一生造悪値弘誓 至安養界証妙果
いっしょうぞうあくちぐぜい しあんにょうかいしょうみょうか
浄土真宗経典「正信偈」より
*
弘誓(ぐぜい)とは、阿弥陀仏が悪行悪苦のわたしのために建てた誓い。「わたしがあなたを救います」「あなたを往生成仏させます」と広大な誓いを建ててある。
*
一生(の間)悪を造った者(=わたし)が(阿弥陀仏の)弘誓(ぐぜい)に値(あ)ったおかげで、(するする、するりと)安養界(極楽浄土)に至り着いて、(いまは)(ここでこうして)その絶妙な結果(往生成仏・涅槃寂静)を証していられるのだ。
(これはわたしの自己流解釈だから、正解ではない)
*
悪因悪果・善因善果なのに、ここでひっくり返っている。引っくり返させたのは阿弥陀仏の弘誓(救済の本願)である。一生の間悪行をして来たのだから、悪因に尽きて悪果に至り着くはずなのに、転回が起きているのだ。悪因善果になっているのだ。
実に実に虫のいい話ではないか。申し訳が立つ話ではない。
*
仏の弘誓(ぐぜい)がこれをしかあらしめたのである。
*
自力作善はかなわないのだ。自力作悪はできても、自力作善は不可能なのだ。仏の出番である。虫のいい話のようだが、本願他力に与るしかないのだ。自力では安養の仏国土に往生することはできないのだ。悪人成仏す。この妙果は捻じ曲がった結果なのだ。
*
申し訳が立つ話か? 申し訳が立つ話ではない。
*
歓喜(かんぎ)と懺悔(さんげ)の春の桜雨が降りしきる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます