即興詩 3 「美しい風景」
美しい風景があると
僕は
美しい風景に入り込むことにする
そっと
するとほんのしばらく
呼吸を1回する間くらい
僕を加えた風景が美しく成立する
僕はそれで
そこを去って行く
即興詩 3 「美しい風景」
美しい風景があると
僕は
美しい風景に入り込むことにする
そっと
するとほんのしばらく
呼吸を1回する間くらい
僕を加えた風景が美しく成立する
僕はそれで
そこを去って行く
即興詩 「僕の五月」
垂れ下がる樫の木の枝なんか握っていないで
僕はあの子の手を握っていたいのに
五月の青空がそよ風を起こして
あの子の手を握れない僕を笑い飛ばす
あの子の手は白くてふっくらしている
さっきから公園のうさぎ小屋のうさぎを撫でている
今日の即興詩「親しい僕の友人に」
「おおい」「おおい」「おおい」
僕は大空に声を掛ける
大空を親しい僕の友人にして
昼寝から覚めた大空が
むっくり起き上がって「おおい」を返して来る
僕は手を上げる
手を上げながら
僕は橋を渡って
町の方へ歩いて行く ゆっくりゆっくり
いい詩を書きたい。これがわたしの日々の、たっての願望なのだが、いい詩は誕生してこない。
たといいい詩が書けたところでそれがいい詩だと承認されるわけではない。
よしんば一人二人が承認しても、三人が不承認ということもある。千人が不承認ということもある。
詩も、絵や音楽と同じで、ほぼほぼ好き嫌いに左右される。相対価値に支配される。鑑賞者が実権を握ることになる。
だからまあヒトリヨガリという割合が高い。砂漠に立ち上がる蜃気楼に似ている。しばらくゆらゆら揺れていたかと思うとたちまち消える。
それでもそれでも書きたい。いい詩を書きたい。わたしの場合は所詮、自己満足なのに。それでも。
快晴の日曜日。1月12日。気温4・6℃。光が広がって大地の隅々まで明るくしている。此処にわたしがいる。
もうすぐにいなくなってしまうんだけど、いまはいる、此処にこうして。両眼を開いて冬の寒そうな大空を見上げて。
*
図書館から林真理子著「平家物語」を借りて来ている。昨夜から少しだけ読み始めている。源氏に追いまくられて衰亡の一途を辿る平家一門はアワレを誘う。