清浄(しょうじょう)光明(こうみょう)ならびなし 遇斯光(ぐしこう)のゆへなれば 一切の業繫(ごっけ)ものぞこりぬ 畢竟依(ひっきょうえ)を帰命(きみょう)せよ
浄土真宗経典より
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遇斯光。ぐしこう。
斯(こ)の光(阿弥陀仏の無量光明)に遇うこと。阿弥陀仏の無量光明に今此処で遇っている者。=わたしとあなた。
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業繋。ごっけ。
無明迷妄の悪業煩悩に繋がれていること、または者。
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畢竟依・ひっきょうえ。
畢竟の最後に依存できる存在=阿弥陀仏。
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阿弥陀仏の放たれている光明は喩えようもなく清らかで浄らかです。この光明にわたしが今此処で遇っているのですから、ここでいまわたしのすべての悪業煩悩・無明迷妄もいっときに除かれてしまいます。これはひとえに阿弥陀仏の本願のハタラキによるものです。ここに帰命していくことができるわたしがいます。安心を覚えます。
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こんなふうに受け止めてみました。これはしかしわたしの受け取りですから、間違っているかもしれません。
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わたし=阿弥陀仏の斯(こ)の光にいまここで遇っている者。という受け止め。それを教えてもらいました。涙を覚えます。
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