梟が来て、「あなたのブログ読んでます」って言って、飛び去って行った。
*
しばらく時間が経った。
*
「あなたのブログを読んだら、わたし元気を起こせます」を言いに、また山から舞い戻って来た。
*
山にはいろんな梟がいるもんだ。
*
ほほうほほう。「人間の書いたブログが読める梟」という新種がいるんだ。梟文明が急速に発達しているらしい。
*
でも、嬉しかった。
人間が読んでくれなくとも、なにせなにせ、梟が読んでくれていたんだから。
梟が来て、「あなたのブログ読んでます」って言って、飛び去って行った。
*
しばらく時間が経った。
*
「あなたのブログを読んだら、わたし元気を起こせます」を言いに、また山から舞い戻って来た。
*
山にはいろんな梟がいるもんだ。
*
ほほうほほう。「人間の書いたブログが読める梟」という新種がいるんだ。梟文明が急速に発達しているらしい。
*
でも、嬉しかった。
人間が読んでくれなくとも、なにせなにせ、梟が読んでくれていたんだから。
大好きを百篇言われたらわたしは雪になってしまいそう。霧になってしまいそう。風になってしまいそう。雲になってしまいそう。空になってしまいそう。
*
雪になってしまいたい。霧になってしまいたい。風になってしまいたい。雲になってしまいたい。空になってしまいたい。
*
大好きを百篇言われてみたい。
*
人からでもいい。鳥からでもいい。草からでもいい。山からでもいい。虫からでもいい。獣からでもいい。水からでもいい。火からでもいい。
*
でも、だあれも言ってくれない。大好きを言ってくれない。百篇はおろか一篇でも。寂しい。
*
じゃ、立場を逆にして、大好きを百篇言ったことがあるか、己は?
*
相手を寂しさから解き放したことがあるか。
*
ない。
*
でも、やってみたい。
*
人に言えないのなら、人以外に。
*
たとえば童話の主人公に。トトロに。
*
例えば日陰を提供している合歓の木に。たとえば飛び回る蜜蜂に。たとえば手に取った石ころに。
*
愛を告白する。大好きを言う。
*
大好き大好き大好き大好き大好き。これで5篇。
*
5篇を1サイクルにして、20サイクルの大好きを言い終わると100篇になる。
*
100篇言い終わるとそこで呪縛が解けてわたしは人形でなくなってやっと人間になる。
朝ご飯は炊き立ての白いご飯。白菜の味噌汁。白菜漬けの胡麻和え。納豆。焼いて千切ったふっくら竹輪。どれもおいしくいただいた。
しばらくしてから冷えた甘酒。食後のフルーツにパール柑。パール柑は昨日友人にもらった。やや酸っぱかった。
*
今日は日曜日。我が家の朝ご飯は8時半だった。みなゆっくりしていた。2ヶ月経つというのに、家内はまだ帯状疱疹が完治しないで、痛い痛いを繰り返している。可哀想。
食べ終わった食器はお爺さんが洗った。洗うのは嫌いじゃない。
夢に女人が現れて来ることがある。ふんわりふっくら雲のような女人が。
お爺さんはうろたえる。うろたえた後で、若者になる。雲の女人を両手で掻き抱く。
煩悩の温度がぬるま湯の40℃~50℃近くに跳ね上がる。(100℃にはならない)
*
お爺さんになってもなおかつ煩悩が衰えていないのを、目が覚めてから恥じる。
そこには若者ではないお爺さんがしょぼくれて座っている。
*
仏様の世界には男女がない。男女が睦み合って子を産むことがないからである。仏様は、男女の営みを経ないで、そこに突然に出現することが出来る。
仏像にも男女がない。性器をつけていない。
*
人間には男女がある。男女を現す性器がある。性器には性の欲望が付着している。これは死ぬまで変わらない。
だから、死ぬまでは男女をして、異性の夢を夢見ているしかないのだろう。
寒いなあ。手が悴んでしまう。腰から下はおこたに入っていてぬくぬくとしているが、手が寒い。指先が冷たい。
で、ときどき両手をお尻の下に敷いてあたためることにする。
お尻はこれを拒否しない。すぐにあたためてくれる。
*
昨日は鏡餅を仏壇と神棚から引いてきた。それを厚い俎の上に載せ、包丁で切って切り餅にした。
鏡餅はカチンカチンに固まっていて、なかなか力が要った。
これを水餅にした。しばらくはこれを焼き餅にしたり、黄な粉餅にしたりして食べることになる。
ウレシイウレシイウレシイ。言えば言うほど嬉しい。そういう仕掛けが施してある。いい仕組みだ。
だったら、そうしないわけにはいかない。ウレシイウレシイウレシイになってみる。
*
何が嬉しいか、では? 1月5日、日曜日が来ている。これがまず嬉しい。
来ないで昨日のままだったとしたらまずいことになる。暗いままになってしまう。
*
さいわい、明けて朝が来ている。明るくなっている。大空が見えている。鬱屈がない。
目が覚めて、顔が洗えて、朝ご飯が食べられた。嬉しい嬉しい嬉しいになっている。
*
それでは不服か?
不服としていてもいい。不服を顔に表していてもいい。
それがまたいい。
不服の顔をしていても、新しい日が訪れて、新しい空が広がっている。
ここには差別がない。天地盛大。天地宇宙の心は大きいのだ。