この数日、おでんを食べています。具材は正月料理の残りもの。
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残り物は、喰っても食っても、なかなか終わらない。
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三日目になるとさすがに飽きる。
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といって、捨てるのはもったいない。
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メイン料理の座からは下りることになる。
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すると、また残る。
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残れば残るほど、おでんの味がオチることになる。
この数日、おでんを食べています。具材は正月料理の残りもの。
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残り物は、喰っても食っても、なかなか終わらない。
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三日目になるとさすがに飽きる。
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といって、捨てるのはもったいない。
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メイン料理の座からは下りることになる。
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すると、また残る。
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残れば残るほど、おでんの味がオチることになる。
日が暮れて行く。大地が暗くなった。大空が微かにまだ青い。
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寒い。クシュン、クシャン、クシャミが止まない。風邪を引くのはイヤだよ。
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今日は七草粥の日。我が家も七草入り雑炊の準備が進んでいるようだ。ただし、正式七草にはなっていないらしい。
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ま、熱々ふうふうだったらいいんじゃないのかな。
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白菜、長葱、蕪、人参、キャベツ、ホウレンソウ、不断草みな我が家の畑で獲れたもの。
筑後川東川岸に建つ久留米水天宮にお詣りをして来ました。この神社には、アメノミナカヌシ大御神が祀られています。
ブルブル震えるように寒い風が吹いていましたが、拝殿の上空は清々しく晴れ渡っていました。
窓の外は、ふうわりふわり、綿雪が舞っています。風が吹き荒れています。寒さが募っています。さすが極寒の月、一月です。
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わたしは炬燵に足を延べて、ぼんやりして、干し柿を食べています。暮れの11月に渋柿を買って来て皮を剥いてベランダに吊していました。おいしくなっています。
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今年はわずかしか渋柿を買って来ませんでした。ですから希少価値があります。ゆっくりゆっくり味わいながら食べています。渋がなくなって固まってとても甘くなっています。1個を食べ終わるのに時間が掛かります。
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これから炬燵に座ったままでしばらくお昼寝をします。
仏と仏の教は、わたしにとっては、「above me」「 around me」「 ahead of me」であり、そして究極のところ「in me」です。
わたしを超えている存在の教えです。それにわたしが無条件で守られ導かれ助けられていることを、感謝します。感謝して、嬉しく思います。
条件付きだったらわたしはとっくの昔に排除されています。どんな条件も削除されて、わたしがすっぽりそこに填まり込んでいます。ぬくぬくとしていられます。ああ、よかったなと思います。
空気のようです。仏教は空気のようです。いつもわたしとともにいてくれます。私の外側にいるだけでなくて、内側にもいて助けてくれます。そしてわたしを生かし続けています。
下の下の評価だろうとなんだろうと、いいんです、いいんです。気にしなければいいんです。わたしはわたしでいいんです。上も、上の中も、上の上も、人様に差し上げます。わたしは下段のここでゆっくりしています。下段には,色とりどりの秋の落ち葉が散り敷いています。それを眺めてゆっくりゆっくり楽しむことにします。行く雲が上段にいます。それを見上げる楽しみもあります。何処にいようと、相応の楽しみがあります。
いよいよもって寒くなりそうだぞ。北風小僧の勘太郎が、我が家の庭先まで、吹き下ろしてきたぞ。畑の白菜の外葉が震えているぞ。大きな大きな白い雲が一団になってゆっくり流れていく。
エアコンしているんだけど、パソコンのキーを叩く指先が冷たい。
おはようございます。午前8時20分、一軒向こう、近くの電線に小鳥が20羽ほども列んでいます。白い雲と水色の空をバックに。何の鳥かははっきり見えません。つい先日もそうしていました。会議をしているようにも見えません。カラスよりも一回り小さいようです。小鳥たちのいるところからは、わたしが見えているはずです。
寒いです。まだ日が上がって来ていません。曇り日です。気温は4・4℃あります。霰のようなものが降って来ました。畑仕事は止めにします。
いいことなのか、そうでないのか、今日の予定は何もありません。閉じこもりをして過ごしそうです。家内は帯状疱疹の治療に病院に行きます。クレヨン水彩画を描けば退屈が凌げそうです。