<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

アシスト自転車に乗ってみたいなあ。

2025年01月16日 15時44分39秒 | Weblog

「楽しいこと」でも、それに乗って、楽しまなければ、楽しくならない。

乗って乗って乗りまくれば、何倍と楽しくなれる。

1が10にもなる。0・5が5になる。0・1が1になる。

1でも十分価値を持つ。

普通は、「楽しいこと」というレッテルはついていないことが多い。自分がレッテルを貼れば、それは「楽しいこと」になれる。

探せば見つかる。見つけると小躍りできる。

サイクリングは楽しい。でもこのごろ乗っていない。春まで待とう。

麻痺の左足の分まで右足が補って、ペダルを回してくれる。

(ただし、遠距離はできない。もう力が残っていない)

アシスト自転車だったらできるかもしれない。買ってみたいのだが、値が張るようだ。

 

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畑のフカネギの収穫。

2025年01月16日 13時30分02秒 | Weblog

午後から客人の訪問があるので、事前に、畑のフカネギをスコップで掘り上げた。水洗いをしてキレイにした。水切りをするために、ベランダで干しているところだ、いま。土に隠れていた根元の白葱の部分も太い。土より上の緑の部分もしっかりしている。何事も下手であるお爺さんが育てたものにしては、立派だ。

 

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安心安寧が欲しいばっかりに。

2025年01月16日 10時42分28秒 | Weblog

まあ、そんなこんなことを、自分に言い聞かせて、安堵・安心・落ち着きを図ろうとしている。

いつまでも迷い子になっていたくないから。迷い道を出たいから。

こころが嵐になってふらふらに乱れていれば、己のこころが惨めだから。

わたしが書くブログのことだ。

安心が欲しいばっかりに、あれこれあれこれを書く。

ほんとうは書かなくてもいいことを、わざとらしく書いて、一日の安寧を図っている。

万徳は円満す。(仏教経典より)

宇宙が円満にしているので、この世界の万徳がこれに従っている。(宇宙はダンマ・法である)(仏陀はダンマ・法の表象である)

わたしがわたしの円満を造形造影しなくとも、だ。

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貧しい者は不幸だ、とは断定できない。

2025年01月16日 10時18分10秒 | Weblog

高価でおいしい料理でも、毎日毎日では飽きる。それよりは、質素な白菜漬けがよくなる。

豪華な暮らしにも、それと同様だろう。ある日ふっと、質素質実な暮らしに切り替えたくなったりすることもあるだろう。

豪華な暮らしをずっと楽しく嬉しく味わい続けるというのは難しいはずだ。豪華なになれるといつしかそれも平凡になってしまう。

幸福感は揺れ動くのだ。ずっと一定ではないのだ。

富裕層のみが幸福だとは言えない。強者のみが幸福になれるとは限らない。健康を誇る者のみが、幸福でいられるということもない。

貧しい者が不幸だとは断定できない。弱者は不幸から這い上がれない、ということもない。病人がいつでも不幸の底にいるわけでもない。

幸福も不幸も己のこころ一つというところがある。幸福とすれば幸福である。不幸と規定すれば不幸にいることになる。

周囲の条件のみで幸不幸が分かられるのではない。己の「こころの秤」で、どちらにも動く、そういうところがある。

誰にでも幸福は与えられている。同じように不幸も与えられている。それを活用できるできないは、一人一人の自由裁量に任されている。

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色気は春色。

2025年01月16日 09時00分45秒 | Weblog

色気がある人の傍に行くと気もふわっとなる。春になる。そこがふわっと春になっている。

春になっているので、こちらも春の毛虫になってしまう。もぞもぞして来る。

色気は、人をもぞもぞさせて来る。衝動に駆り立てて来る。そういうところがある。

もしかしたら、色気は健康と深く関わり合っているのかもしれない。自分を健康にしたり相手を健康にさせたりもする。

失礼失礼。色気をまったく感じさせない人もいる。(枯木同然の老人のわたしもきっとそうだろう)

そういう人は、極度に慎み深いのかもしれない。

色気を蔑んでいる人もいる。ふしだらだと蔑む考え方もある。それも一理ある。

でも、色気はいい。わたしはそう思う。たっぷりでなくてもいいが。

色気は春色。春の兆しの匂いがする。薫り立つ美しい春にいる気分になれる。

 

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明るさと暗さは対(つい)になっている。

2025年01月16日 08時48分09秒 | Weblog

明るい方を見る。暗い方を見ない。

どちらの方を見てもいいが、明るい方を見ると明るくなれる。暗い方を見ると暗くなる。

暗い方を見るのが好きなタイプの、文学者気取りの人もいる。

だがそれも、一旦そちらに足場を移して、そこから明るい方を望むためだろう。

そうすればもっともっと明るさが増して輝いて来ることを

知っているからだろう。

不思議なことだが、その場が暗くなければ、明るさが明るさの価値を発揚してこない。

明るさと暗さは兄弟分の間柄、ということか。対(つい)になっている。

どちらの岸にいてもいい、ということか。

 

 

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これでよし、にすると安らげる。

2025年01月16日 08時37分25秒 | Weblog

欲を張ってはいけない、と自分を戒める。

欲を張ると、ろくなことはない。

不満の顔は暗くてぎすぎすして尖って、醜い。

不満の足はすとんと、こける。躓く。ころげる。

もっともっと、にならない。これでよし、にする。

これでよし、にすると安らげる。

冬の日が部屋に入って来る。部屋が明るくなる。これでよし、とする。

プラスマイナスの勘定をしない。勘定をする自分を戒める。

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帳消しにしましょう。

2025年01月16日 08時25分37秒 | Weblog

1月16日、木曜の朝が来ています。東から太陽が昇って来て、明るい光が大地を明るくしています。これでわたしの目も顔も明るく輝いていられます。有り難いです。

そんなに有り難い位置にわたしを置かせてもらっていますから、あれこれの不満不平は帳消しにしましょう。帳消しにする、だなんて高い位置からものを言っていますが、これも傲慢のなすところですね。

朝食はパン食。クロワッサンを焼いてもらって、2個食べました。あとは白菜と油揚げの味噌汁。白菜は我が家の畑で獲れました。それから作りたての甘酒を飲みました。鰹節をふりかけた白菜漬けは、パン食の時でも欠かせません。

 

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