<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

申し訳が立つ話ではない。

2025年03月16日 09時30分17秒 | Weblog

一生造悪値弘誓 至安養界証妙果

いっしょうぞうあくちぐぜい しあんにょうかいしょうみょうか

浄土真宗経典「正信偈」より

弘誓(ぐぜい)とは、阿弥陀仏が悪行悪苦のわたしのために建てた誓い。「わたしがあなたを救います」「あなたを往生成仏させます」と広大な誓いを建ててある。

一生(の間)悪を造った者(=わたし)が(阿弥陀仏の)弘誓(ぐぜい)に値(あ)ったおかげで、(するする、するりと)安養界(極楽浄土)に至り着いて、(いまは)(ここでこうして)その絶妙な結果(往生成仏・涅槃寂静)を証していられるのだ。

(これはわたしの自己流解釈だから、正解ではない)

悪因悪果・善因善果なのに、ここでひっくり返っている。引っくり返させたのは阿弥陀仏の弘誓(救済の本願)である。一生の間悪行をして来たのだから、悪因に尽きて悪果に至り着くはずなのに、転回が起きているのだ。悪因善果になっているのだ。

実に実に虫のいい話ではないか。申し訳が立つ話ではない。

仏の弘誓(ぐぜい)がこれをしかあらしめたのである。

自力作善はかなわないのだ。自力作悪はできても、自力作善は不可能なのだ。仏の出番である。虫のいい話のようだが、本願他力に与るしかないのだ。自力では安養の仏国土に往生することはできないのだ。悪人成仏す。この妙果は捻じ曲がった結果なのだ。

申し訳が立つ話か? 申し訳が立つ話ではない。

歓喜(かんぎ)と懺悔(さんげ)の春の桜雨が降りしきる。

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