待はふくらみ。がっかりの失望はしぼみ。総じて一得一失だ。得れば失い、失えば得る。

かといって、期待希望を抱かないというわけにもいかない。未来に色づけをした方が楽しくもある。

期待通りにゆくこともある。めったにないが、そういうケースもある。ふくらんで、ふくらむ。そして長い坂道を下りて、しぼみにしぼむ。

高齢になるとこの振幅が煩わしくなる。揺れを少なくしたいという打算が強くなる。

今日は何処にも行かないで、冷房の中で、ごろんとしている。ごろんごろんがラクチンだ。

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「どうもしない」の一点張り。

2024年08月12日 11時39分24秒 | Weblog

では、どうするか?

どうするか? どうするか? どうするか?

いつもこうやって日常諸事、決断を迫れていますが、わたしはそれに応じずにいます。

投げやっています。不届き者です。

「どうもしない」の一点張りを通しています。

すると、なるようになっていきます。

老人になって行くほどにこの傾向が著しくなってきました。

「なるようになる」と分かればゆったりできます。

どうなったところで、大きな変化はないのです。

老いて行くばかりです。

死に近付いて行くばかりです。

慌てることはありません。

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涅槃経を読む。

2024年08月12日 09時49分49秒 | Weblog

人生の最終章を迎えて、涙腺が脆くなっている。仏陀の経典を読むと涙になる。経典は仏陀の声だからだ。いまここで仏陀の声を聞ける己の立ち位置が有り難くなって来るのだ。

「それ故に、この世で自らを島とし,自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」

「涅槃経」より。

仏道を歩む者は、仏陀の教えを聞いた己を、激流に流されない島とし、歩む自らの足を信頼確信し、他の人に負ぶさらず凭れず、仏陀の教えをこそ、この世の激流に流されない島とし、それ以外に襲い来る妄念雑念恐怖不安に左右されることなかれ。

仏陀の教えを聞いたものは安心を与えられている。安心安定を与えられている己であれば、尊重して信頼していていいはずである。自己信頼に到達した仏道修行者は一人歩きが可能なのだ。

仏陀が涅槃に入ろうとしている。仏陀に仕える弟子達は仏陀を失うことを不安に感じている。仏陀は、「恐れるな」と弟子達を鼓舞しているところだ。

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酔芙蓉の花はまだ咲かない。

2024年08月12日 09時25分58秒 | Weblog

我が家の庭の酔芙蓉の花はまだ咲かない。蕾さえつけていない。植物図鑑によれば8月から咲き出すとある。夏から秋の花らしい。

わたしに似て晩生(おくて)のようだ。

草丈が3mは優に超えて藪になって居る。連日の猛暑酷暑で葉がどれも焼け焦げたようにして,黄色くなっている。

酔芙蓉は一日花。朝方白く咲いて、昼を過ぎたら、お酒に酔ったように赤くなって来て、やがて萎んでしまう。

縞模様の毛虫がうじゃうじゃたかる。それを雀が目敏く見つけて食べてくれるが、気持ち悪くて近くへ寄れない。

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足手まといになるだけ。

2024年08月12日 09時16分27秒 | Weblog

8月12日月曜日。振り替え休日。11日日曜が山の日で祝日だった。

夜明け前に冷えて涼しく感じたが、これから気温が一気に上昇して,40℃まで上がるらしい。

孫達はこれから武雄の自然少年科学博物館に行くらしい。夏休みの特別企画展があっているらしい。

老人のわたしはもう外へは出て行かないと決めている。孫達と一緒の行動はできない。足手まといになるだけ。

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腰痛に悩む。

2024年08月12日 09時10分49秒 | Weblog

腰痛が起こって顔を歪めています。

「人生は苦なり」だからいろいろな苦を受けねばなりません。

 

トイレの往復が難儀です。

くの字に腰を曲げて歩きます。ズキンズキンします。

 

安静第一にしていますが、痛みが取れません。

ま、お爺さんは無職だから、寝ていればすむことです。

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